書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

Airbnbってやっぱりシェアリングなんだよね〜

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国内外問わず、宿泊を伴う移動のある生活を送っています。

ここ数年、1人移動の際はAirbnbの利用が増えました。

Airbnbは日常の延線上で過ごせるのがありがたい。

極端なこというと、寝るだけだし、無線LANとかでネットがつながればいいし、長めの滞在であれば台所や洗濯機が使えるのもありがたい。

 

もちろん、ラグジュアリーなホテルや機能性のすぐれた宿泊施設に泊まる楽しみもあります。

それって、私にとってはもはや、エンターテイメントと化したかもしれない。

洗練された空間でホスピタリティーや飲食を楽しんだり、

日常を遮断してくつろいだり、

ってときは既存の宿泊施設がいいわけで。

 

 

これまで昔ながらのB&B(プチホテル、というよりも部屋が空いているから貸すといったところ)も随分泊まったけれど、

同じB&BでもAirbnbは違う。

B&Bは宿泊施設の側面が強いのに対し、

Airbnbは普段の生活のなかで空間をシェアしている感覚。

ハウス/フラットシェアの短期版って感じ。

 

よくAirbnbなど民泊は国際交流だって言われるけど、

それは決して決して第一義じゃない。

そもそも国際交流どころか交流するためのものじゃないし。

部屋があいているからどーぞ、ぐらいなもんで。

ricorice.hatenablog.com

 

Airbnb利用してる、っていうと、「人の家泊まるの怖くない?」って訊かれることもあります。

(こういうのって生理的なものなので、こういう人は民泊を利用しない方がいい。)

これって、そもそも家をオープンにする、ってことの感覚が違うからなんだろーなーと思います。

家をオープンにしていても、一緒にリビングルームとか同じ空間にいてもプライヴァシーは存在するってことが前提にあるし。

 

「人の家泊まるの怖くない?」って発言をする人は人を招く時は、いわゆるおほほほ〜なおもてなしをしないといけないと信じている人。

家のきれいに片付けて、普段はしまいこんでいる上等のティーポットでお茶を淹れるというね

(日本のおもてなしってこれだよね)。

でも、Airbnbとかって普段のまんま。使った人がちゃんと片付けようね、ってなもんだし。マグでお茶のむし。

 

なので、やたら国際交流を掲げているけれど、

AirbnbはおろかB&Bにも泊まったことない人は、

何よりシェアリングってことを理解していないとオーナーになるのは厳しいと思う。

 

 

それと、理解できるのは、貸す側の、家に常に人がいる方がいい、っていう感覚。

私自身、ハウス/フラットシッター(留守だったりの家のお守り、単にそこで過ごすだけだけど)をやったりお願いしたりしたことがあるからわかるのは、

その家に人がいない、不在がちってのは防犯上よろしくない。

空き巣の恰好のターゲットになるってわけです。

いるだけでいい、それがハウス/フラットシッターの役割。

 

 

既存の宿泊施設や民泊周辺の住民が眉をひそめるのは理解できるとして、

ぼんやりと民泊NG、怖い、ってのは、それぞれのプライヴァシーを大事にしつつシェアするってことを経験したことがない、イメージできないからだと思うのです。

 

 

うれしいことは連続する(その逆もあるけどね)

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2001年より成り行きからフリーランサーを続行中な私。

フリーランサーに一番大事な要素は、楽観的であること(次いで健康であること)、な気がますます強まっています。

100%確実な安心なんてないわけで、不安な要素を探し始めたらキリがない。

自分で頑張ってなんとかできることはそうすればいいけれど、

そうでないものは考えても仕方がない。

でも、考えてしまう、という心情はわかる。さすがに時間のムダ、とは言い切れない。なぁ。

なので、考えない度合いが少ない、ってことがフリーランサーに必要な資質かもなぁ

 

もともとそういう資質だったか、フリーランサーになってそうなったのか、

かく言う私も楽観的だと思います。

 

 

で、10月末から11月半ばまでイギリスに行っていたのですが、

行く前に企画がひとつ決定し、

現地に到着したら、もうひとつ別の企画も通った、という連絡が入っていました。

 

 

やった! ほらね、私、ついてる!

