書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

今年の夏は涼しいのか? 暑いのか?

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現在、私は福岡市在住で、お盆頃からようやく暑さが和らいだものの、

今年、2017年の夏は、まさに殺人的な暑さでした。

これまでは体感としては、

足元からもわ〜っと暑さがきて、

建物が密集していることもあり、風が抜けないから、

東京の方が暑いと思っていたのですが、今年は様子がまったく違った。

 

住居こそ東京から福岡に移したものの、

仕事の大半は東京ベースなので、ちょこちょこ行っているし、

仕事関係者もほとんどが東京。

 

東京の人たちは

「今年の夏は涼しい」「8月は雨続き」

って言っていて、行くと確かにそうなのです。

 

今年の東京の猛暑と呼べる日にぶつかったとき、

「いや〜、東京は快適でいいね」と言うと

「何言ってんの? 今日は死ぬほど暑いよ」と返ってきたので、

「それがさ〜、福岡はリアルに死んでもおかしくない暑さなんだよ」

「これより暑いの? ひえ〜」

みたいな会話になり。

 

今年の夏の福岡では朝だろうが夜だろうかおかまいなしの暑さだったので、

極力外に出ない!だったのが、

あるときは、東京は特に日が落ちてからは心地よく、

屋外でビールを飲む極上さよ! ぷはぁ〜!

どう少なく見積もっても10℃は違った!

 

 

で、ここからが本題。

東京発全国放送のラジオで「今年の夏は涼しい」

西日本の会社が国内に向けて「今年の夏は猛暑!」

だけを言うのは、どっちも違うなぁ〜と思うわけです。

 

それって、自分の範囲のことしか見ていないわけで、

誰に向かって言っているか考えていないことの表れ。

 

地域限定だったら、それでいいんですよ。

そうでないのであれば、

「東京は涼しいですが/広島は暑いですが、みなさんのところはいかがですか」

みたいに、自分の立ち位置を示し、その上で対象に向かって発信する、

ってのがふさわしいと思うのですよ。

 

複眼で見ること、自分から自分を俯瞰で見ること。

単に言葉にするのではなく、

誰に向かって発信しているのか、を意識するって大事よ〜。

 

 

ジンはあってもトニックウォーターはないとはこれいかに

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百貨店の低迷が言われて久しく、確かに私個人としてはほとんど足を運ばないもんなぁ。

とはいえ、仕事で行くことはちょくちょくあり、

それは何かっていうと、撮影用食材の買い出し。

割高になるけれど、見た目もよい(撮影用なので見て選んで買いたいのです)、肉も魚も野菜も果物もパンもグロッサリーもお酒も一度にほとんど揃うから。

 

なので、日常生活でもたとえばちょっと変わったスパイスとか、一般のスーパーマーケットでは売っていないだろうなぁ、ってものは百貨店の食品売り場をのぞきます。

 

先日、トニックウォーターが必要になり、スーパーマーケットで見当たらなかったので、百貨店のお酒売り場に。

ジンは売っているので、当然トニックウォーターはあるだろうと思いきや、ない。

店員さんに聞くと、当然のように、扱っていません、とのこと。

 

えっ、ジンは売っているのにトニックウォーターは売っていないの?

ジンをどうやって飲むと思ってるの?

ウォッカだってリキュールだってトニックウォーターで割ることあるのに。

 

お酒売り場はお酒だけを売るところなのかしら?

あれっ? ってことはグロッサリー売り場になるのかな?

 

グロッサリー売り場にもなく、

「○○○○(輸入食材店)さんに行けばあるんじゃないですか?」

だって。

 

 

ドライナッツやドライフルーツ、クラッカーといったつまみがないのはわかる。食品だから。

でも、アルコールじゃないけれど、割って飲むのに必要な清涼飲料水がないってどういうこと?

トニックウォーターってそんな珍しいか?

さらに言うと、仕入れ先も一緒じゃないの?

