書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

週末3連続撮影のはじまり、はじまり

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1カ月前ほどに相談を受けた企画が確定となり、

「やるならとっととやりましょう!」と提案し、

急遽12月は毎週末、撮影日と相成りました。

 

撮影するだけでも、あれやこれや準備が必要なのですが、

今案件はその準備の大部分が自分の肩にかかっており、

先日第1回が終了。

無事終わって、とりあえずひと安心。

 

撮影前は、2日前からエンジンがかかり、それ以前もつらつらで、

なかなか気が休まりませんが(そうでもない、か)、

さあ、どうしよう、と構想を練る段取りはできていて、先が見えているので、気は楽。

やることをやるだけ。

とはいえ、そのやることは、簡単なことではないけどね。

 

 

撮影が終わったら終わりではなく、

いよいよ仕上げに向かって走るわけだけれど、これは自分で淡々とこなす部分が大きい。

ゴールは見えているので、粛々と進めるとします。

 

ネスレって今こういうキャンペーンやってんの?

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つい先日、飛行機(Skymark)を利用したときのこと。

乗り込むときだったかな、ネスレソリュブルコーヒー(インスタントコーヒー)の試飲をいただきました。

 

その数日後、お願いしていたものが届き、箱を開けたら、

またしてもネスレソリュブルコーヒー(インスタントコーヒー)の試飲分が同封されていまして。

その方はいつも、サンプルがあるから、と隙間に

お菓子だったり、ティッシュペーパーだったりを詰めて、

これまで何回か箱を送ってもらったことがあるけれど、

ネスレソリュブルコーヒー(インスタントコーヒー)の試飲が入っていたのは初めて、

 

ということは、その方の事務所にネスレソリュブルコーヒー(インスタントコーヒー)の試飲分があるってことよね。

よくある試飲や試食って、大きな駅の近くや繁華街で配られる印象だったけれど、

こうやって、不特定多数というよりも、もう少し絞って、サンプルを渡すようにしている、ってことなのかなぁ。

 

まあ、確かに誰かれ構わず、よりはいいのかもしれないな。

どういうところにサンプルを配っていて、誰に届けようとしてるのか、知りたいな。

 

一体いくつに見えるんだろう?

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私は、アンチ・アンチエイジング派で、

歳をとることの何が悪いんだ?って思っているし、

若い、と言われるのが褒め言葉というのが解せない。

 

年齢相応。

 

それでいいです。

それ以上でもそれ以下でもなくて、実年齢でいいです。

 

なので、別段年齢を聞かれたら答えるし、自分で言うし

(まあ、そんな状況はそんなに多くないけど)。

 

先日、打ち合わせで、類書を見ながら、あれやこれや言っている中で、

年齢を掲げたページが出てきて、

「50歳ねぇ。もう片足突っ込んでますからねぇ」

「えっ、誰がですか? ○○さんが、ですか(一緒だった別のスタッフの方)」

「私ですよ。1969年生まれだから、来年50歳」

「ええええ〜っ! 嘘でしょう!」

「いやいや、もう、おばさんどころかそろそろおばあちゃんでもおかしくないねですぇ」

「本当に?」

「嘘なんてつかないですよ。最近になって老眼かな?って思うことありますよ。たま〜に細かい文字が見づらかったり。前はなかったのにね」

 

白髪もちらほら出没し、老いは確実に襲っているわけで、

素直に受け入れようと思っています。

 

 

ただね、いくつだからどういう、という概念がなくって。

赤とか緑とか、カラフルな色の服をも着てることが多いから、それで若く見えるのかなぁ。

 

私は原色が似合うのだ!

というか、ニュアンスのある色、くすみのある色、微妙な色がまったく似合わないんですよ。。。

東京の怖さは治安じゃないのかぁ

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地方在住の親戚の20歳の女性を東京でアテンドすることになりまして。

といっても、一緒に泊まるのと(多分)出迎えだけで、

別段、日中の行動は同伴するわけではない模様。

 

ひとりで大阪に泊りがけで行ったり、名古屋に行ったりもしてるじゃん。

旅行で行く場所なんて限られているわけで、東京は治安は全然悪くないよ。

そもそも両親とも学生時代+数年は東京で暮らしていたから、

そのあたり、知ってるでしょう。

その女性はひとりで行動するタイプなので、別に私、要らないんじゃない?

 

本人のプライド(?)もあるだろうから、親に聞くと

「あ〜、治安とかそういうことじゃないみたいなんだよね〜。

東京の怖さは別のところにあって、情報と人の波っていうか、さ。

テレビで放送するのは、キラキラした部分だし、今、そういう情報番組が多いし、

それに圧倒されてるんじゃない」。

 

なるほど!

