書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

とりあえずランニングシューズを入手!

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突如、走ろう!と思い立ち、
ricorice.hatenablog.com

 

数日経ってもその思いは消えなかったので、

これは体が本気で求めてるんだな、

最初は100m、200mしか走らなくても、

着るものは手持ちのTシャツなどででよし、

でも、ランニングシューズだけは必要!と入手しました。

 

入手して、出張が入ったり雨降りだったり、

気づけば日が暮れていて(慣れないうちは明るいうちに走ろう、と思っている)、

なかなか始められないなぁ
(始められないも何も。自分次第なんだけど。。。)

 

で、はた、と自分が靴ズレしやすいことを思い出し、

まずは靴と自分の足をならさなきゃ、と普段履きを開始。

 

おおお〜、軽い! 歩くのも楽しくなる。どんどん歩きたくなる。

まだ、近所を歩くぐらいだけれど、とりあえず靴ズレは起きていない。

 

さあ、そろそろ走るとしますか、ね。

天気が味方してくれると、それだけで仕事の充実度が高い

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8月下旬から打ち合わせなどで仕事の外出が増え、出張もちょこちょこあります。

 

つくづく、私って、晴れ女。

 

ピーカンといかないまでも雨が降らない。

 

 

これって、すごおくありがたいんです。

外の撮影があれば、お天気がいいだけで、いい仕上がりの写真になる、わけですから。

 

大きな荷物を持ち歩くことが少なくなく、

濡らす心配がない、傘をささなくていい(傘をさすと片手が埋まる)、っていうのは大きい。

それと、泊まりの出張だと、私の場合、車移動ではないので、

スーツケースを持って飛行場や新幹線の駅まで行くわけですが、

これが雨だと大変!なのですが、

雨にぶつかったことがほとんどない、っていうのは、本当にありがたい。

 

 

天気が味方してくれると、やる気が出るし(少なくとも削がれない)、

それだけで半分終わった気分になる。

 

以前に、外での撮影の多いカメラマンさんが、

長く仕事を続ける条件は、晴れ男/女であること。

とおっしゃっていたのに、妙に納得!です。

 

生理的に苦手なものは苦手なのよ

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私の場合は、8月下旬ぐらいからなぁ、

少しずつ外に出る機会が増え、

ちょっとお茶、サクッとランチ、ゆっくりファインダイニング、などなど食事の機会も増え、

実は自分はこういうこと、気になるのだなぁ、と再確認したことがありました。

 

何か、っていうと、

私は細かいことは気にならない方、だとは思うのだけれど、

食事の時のふるまいが目について、苦手なものは苦手なんだな、って思ったんですよね。

 

きっちりかっちり、は自分でもできないし、

基本楽しければいい、と思っているんだけれど、

箸やカトラリーの持ち方が明らかにアレレ、だと、

肘をつく、を目にすると、

なんだかザワザワしてしまう。視界に入らないで、って思ってしまう。

理屈じゃない、不快なものは不快なの。

 

サクッとひとりランチの際に目にすることが確率としては高いなぁ。

ひとりだし、大きなテーブルで相席のときに目の前の人が食事をする、って状況は出くわしやすいのかもしれない。

 

知っている人がそうだったら、私の中で一気に評価が下がり、

一緒に食事に行きたくない、って思っちゃう。

いい大人に対して、注意もしないなぁ〜。

 

 

ただ、快/不快のポイントは人によって違うから、

何かしらの自分のふるまいもそう思われる可能性がある、のよね。

人を介して話を聞くとリアリティがある

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私の子供世代、と言ってもおかしくない方と、お仕事で一緒の時間を過ごしました。

私が51歳で、その方は28歳とか、だったかな。

 

普段はメールでやりとり、たま〜に電話、ぐらいで、

実際に会って、ってことはごく稀。

今回初めて、長時間一緒に過ごしました。

 

長い時間一緒だと、他愛ない話をする時間も長く、

今回初めて、要件以外、仕事以外の話もいろいろしました。

 

 

おもしろいなぁ。

同じことでも、ネットニュースなんかだとぼんやりとしか届かないのに、リアルな人を介してだとリアルに響く。

 

その一例。

「恋愛や結婚のきっかけはマッチングアプリがめちゃくちゃ多いですよ〜。

コロナになって合コンとかもできなくなっちゃったし、余計にその傾向が強くなっていますよ」

その後、身近なに起こったことをいろいろ教えてくれました。

 

おもしろいねぇ。

一見どうでもいい話って、自分がピンときていない世の中の事象に色をつけてくれるなぁ。

 

結局、量なのかな、と思う

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編集の仕事を始めて30年近く経ちました。

必然的に、書く、ことも付きまとい、時にライティングだけ、という仕事もしています。

 

 

2010年代、書くことが怖くなりました。書けなくなりました。

いや、ちゃんと納品はしていましたよ。

一応、一定の質で持って、ではあったと思うけれど、

本人としては、今ひとつしっくりこない、消化不良が残っていたのです。

 

それまでは、おそらく素直に書いていたのでしょう。

でも、続けているうちに段々と欲が出てきて、もっと上手に書きたい、と思うようになり、

同時に、自分の書いたものも客観視できるようになり

(まあ、これは編集者として仕事をしているから、かもしれないけれど)、

ジレンマが始まったのです。

 

文章の綴り方(テクニック)、みたいな本を何冊も読みました。

正直、目新しいことはなくって、普段意識的であれ、ぼんやりであれ、感じていることが整理されている、って感じ。

 

その長い、いわばスランプの状態が、ここに来て、ようやく脱出できたようです。

ある程度肩の力を抜いて、素直に文章が書ける。

 

