書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

体験に基づくこと言葉って、説得力があるなぁ。

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ああ、そうか!

 

頭ではわかっていたつもりでも、自分の体験を通したり、人の話を通じて、初めて腑に落ちることがあります。

 

ある日、1970年代に喫茶店で働いていた人と話したときのこと。

「そういえば、喫茶店のコーヒーゼリーを集めた本があるんだよ、店によって違いがあってね」

「ああ、昔の喫茶店はそうね。店で作ってたから、そりゃ、違いも出るでしょ」

「ん?」

「今みたいに既製品が出回っていたわけじゃないから、店で作らざるをえなかったの。意識したわけじゃないだろうけど、そりゃ違いは出てくるよね」

「ああ、そうか」

「作るのって、やっぱ手間がかかるのよ。既製品が出回るようになり、チェーン店もでき、今だとコンビニでもコーヒー飲めるし、缶コーヒーもおいしくなったでしょ。あと、昔は今みたいに娯楽がなかったから、喫茶店でゆっくりするのもそのひとつだったけど、今は違うし。そんなこんなで喫茶店がなくなっちゃったんだよね」

 

 

メディア関連の人じゃないし、経済に明るいわけでもない。でも経験に基づく言葉って含蓄がある。

なんとなくぼんやり感じていたことが、がぜん説得力をもって畳み掛けられた気分。

 

でも、今、かつての喫茶店とは違うけれど、カフェやアルチザンコーヒーのような形で、ある意味振り戻しが起こっているのはおもしろい。

あっ、でも、こーゆーの喫茶店だけじゃない、か。

なんでもそーだよね、振り子のように行ったり来たりしながら、でも進んでいっている(のかな?)、だから以前とは同じではないのよねね。

 

 

 

日本病(もしくはそれに該当する言葉)が流布するのは時間の問題

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南アフリカケープタウンよりも、スリランカコロンボよりも、タイのプーケットよりも、韓国のソウルよりも、中国の北京よりも、ペルーのリマよりも、チリのサンティアゴよりも、ニュージーランドオークランドよりも、オーストラリアのダーウィンよりも、シンガポールのチャイナタウンよりも、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロよりも、

東京は安い!

 

まあ、そうだろうなぁ。

www.dailymail.co.uk

 

これ、イギリスの新聞「Daily Mail」にあった記事。

郵便事業が、長距離旅行先(なのでヨーロッパや中近東は含まれない)30エリアを対象に調査。

具体的にはコーヒー代やビール代@カフェ/バー、外食費、日焼け止め、虫よけなどの項目の平均的な値段から割り出したものです。

 

東京がもっとも安く、しかもダントツに安い、

という結果に。

 

 

もはや、今さら、って気はしますが、でも、そう捉えていない(思いたくない?)人が多いのも事実。

そんななか、そろそろこれが世界的な常識になるってこと。

 

というのも、これまで同じ新聞メディアでも高級紙では言われていたことだけれど、

これを掲載したのは、タブロイド紙の「Daily Mail」だから。

日本と違ってすべてのものにクラス(階級)があるイギリスでは

(いい/悪いのぜひはともかく。そしてそれは住民の意識もあらかじめそこにある“そういうもん”)、

一般の人が高級紙を読むわけではない。

もちろん今の時代なので、そうとばかりは言えないのだけれど、

それでも一般的なとことろでは、まだまだその認識が通用するかと思っています。

 

日本におきかえると、日本経済新聞とか朝日新聞などは知識層とかミドルクラス以上とか、

限られた人が読者。

では、大多数を占める庶民(ワーキンングクラス)は何を読むか、というと、タブロイド紙

ちょっと違うけど、東スポとかが該当するかな。

 

「Daily Mail」は東スポみたいなもんで、そこで、こういうニュースが掲載された、ってのが、ね。

 

1980年代のイギリスは英国病なる言葉もあったほどの不況まっただ中。

サッチャー政権は外国企業を誘致し、そこで日本企業ががんがん乗り出していったので、

ある年齢以上の人は、そのことを脅威であり驚異として覚えていて、

そのため必要以上に“日本はリッチな国”というパブリックイメージを抱いている人が多いのですが

(なので、日本に来て、その安さに余計にびっくりするよう)、

それもついに崩されるんだろうなぁ、なんて思ったわけです。

 