 

30年以上前、私が大学受験で初めて東京に来たとき。

今みたいに情報は氾濫していなくって、でも、想像力だけはたくましかったから、

AKIRAとかブレードランナーとかの世界を想像していたんですよね〜。

そしたら、確かに人は多いけれど、ふつーじゃん!で、

JRの恵比寿の駅は、当時まだホームに行くのに陸橋で、田舎の駅みたい、って思ったんだよなぁ。

あと自動改札じゃなかったのも、逆にびっくりしたんだよなぁ(関西(大阪?)は自動改札だったから)。

 

でも、今はどこの駅も周囲にビルがビシバシ。

でもって鉄道の相互乗り入れが物事を複雑にしている、気がします

(渋谷駅は何で相互乗り入れにしたんだろう? そんなことすると人が降りなくなって、渋谷が単なる通過駅になるのは自明なのに)。

この進化に比べると、地方は停滞、進化していても歩みは遅いわけで、

そのギャップがますます広がっているから、

でもって東京の情報は氾濫しているから、

余計にたじろいじゃうのかもしれない。

 

まあ、確かに、日本だと東京だけが突出してるからねぇ。

肩を並べたがる街もあるけれど、次元が違うんだよねぇ。

 

 

今の若者は生まれ育った場所を離れない、っていうのは、

経済的なこともあるし、どこ行っても生活そのものは変わらないかもしれないけれど、

この膨大な情報を体現しているところの渦に呑まれることへの躊躇もあるのかもしれないなぁ。

 

人がこれはどう?っていってくれるものに、基本従順です

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先日、初めましての方にお目にかかったとき。

「本当は私の部署ではなく、別のところの方が適していそうですね。

ご本人としても、そうじゃないんですか?」と。

 

そういうの、方向性としてはあるし、

「こういうのやりたい!」ってのは、より具体的な企画であって、

大枠としては、よっぽど興味が引っかからない内容以外は、

あらかじめ条件を提示してくれて(ビジネスとしてのスタンス、ですね)、

問題なければ引き受けるんですよね〜。

 

というのもですね、

この人、私のこの部分をいいと思ってくれるんだ〜、というのが新鮮なのです。

へええ〜、って思っちゃう。

本人にはわからない。もしかして、と思っても確信がもてない、

もしくは私の評価はここなんだ〜、って気づくから。

他の人が見つけてくれたそこの部分を耕したいと思うのよ。

 

 

まあ、自分が人を選ぶときもそうだもんね。

こういうの願いしたらおもしろいものが上がってくるかも、という

潜在的な部分も引き出したいな、と思うからなぁ。

 

結局、これを伝えたい!がないからじゃないのかなぁ

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出版不況の大きな要因は自分たちにある、ってつくづく思ってしまいました(↓)。

headlines.yahoo.co.jp

 

何だろう、この違和感。

いまだに本気でこういう意識なのかなぁ。完全に読者は置いてけぼりじゃん!

 

・自分たちを特別階級だと思っている(いわゆるいいとこの大学を出て、そこそこ以上の出版社に入った人のエリート意識の何と強いことよ!)

・これを伝えたい!がない

 

言いたいことは山ほどあるけれど、

読者の皆さんの声を聞く前に、

「これがやりたいんです! これを伝えたいんです!」

がしっかりあれば、購買という行動含め、反応はあるんじゃないのかな。

 

ぼんやりとみんなが喜ぶものは、浅いのよね。内容も熱量も。

自分たちがこれだよ、これ!ってものがないのに、

どうして読者という第三者に伝えられるんだろう?

買いたい!と思わせられるんだろう?

 

「これを伝えたい!」はコンセプトとか理念とかに置き換えられるんだけれど、

これが何を作るにしても基盤になるし、

これがしっかりしていないと何も始まらない。

三者の意見を聞くにしても、「これを伝えたい! さあ、どうですか?」と質問する形でないと意味ないんじゃぁ。。。

 

ふわっといいものは軸がない。

「もうそういうの、要らない」って読者の声が、買わない、に繋がっているんじゃないのかなぁ。

 

 

そうか、ちゃんこって何?なんだねぇ  

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自分の常識は周囲の非常識(逆も然り)。

自分が知らないことは他人は知っている(逆も然り)。

なので、物事をそのまま受け止めたいし、受け止められたい、って思っています。

 

ある日、20歳の若者が

「今後、両国に行くんですよ」と。

大相撲の時期ではなかったから

「ちゃんこでも食べるんですか?」と聞くと

「ちゃんこって何ですか?」と返答。

 

 

そうか、ちゃんこを知らないのか。

説明をすると、「へええ〜、そうなんですね」と。

 

 

まあ、考えてみれば、興味がないことは情報が入りづらくなっているから、珍しいことじゃないのかもなぁ。

私が子どもの頃は、うちは相撲を観る家庭ではなかったけれど、

共通言語としてのテレビが存在していて、そこで取り上げられることはぼんやりとは知っていたかなぁ。

でも、今は違うもんねぇ。共通言語としてのテレビは薄れているわけだから。

 

 

ついつい、自分基準にしてしまいそうになるけれど、気をつけないといけないな〜。