って思っちゃうんだなぁ。

でもって、うれしいことやいいことってぐるぐる連鎖するんですよね〜(な気がする)。

 

でも、逆もある。

何やっても裏目裏目に出てうまくいかないときが。

そんなときは、波があるからこんなこともある、やることやってればそのうち上向きになるでしょう、

大体、自分ではダメだなぁと思っていても周りから見れば大したことない(そもそも気にかけるほどのことじゃない)ってこと多いし、と捉え、

落ち込んでいる自分ごとありのまま受け入れ、

必要以上に沈まないようにしています。

 

あ〜、でも、これ資質もだけれど、訓練でできるようになったかもしれないなぁ。

 

食べきれなかった料理を持ち帰る

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日本だとね〜、断られること少なくないんですよね〜。

飲食店で食べ残した料理の持ち帰り。

 

特に生もの、刺身とかを扱っているところであれば気持ちはわかる

(でも、持ち帰るのは焼いたり揚げたり、火を通したものだけどね)。

クレイマーも少なからず存在するだろうし、

でも持ち帰ったあとはその本人の責任、にもかかわらず、

「あなたの責任でしょ」といえないつらさ(言っていいと思うけど)。

であれば、最初から持ち帰らせない方が得策、ってわけ、か?

 

 

先日ロンドンでスマートカジュアルな店にランチ入店したとき、

朝食(しかもたっぷり!)と間隔がそんなにあいていなくって、思ったより食べられず、

最初3コース(前菜、メイン、デザート)でオーダーしたのを

2コース(前菜、メイン)に変更してもらい、

メインの野菜の重ね焼きは半分持ち帰りにしました。

 

さすがにファインダイニングでは食事を摂ると同時に一種アートを楽しむようなところもあり、

そういうところでは作品に手を加えない方がいいかな、と思い遠慮するのですが

(そもそも完食することが多いので残すことって滅多にないのだけれど)、

スマートカジュアル以下では、そのときの状況と料理によっては持ち帰りをお願いします。

 

 

ちなみに、英語圏で持ち帰りのこと、日本で言われているようにドギーバッグって表現するのかなあ?

私は聞いたことない。

シンプルに、「食べきれないので、持ち帰りたいのですが」と切り出すし、周りの人もそうしているような気がします。

容器があればそれに入れてくれるし、

なければ「容器(container)がなくって、(アルミ)フォイルに包む形でもいいですか?」みたいにきいてくれるし。

 

こんなときはチップを多めに、サーヴィス料があらかじめ入っているときは、チップを残して店を出ます。

 

 

そんなわけで、ロンドンで持ち帰りをお願いしながら、

もったいない、もったいない、

食品ロスをなくそう、と言う割に、

食べ残しを持ち帰る行動を日本でほとんどみないってどういうことなんだろう、とふと思ってしまいました。

 

 

精神性の問題?

随分前に南野陽子さん(なんで私は彼女の発言をこんな覚えてるんだろう?(笑))が、

飲食店で食べ切れなかった料理の持ち帰りをお願いしたら、
同席していた、当時おつきあいをしていた方に

「みみっちい」だったか「貧乏臭い」だったか、そんなことを言われたらしく、

芸能人でしかもトップアイドルにまでのぼりつめた人なのに、

生活感覚がしっかりしてるな、と私が感心したのとまったく違う見方をするんだなぁ、と思ったのですが、

もしかして、この意見が多数派なのかなぁ。

だから、食べ残しを持ち帰る行動を日本でほとんどみないのかなぁ。

ricorice.hatenablog.com

 

だとしたら、いくら口先できれいごとを言っていても、

フードバンクも定着しないよね、なんてことも感じてしまったのです。

 

 

老人を必要以上に老人扱いしなくていいんじゃない

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今のお年を召した方、60代なんて全然若いし、

70代だって現役バリバリ、80代だって元気はつらつな人が、多いことよ!