“lost two decades(失われた20年)”なんて呼ばれ、

“英国病”ならぬ、“日本病”みたい名称がつけられ、

経済に明るい人の間だけでなく一般常識として世界に流布されるのも、

時間の問題、かもねぇ。

 

ブログの最大のメリットは、会う前にその人がわかること

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私の場合、ダイレクションという立場で仕事をすることもあります。

企画に応じて、スタッフをお願いする。

というと、なんだかぼんやりしてわかりづらいかもしれませんが、

映画で配役を決める、とかそんな感じ。

バシッと決まったときは、予想以上に出来がよくなりますから。

 

私の場合、書籍だったり雑誌だったり小冊子だったり、と紙がほとんど

(ウェブだとアドバイザー(オブザーヴァー?)やライターとして入ることはあっても、ダイレクションは、ないなぁ)。

ライターだったりカメラマンだったりデザイナーだったりを決めるわけです。

 

すでに知っていて、間違いない!で選ぶこともあれば、

その方にとってメインではないけれど、実はこれ向いてるんじゃない?でお願いすることもあります。

以前、一見ふわっとした雰囲気のある写真を撮りそうな方に、拝見したご本人のポートフォリオもそんなものがメインでしたが、ちょっとだけガッチリと骨格のある写真が混じっていて、

あっ、これいけるんじゃない!
と思ってお願いしたことも。

そういう変化球の起用がうまくいくのは、新しい引き出しを探し当てたようで、愉しさでもあります。

 

 

先日、誌面でクレジットは拝見していて、またそれとなく面識はあったものの、

初めましての方と仕事をしました。

もちろんおおよその傾向は把握していたものの、

お願いした決め手はブログ。

そう頻繁ではないけれど、こちらに日常を投稿してらしたんですね。

もちろん日常といっても間接的には仕事につながるわけですが、

それでも、いかにも仕事!作品!ではない分、逆にその人となりがかわる。

 

 

その方はフェイスブックやインスタグラム、ツイッターなどはやっておられず。

ウェブサイトを持ちたい、と思っているものの、まずはブログで、とのこと。

ファイスブックなどのSNS、悪くないんですよ。でも、もっとプライベートのつぶやきに近く、かつコミュニケーションの場で、ここでバリバリ職業を意識して見るってこと、ほとんどないなぁ、私の場合。

いや、結果としてはあるのだけれど、そこそもそれが目的じゃない、っていうか。あまりに前面に出てると引いちゃうし。

 

そしてSNSの最大の難点は情報が流れること。

アーカイブになっていない、さくっと以前の投稿が見られない(見づらい)

 

 

ブログだと、そのあたり見やすい、分かりやすい。

否が応でもその人の世界がしっかり構築されているわけで。

 

ウェブサイトも悪くないけれど、そこで掲載するものってやっぱり選ばれたものなので、

よそゆきなんですよね。

ブログの方は素に近い。

継続するためには、恰好つけられない、ってのがあるし。

だからこそ、その人がどういう人かがわかる。

一緒に何かをする前に、その手がかりがあるって、とても助かる!なのです。

 

 

確かに、メディアで仕事をしている人のなかに、

ブログをやってらっしゃる方もいるにはいらっしゃいます。

いなくはいない、なくはない。

 

この心理、ものすごおおおおく理解できるのですが、

つい、きちんとしたものを出そうとして、それがゆえに更新の頻度が低くなり、

そうやって出されたものは、隙のない作品、なんですよね。

だから、意外とブログをやっている人は少ない。

仕事以外で仕事をしたくない、という心理的ハードルがあるから。

 

それはそれでいいのだけれど、

もっと気軽なものであってもいいのになぁ、と感じます。

その日常を切り取ったなかにこそ、その人が出るから。

 

ごく一部のトッププロは多少性格に難アリだろうと(実際は、むしろやさしい、気遣いをしてください)、

どうしてもこの人に!と仕事をお願いするわけですが、

そうでない場合って、相性とかタイミングとかが大事になったりします(もちろん、いつも確実に及第点のとれる仕事をすることが前提です)。

そんなときに、この人に会ってみたいな、仕事してみたいな、って感じるのにもっとも適したツールはブログなんじゃないか、って思うのです、今のところは、ね。

自分が手がけたものは、自分でも買う

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先日、びっくりされたので、逆にこっちがびっくりした件。

 