 

割高でもひととおりあるだろう、の私の認識はガラガラと音を立てて崩れ、

百貨店に行くメリットはどこに?状態。

少なくともその百貨店に用なし、との判断を下した次第。

食材に探しに行くことは、もうないでしょう。

こうやってますます百貨店から足が遠のくんだろうなぁ。

 

 

ちなみに、トニックウォーターは、あるかも、と言われた○○○○(輸入食材店)さんにちゃんとありました。

 

 

「もう歳だから」「いい歳だから」の不毛さ加減ったらありゃしない

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めんどくさいな〜。

 

話をしていて、

「もう歳だから」「いい歳だから」

って言い訳、心底苦手だなぁ。

 

だって、

「そんなことないですよ〜」

って続けないといけないんだもん。

やんないけどね、黙ってるけどね、私。

 

「そうですよね」と同意しようものなら烈火のごとく怒るのは目に見えていて、

あ〜っ、めんどくさいな〜。

 

 

すでに着手していて

「歳だから覚えるのが大変だけど、頑張るわ!」

みたいなのは、素直に応援したくなるけどね〜。

 

 

「もう歳だから」「いい歳だから」

って、本当は自分はできるのよ、できるけど、が根底にあるんだよね〜、

ブドウは酸っぱい、と同じで。

そして、それを人にも言って欲しいんだよね〜、

「そんなことない、あなたはできる人よ」って。

 

つべこべ言わずにやればいいじゃん!って話。

 

断言します!
「もう歳だから」「いい歳だから」な〜んて言ってるうちは一生何もできないよ!

 

 

数学クラブに入りたい!(どこかにないかな?)

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私は、学問とは“真理の追求”と考えています。

一言で学問といっても細分化されているわけですが、

すべての学問の最高峰に位置するものは“哲学”で、

そのすぐ下にあるのが“数学”であり“物理”であると捉えています。

 

私は小学校2年生で九九を習った頃から、数に魅了され、

・ゼロとはなにか
・3とはいかなる数字か
ということを、学校の授業が退屈極まりなかったことをいいことに、思考の海に潜ることしばしば。

 

高校生になった頃でしょうか、

初速度でも加速度でも、もっといえば四則計算(たす、ひく、かける、わる)にしても、

最初に公式ありきではなく、自然界の事象の中に一定性を見い出し、それを至極シンプルな法則というものにして表した、

そのことに気づき、いたく感動したのです。

 

 

うちはテレビをおいていないので、テレビ番組の情報には疎く、あるときのこと。

一日がかりの仕事でその日ご一緒だった方と他愛ない話をしていたとき。

「林先生がね、世の中で大事な学問は数学だって言っててね」

「林先生? あの予備校講師の? 彼は現国じゃなかったっけ?」

「うん、そうなんだけどね」

そこで途切れてしまったのだけれど、へええ〜、そうなんだ〜。

 

林先生の“数学が大事”の真意はわからないのだけれど、

論理的思考とか応用力ってことなのかしらん。

私は、あるレベルまで行ったら(短期旅行程度だと、とにかく通じれば、が優先されるのですが)、

英語をはじめ語学は圧倒的に文法が大事、という持論を持っていて、

それはネイティヴでない人間が体系的に論理的に応用力をもって語学を習得するためには、

文法という基盤を身につけておくのが結局早くて速い、と考えています。

(加えて、鼻であしらわれたり、相手に不愉快な思いをさせないためにも)

それと根幹は一緒なのかしらん。

 

ともあれ、ここのところ、数学熱が戻ってきて、

それは問題を解きたい、ということではなく成り立ちを知りたい。


・どうしてゼロで割ってはいけないのか?

・底面積と高さが同じ柱は、錐の3倍の体積である

といった、理屈抜きでこういうもんだ、と教えられたことをちゃんと知りたい!

 

子どものときの私は50歳を前にした今よりもず〜〜〜っと醒めていて、こういうことへの質問が混乱を生じさせることがわかっていたので、授業中に質問することはありませんでした。

(自力で答を探そうと、しばし思考の海に潜っていたのはそのためです)

 

小学校低学年の理科の時間に、太陽が上る、というのが教科書にあったとき、
太陽は上らない、地球が回っているのでそう感じるだけ、

と思いつつ、便宜上、今の段階ではこう教えているのだな、と認識。
太陽問題はその後、学校の授業で教わることになるのですが、その後も“なぜそうなのか”を教わらず、自力で解答を導けなかったことの、ちゃんとした成り立ちを知りたいのです。

 

なわけで、こういうことを、大人になった者にこそ、論理立てて教えてくれる“数学クラブ”、どこかにないかなあ。

あったらぜひとも入会したい!