 

もちろん加齢による衰えは否めないだろうから、個人差が大きいけれど、

それでも、全然若い(体力もある!)人が多いよねぇ。

 

そういう方たちが何かを成し遂げたり、実行したりを報道するのに、

まず老人というフィルターを通すのって、なんだかなぁ。

単に、こういうことをされました、でいいのに。

 

そして、彼らに呼びかけるときに“おじいちゃん” “おばあちゃん”っていうのもねぇ。

○○さん、って呼べばいいのに。

 

 

何かを伝えるときに、年齢とか性とか人種とかでまず分類分けして、

そこから眺めるのって、本質からかけ離れるし、

だいたい本人に失礼じゃないか、って気がするんだけどなぁ。

40年近く前より安くなっているなんて

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UCCの缶コーヒー、懐かしいな〜。

 

小学生のころ、半ドンの土曜日に、家に帰らずそのまま外で過ごすときに、

これと大きな菓子パン(ヤマザキパンが作っている、ヒマワリパンという名前のメロンパンを大きくしたようなもの、だったと思う)をランチに食べるのが楽しみでした。

買って食べることはごくたまのことで、その行為が楽しみだったというね。

 

そのとき、缶コーヒーもパンも100円で、消費税が導入される前だから、

ぴったり200円をもらっていた記憶。

 

 

久しぶりにみたUCCの缶コーヒー。

デザインも大きさも変わりない(マイナーチェンジはあったかもしれないけれど)。

違ったのは値段。

なんと80円!

40年近く前より2割も安くなっているとはこれいかに!

いやはや、100円でも文句言わないよ。

タクシーでチップを払うのって珍しい、のか

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私がタクシーを利用するのは、

終電車/バスを逃したときと荷物が大きいとき。

後者の場合は、距離がぐんと近いにも関わらず、ってことが多く、

荷物の出し入れを手伝ってもらうので、

端数を切り上げ、気持ちばかりのチップ(缶コーヒー代ぐらいですが)を渡しています。

 

ときどき言われるんですよね〜。

「近頃じゃ、チップもらうの珍しい」って。

 

義務じゃないし、料金に入っているといわれればそれまでだけれど、

・目的地まで運んでくれる
という本来よりも過分なことをしてもらっていると感じるので、

わずかなチップでも感謝が伝わればそれでよし。

 

 

今って、タクシーを利用して、そのときになにかしてもらっても、それも料金のうち、とかっちり支払っているんだろうなぁ。

つい先日も「チップ? いいんですか? 最近じゃ珍しいですよ」、そんなことを言われたのでした。

大昔に読んだ本を再読する愉しみ

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ここのところ、『闇の奥』『蠅の王』『一九八四年』と、

大昔(いずれも20年前後)に読んだものを読み直しまして。

 

今読む方が俄然おもしろい!

というか、以前は理解が及んでおらず、いや、今もかもしれませんが、

さ〜っと表面をなぞるような読み方だったのが(それでもおもしろいなぁ、とは思ったんだけど)、

今はくいくい心の奥の襞に言葉が入っていく感じ。

訳もいいんだろうけど、ね。

 

なわけで、今、調子にのって『一九八四年』を原書で読んでいるところ。

改めて、ジョージ・オーウェルは文章がうまいなぁ。

わかりやすい平易な言葉を使っているし、

なんせ日本語訳を読み直したあとなので、

ところどころ分からない言葉をすっ飛ばしても、整合性がとれたままですいすい読める。

 

 

年齢を重ねたから、これらの本のおもしろさを唸るように感じるのか、

たまたまそのときの私の波長と合ったからなのかわからないけれど、

そしてもしかしたら、普段ネットでぱぱぱっと情報を拾うからこそ、

逆にいったんに本に向かうと集中してその世界に浸かれるのかもしれないけれど、

冒頭であげたいずれの本も今読む方がだんぜんおもしろい。

 

それの理由が、年齢を重ねることからきているのが大半であれば、

年をとるのはやっぱり悪くない、むしろいいことなんだと思うなぁ。