でき上がったものはもちろん見本としていただきますが、

それとは別に、私、自分が手がけたもの、書籍なり雑誌なり商品なり、

自分でも買います。

 

見本としてもらうのは作り手として。

自分で買うのは一般ユーザーとして。

 

なので、出版社やメーカーなどを通せば安く買えることも実のところありますが、

そうではなく、あくまで、一般のお客として買う。

 

本屋やオンラインで並んでいるのを見て、

自分の財布を開く、という行為は、

見本をもらうのとはまったく別の感覚。

 

・目立つな! こういう表紙にしておいてよかったな
・内容から考えると、もう少し高く設定するのもありだったな
などと、それまで見えなかった商品としての気づきが出てきます。

 

内容がどうこうは、自分で買う/買わないはさほど関係ないけれど、

商品として、お金を払う価値があるかどうか、を客観的に感じるのは、やっぱり身銭を切らないとわからない。

 

もっとも、できたてほやほやを買うときは、

ただただ、売ってる〜! うれしい!ではあるのですが。

 

 

昔、ときどき懸賞に応募して、

するとよく当たっていたんですね、

映画とか、ライブとか、展覧会とかのチケットが。

 

一度痛恨のミスをやらかしまして。

行きたかったライブだけど、どうしてもってわけじゃなく(どうしてもだったら確実性を重視し、自分で買う、んだよなぁ)、

すると日にちを勘違いしてて、気づいたときには終わっていた、という。。。

 

 

仕事で手がけたものを自分でも買う話と、この話は若干論点がずれているのですが、

要は、身銭を切るっていうのは、それがその金額を払うだけの価値があるのかどうか(これは相対的なものではなく絶対的なものにはなるのだけれど)を見極めることにもなるので、圧倒的に真剣度が高くなる、んだよなぁ。

 

 

バカに見えることと賢く見えることと、どっちがいいのか

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本人がそう感じているだけでなく、周囲の人にも言われるので、確かにそう映るのでしょう。

私は、バカだと思われています。

いや、違うな。

ふぅ〜ん、この人よりはマシ、と下に見られている、という方が正しいかな?

ぼ〜っとして抜けて、スキだらけに映るみたいです。

 

いや、実際にその通りで否定はしないんだけど、さ。

たいがいのことは、はいはい、って受け流すのだけれど、

ただ、それって人としてどーなの?って、理不尽な目に遭うのは、

このバカに映ることが理由なのは間違いないでしょう。

まっ、いいけどさ。

 

 

あるとき、もちろんそれまでもつきあいはあったのだけれど、

一時期、仕事でぐっと濃い時間を一緒に過ごした人から指摘されたこと。

 

「バカ、っていうよりさ、この人には何言ってもいい、受け止めてくれるって思われてるんじゃない?」

「そうなのかなぁ。でも、受け流すだけで、受け止めはしないよ」

「うん、その受け流すってのがさ、向こうにしてみれば受け止めるになっちゃうんだよ。頭から拒絶しないでしょう」

「そーだね、頭から拒絶するのは、ものごとの最中じゃないね。終息して冷静になってからだね」

「拒絶しない、ってのがキーだよ」

「そっかぁ、そういうことかぁ。以前某仕事で、向こうのご機嫌が悪いことがあって、あーそうですか、そうですか、ってひと通りきいたあとで、それでですね、この件ですけど、って本題に戻したら、“のれんに腕押し”って言われたなぁ」

「受け止めたわけじゃないんでしょ?」

「受け止めない。なんかイラついてるなあ、ってもんで。でも、どう考えてもその怒りの原因って誰のせいでもなくって、あえていえばタイミング悪かった、みたいなことで。私に言われてもなぁ、だったんだけど。ほかに持って行き場がなかったんでしょ」

「うんうん」

「そのときは、それで終わってさぁ。でも、その人、えらい!と思ったのは数日後謝ってきたの。猛省したみたいで、お菓子もつけてさ」

「それはえらいねぇ〜。なかなか謝れなかったりするもんね」

「そうそう。その人キャリアのある人で、私、まだぺーぺーでさ。年齢とかキャリアとかそんなの本当は関係ないじゃない? でも、それだけを理由に威張ってる人多いから、余計に、ね。
山場が過ぎたあとも、自分こそが正義!でむしろパワーアップしてガンガン押し通す人いるし、そういう人の方が多いかもね。まっ、そういう人は、終息と同時にフェイドアウトなんだけどね」