 

技術はあった方がいい(かもしれない)。

技術を持ってすれば、それなりのことはできる。

“そんなもん”と割り切って、とにかく量をこなすのであれば、「上手になりたい」なんて思わずに、ひたすらこなす。むしろそれでいいのだろうし。

 

でも、自分で書いたものに納得しながら続けるには技術じゃ足りない。

テクニックはあくまでライティングをするための手形にすぎない、んですよね。

 

 

では、どうすればいいのか、って言うと、

とにかく書く、とにかく読む、その中で考える。

アウトプットしてインプットして考えて、その繰り返し、の中で培われる、っていうのが実感です。

 

 

語学なんかがわかりやすいのですが、ごく稀にその道に恐ろしく適性がある人がいます。

そう人はさしたる努力をしなくても、すいすい会得して、あれよあれよと言う間にできる人になるんですよね。

 

でも、一般的な人はそうはいかない。

じゃあ、どうするか、っていうと、とにかくやる、ひたすらやる。

なぜなら、やる量に比例から。

 

ひたすらやる日々で、できるようになったって実感するのは、少しずつ、ではないんですよね。

やってもやっても変化がないように思える期間が続き、ある日突然視界が開ける。

その繰り返しで、少しずつ力がついていく。

そのためには、日々ひたすらやる(ときどきまとめてドン!ではなくってね)、に尽きる、と思うのです。

 

 

書く、ことも同じ。

小手先のテクニックだけで書いてある文章は、一見できている風なので、クライアントさんはよし、とされるのかもしれませんが、それらしい言葉が散りばめてあるだけで、いち読者として読んだときに、ちっとも響かない。

そもそも書き手が読者を向いていないわけですから、響くわけがない。

 

 

テクニックの先にあるもの。

それは自分で掘り起こしていくしかないし、人によってもまったく違って、そうして個性につながるんだろうなぁ、って感じています。

変わらないようで、変わるようで

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ここのところ、久しぶりな人に会うことがちょくちょくあります。

 

半分リップサービスと思って聞いているのですが

「変わらないねぇ〜」と言われます。

 

確かに、体型はほとんど変わっていないし、ポツポツ白髪があるものの髪の毛は黒いし量も多いし(染めていない)、着るものもあまり変わっていないし、もともと化粧っ気もなかったし、で

外的変化の要因があんまりないのかもしれないけれど、

それでもシワ、シミ、たるみ、etc加齢は如実に表面化しています。

 

私は、アンチ・アンチエイジングなので、年相応で十分。

私が相手を見て、歳とったなぁと思うように、相手だって私に対して思うわけで。

そりゃそうよ、50歳を超えたもん、初老だもん(マキタスポーツに言わせると中老、らしいけど)。

 

 

で、先日、「変わらないけど、表情が柔和になった」と言われて、へぇ〜、って思ったんですよね。

確かに、20代の頃はなめられちゃいけない、もっともっと、できりきりしていたけれど、

今は、なめられちゃいけない、なんて思わなくなったもんなぁ。

きりきりもあまりしない、か。

大概のことは、大きく構えるようになったもんなぁ。

 

諦念というか達観というか、じたばたしても仕方がない、なるようにしかならない。

ストレスが軽減され、それが表情に出ているのかも。

 

身のかわし方もうまくなったのでしょう。

私は、軽んじられる、小バカにされることが多く、

相手をそういう人だと思っていても

人間の尊厳を傷つけられるのは、いい気がしない。

なので、人間関係を切る、か、それができなければ、最低限の付き合いに留める。

 

 

年齢を重ねるっていうのは、その人(の本質)に近づく、ように思えて、

それって顔や身体の造作、というよりも、顔つきや表情に確かに表れるのよね〜。

 

 

果たして、柔和になったのがいいのか悪いのか、

いいも悪いもなくって、私はそういう変化をしたってことなんだろうな。

みんなが好きでみんなが知っている、わけじゃないから

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ジブリが苦手。

ディズニーが苦手。

 

他にもいろいろあるけれど、大多数の人が大好き!といって憚らないものが、

私には、苦手だったりします。

 

それ自体が苦手、っていうのもあるけれど、そこにまとわりついている空気感がどうにもダメなんですよね〜。

 

たいていの人は、“みんな好き”“みんな知っている”を前提に話す。

 

「苦手なんですよね」と言うと、「なんで?」と驚いたような顔をして、人間失格のような憐れむような視線を私に向ける。

ジブリが苦手”“ディズニーが苦手”を単に個人の嗜好として気軽に言えない空気感が、心底苦手なんだよなぁ。尋問されているみたい。

 

私がジブリやディズニーが苦手なのは、その根底にある “子供は無垢”という前提。

“子供は無垢”じゃないよ、邪悪な面もたくさんあるよ〜、大人と同じだよ〜、という私の認識と大きくずれているんだよなぁ。

そして、とりわけジブリは、いいおじさんが少女ばかりを主人公にしているのも、とにかく気持ち悪くって仕方がない。

 

 

私のジブリ・アレルギーは筋金入りで、映画『ルパン三世 カリオストロの城』をリアルタイムで観た時から。

 

こんなの、ルパンじゃない!

安っぽいヒューマニズムは求めていない!

このやわらかい絵柄はなんだ!

 

私は子供の時分もアニメをあまり観なかったのだけれど、

それでもテレビアニメのルパンシリーズは好きだった。

劇場版第1弾の『ルパン三世 ルパンVS複製人間』は好きだった。

それを思いっきり壊されて、怒り心頭になり、今もその時の心境を思い出すと、今もムカムカしてくるんだよなぁ〜。