自由に撮ってがんがんシェアしてください

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かつては写真や文章を勝手に使われるのはちょっとなぁ、と思っていたのですが、

そんなことに対策を講じても意味ないんじゃないか、

むしろいいことでも悪いことでもがんがん使って(このとき出典元を入れてもらうとうれしい)

拡散してもらった方がいい、

愛の反対語は無関心、だもんね〜、が、

東京オリンピックのエンブレム問題で確信に変わり。

 

先日入ったある飲食店で、非常におもしろい設備があったので、

写真撮ってもいいですか?と訊くと快諾。

スタッフの方がノリノリでポーズもとってくださり。

 

先日行ったアート展では、一部NGだったのもの、

写真OK、どんどんシェアしてね!

みたいな案内が要所要所にあり。

 

 

どんなにまっとうな理由があっても、写真は撮られ情報は拡散される。

それはもう、防ぎようがない。

であれば、それに対応して、

どーぞどーぞ!の方がお互いストレスがなく、心地いい、という好例。

 

時代は変わる、だよ。

 

餅は餅屋なわけですよ、どうしても、ね。

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私はフリーランスで、どこにも属していなくって、

プロジェクトによってはチームで仕事をするけれど、

だからといってずっと顔を突き合わせるわけではない。

 

なあなあが好きじゃないってのはあるものの、意識的にそうしているわけではないのだけれど、

そもそも私が内向的なこともあって、

仕事以外で付き合いのある仕事関係の人ってあんまりいない。

 

 

それまでもときどき一緒に仕事をしていて、

たまにほかの人も交えて食事に行ったりしていたカメラマンの方で、

私が東京から福岡に移ってから、東京にいたときよりも会う機会が増えた人がいます。

(もっとも私の場合は生活の拠点を移しただけで、仕事自体は大半は東京なのですが)

 

他愛ない話もするけれど、大なり小なり仕事関連の話になることが多く、

私はカメラマンとしての捉え方がなるほど!で、

向こうは向こうで私が編集(監督、制作指揮)の立場として眺めているのが新鮮で、

そこを掘り下げて話すのは楽しい。

お互いに同じフィールドにいるので状況は共通認識が土台としてある上で、

立場が違うと、見ている風景がこう違うんだなぁ、というのがおもしろい。

 

某企画のために、資料を一緒に眺めたり、本屋で類書を探したりすると、

やっぱり同じものを見ながら違う視点で捉えているのが、

そしてカメラマンとして具体的なアドバイスをもらえるのはありがたい限り。

 

意見が異なることもママあるけれど、その理由もわかれば、自分には相容れないことでもそれもまたよし。

そういう言い方があったか! 呼び込みに感心する

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競馬もしなければ宝くじも買わない私。

すべてを一任して運を試すものよりも、

麻雀とか株とか自分で考えた結果が反映されるものの方が断然いい。

それに競馬や宝くじで一攫千金を狙うより、自分で稼ぐ方が早くない?

(夢がないのかな?)

 

なので、自分用に宝くじを買ったことがありません。

真っ昼間、みずほ銀行の前を横切ろうとしたら、サマージャンボの呼び声が。

 

「へぇ〜、宝くじの呼び込みって、前からあったっけ?」

なんて思っていたら、

「暑いので涼みがてら寄っていきませんか」と。

 

なんという殺し文句!

この猛暑の中、そういうこと言われると、ふらふれ入って行きたくなっちゃうじゃないの!

暑さで思考力も低下しているだろうから、つい宝くじも買っちゃうんじゃない?

そういう呼び込みがあったら、買わなきゃ申し訳ない、って意識が働く、ってこともおおいにあるだろうし。

 

 

うまいなぁ。

 

同じものを売る、情報を提供する、にしても、

まずは気にとめてもらう必要があるのだけれど、

その場、その対象に対して、響く言葉(もしくはそれに準ずるもの)を使うと効果的!って好例ですね。

みずほ銀行の宝くじの呼び込みだって、単に「宝くじ売ってますよ」だと、そもそもが興味のない私は気にも留めなかっただろうし。

 

かくいう私はつられそうになったのですが、ちょうどお茶して涼んだ後だったので、

おとなしく地下鉄の駅に向かいました、とさ。