「あはは」

「そういう人って、マウンティングしまくっているわけよ。自分より上と思う人には、絶対にそんな態度をとらない。私のことは完全にバカだ、自分より下だって思っているから、何言ってもいい、そういう態度で挑む、っていうね」

「ああ、そういうことね」

 

 

賢くしっかり見える友人がいます。

その人は、それがゆえに周囲の期待値が高くなり、

そうじゃない自分とのギャップに悩む、んだって。

それに応えなきゃ、頑張ってやんなきゃ、で疲労するらしい。。。

 

 

ああ、なるほどね。

賢く見られたいとは思わないけれど、

必要以上にバカと思われているのは果たしてどーかな?って気持ちがないわけではなかったので、目からウロコな話。

 

 

どっちもどっちかぁ。

 

小さいことはいいことだな、の好例

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ドライハーブはまあまあ使うけれど(生はよく使う)、

ドライスパイスは積極的に使う方だと思います。

ちょっと加えるだけで、風味が格段に増すので、料理の腕が上がった気分になる、同じ料理でもスパイスひとつで別物になる、と重宝しています。

 

ですが、たくさん使うものじゃないんですよね〜。

1回買って、そのまま何年も棚にいる、って人は多いのではなでしょうか。

使うことあっても、よっぽど積極的でないと、使い切ること、むずかしいんじゃないかなぁ。

 

先日、コリアンダーシードが少なくなって、輸入食材店のカルディに向かいました。

で、棚を見ると以前のものよりもパッケージが小さい。半分ぐらいかな?

 

そうよ、そうよ、以前のスパイスの量はさすがに多かったのよ。

スパイスは一度に使う量なんてたかが知れているし、少量の方がいいのよ、手にとりやすいのよ、躊躇なく買えるのよ。

 

が、違った!

量は変わらず、パッケージが細長くなっていたので、小さく見えたのでした。

 

 

カルディがどういう意図でパッケージを細長いスタイルに変えたのは分かりませんが、

小さく見える効果を狙ったのであれば、大成功!

そうでないにしても、視覚で受け取るイメージの違いって大事だなぁ〜、と再認識した次第です。

腹八分って、つくづくむずかしい!

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私はロングスリーパーです。1日8時間は寝てるかなぁ。

寝つきもいいし。

いつでもどこでも眠ることができるのは、

移動がそれなりにある仕事ってこともあり、ありがたい。

 

基本、夜は強くて朝が弱くて(とはいえ、なるべく朝は8時台には起きるようにしていますが)。

そして、一日のうちで魔の時間帯は、午後。

2〜4時は眠気のピーク。

外に出ている、切羽詰まっている時以外は、

起きていてもどうせ使い物にならないので、1〜2時間昼寝をします。

 

それと、当然ですが、満腹だとすぐに睡魔が襲ってきます。

となると、毎食後寝ることになってしまうので(どうしてもガマンできないときはそうするけど)、

となると、食べて寝てしかしてないじゃん!ってことになるので、

たまにはそういうことあってもいいけど、それが日常と化すと、う、う、う〜んとなるわけです。

 

腹八分目で、もう少し食べたいな、ぐらいで納めればいいのですが、

これがむずかしいですね。

少ないかな、ぐらいを取り分けるものの、

食べ終わったときに心がぐらぐらします。

 

う〜ん、もうちょっと食べたい。

 

すぐに歯を磨くか、ミルクティーかコーヒーを飲むか。

そうして、口の中をおしまいモードにもっていく。

 

それでも空腹を感じるときはチーズを少しかじるかドライフルーツやナッツをつまむか。

一応、食べる量を決めてお手塩に入れるのだけれど、

食べ始めると食欲が刺激され、もっと!となり、

そして気づけば、あれ〜、けっこう食べてる!ってことも少なくない。

 

 

ほどほどってむずかしい。

でも、腹八分だと、(午後以外は)食後に睡魔が襲うことがほとんどないので、

ほら、眠くならなかったじゃない、思い出して!って自分に言い聞かせるようにしていて、

これがいちばん効く、かなぁ(抗うことも多いけれど)。

 

本能だからある程度は仕方ないのだけれど、

ストレスを感じずしての、食欲のコントロールって、むずかしいねぇ。

つくづく。