書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

雑誌を買わなくなったけれど、それでも

f:id:ricorice:20200113051654j:plain

 

結局、ほとんどの雑誌ってすきま時間を埋めるための退屈しのぎだったんだよなぁ。

 

先日、何気ない話をしていたときに、ご一緒していた方は同じような仕事をしていることもあり、

「雑誌を買わなって久しいなぁ」から、

「じゃあ、仕事を離れて、あくまで個人としてどんな雑誌を買っているのか」という話になり、

先方があげたのは、高校野球の雑誌。

私は、というと、WiredとかSFマガジンとか建築系の雑誌をたまに。

 

その方は、高校野球の大ファンで、私は、近未来を感じさせるものが好きで、

おっ!と思うものがあったら飛びついちゃう、という。

 

あっ、そうか!

結局、なんとなく、が盛ってあるものはネットで十分で、

熱量を持って、これを知りたい!これ好き! は知識欲を満たしたいのと同時に、所有欲にわき上がってくるので、買っちゃう、ってことかな。

 

情報を得るためのものではなく、形は変わったけれど同人誌としての側面が強くなった、ってことか。

ということは、部数は少なくても、 “好き”の濃縮度が高いものは確実にファンはつく、てことか。

 

雑誌が売れない、ってのは構造的な問題もあるけれど、それだけじゃない。

こちらから読者をふるいにかける、ぐらいの気持ちで、思い切ってふり切る、ってことも求められているのかもしれないね。

 

グルメと称する人たちが苦手です

f:id:ricorice:20200113051447j:plain

 

私は食関連の仕事をしていて、確かに食べることは好きなんだけれど、食べるってのは本能的な行為であり、個人の嗜好が表れやすく、どうにも恥ずかしさがつきまとう。

 

苦手な質問は、「(無料で)おすすめを教えて」(答えないことにしているけど、ね)。

知らんがな。

私の好みはあなたの好みとは違うし、あの〜、そもそも時間もお金も投資しているんですけど。

 

対価が支払われる仕事で、企画が明確であれば、もちろん答える。

友達として普段の関係性があって、相手のことを知っていれば、自分も何か相手から受け取っているものも多いし、答えられる範囲で答える。このあたりは、お店でなじみのお客さんにちょっと気を回すのに似ているかもしれない。

 

 

以前、自称グルメな人たちに囲まれたときに「(個人的に」好きなパン屋さんは?」と聞かれて、老舗の有名店を出したら、えらくがっかりされ、この店じゃないの? あの店はどうなの? と、イマドキの尖ったお店を矢継ぎ早に出してきて、まくしたてられたことがあり、どっと疲れた。

 

こういう自称グルメの人たちって、

「ふふん、私、こういうお店知っているのよ、すごいでしょ」の虚栄心が目立つ。

そういう集まりはマウンティング大会だしなぁ。

その醜さったらありゃしない!

 

ここに行った! こんなこと知ってる! をこれでもかと披露して、

ウンチクぶったことを言い始めるので(しかも的外れなことも少なくない)、一緒にいて、ちっとも楽しくない。

そんなことよりも、今日そこで提供される料理やお店に感謝する方が先でしょ!

 

 

同業者との食事って、下見にしろ、もっとのほほんとしていて、素直に食事を楽しむことが多いよ、少なくともその場では、いかにもグルメ面はしないよ、少なくとも私の周囲や私が信頼している人たちは。

住んでいるだけではその国の言葉を習得できない

f:id:ricorice:20200113051556j:plain

 

15年ほど前だったか、その国に長年住んでいた、それだけの理由で担当編集者がちょっとした言葉の訳をお願いした方がいらっしゃいました。

 

あちゃ〜、嫌な予感がして、やっぱり的中。

その言語に少し覚えがあった私にとって首を傾げる表現がいくつも出てきてしまって、最後まであれやこれや。

 

その方の力量もさることながら、これは発注した担当者のミス。

なんで長年そこの国に住んでいた、それだけの理由で言葉ができる、と思うんだろう? 

不思議だ!

でも、そんな勘違いがまかり通っている気がします。

 

日本に住んでいる外国人を見たらわかるじゃん!

特に英語が母語の場合、日本語がからっきし、って人多いよね。

おまけに今の時代、そして都市部では、言葉ができなくてもいくらでも生きいけるもの。

 

確かに住んでいれば、その国やエリアの慣習とか暮らし方、みたいなものは身につくと思う。

日本国内でも地域によって違いがあるように、住んでみないとわからないことって多いからね。

 

 

言葉は、後天的に、きちんと、取得するには、ただ暮らすだけでは身につかない。

話し言葉と書き言葉は違うしね。

やっぱり土台が必要で、それは文法で、基礎がしっかりしているからこそ応用がきくわけで、その土台を身につけるには、学校に通うにしろ、独学にしろ。やっぱり学習しかないのですよ。

 

そして、ごく一部語学の天才はいるけれど、一般の人たちは、学習量に比例するんですよ。

言葉に不自由していない人たちは、(どこかの時点で)死に物狂いで学習したと思うよ。

その結果としての今のわけで、ただ住んでいるだけでは身につかない。これ、ホント。

 

もっというと、そのためには母国語である日本語の能力、語彙、表現力が大事。

日本語でできないものが、どうして外国語で表現できるっていうんだろう。

 

言葉の習得というものを、自分がしていない、したことのない人に限って、住んでいれば自動的に身につく、って思っているのよね〜。

困ったもんだ!

新しいことに軽々と身を委ねていきたい

f:id:ricorice:20200113051820j:plain

 

仕事でやりとりのある方に会ったときのこと。

話の流れでふわっとした企画の話になった時に、でも、と言って、できない(やらない)理由ばかりを並べられ、なんだかなぁ〜、な気分になりました。

 

やってみなきゃわかんないのに。

そこからなんかのヒントがあるかもしれないのに。

それで違うな、と思えば、やめるなり修正するなりすればいいだけなのに。

 

あ〜、違う価値観で生きている人なんだ〜、と思い、積極的に関わらないようにしようと決めました。

 

 

培った自分の場所が心の拠り所となっていて、そこから出たくない、ってことなんだろうか。

過去の栄光や実績があればあるほど、守りに入るんだろうか。

 

でも時代が変われば価値観も変わるから、もはやその場所は安穏とした場所ではないのに。

 

 

こういう人に限って、昔話を楽しそうにするのよね〜。

でもね、昔話じゃ生きていけないのだ。

歳をとればとるほど、新しいことを積極的に学んで、若い人に教えてもらって、柔軟に対応していく必要があるんじゃないかな。

ねぇ。

 

SNSも一般的な英語とは言いがたいんだよなぁ

f:id:ricorice:20200106130519j:plain
 

「“LCC”“CA”という物言いに物申す」(↓)を綴ったときに、

ricorice.hatenablog.com

 

ほかにも頭文字をとったアルファベット3文字があるんだよな〜、

別の機会に書くとしよう、ってなわけで、今回取り上げるのは、

SNS”。

 

具体的には、フェイスブックやインスタグラムやツイッターツイッター側はSNSではない、としていますが)などなど。

 

SNS”は“Social Networking Service”の頭文字をとったもので、

ソーシャル・ネットワーキング・サーヴィス”とはいかにも英語然としていますが、実際のところ英語圏では“SNS”も“Social Networking Service”も使わない、んだよなぁ。

 

では、どういうか、っていうと、“social media(ソーシャル・メディア)”。

 

これほどカタカナ大好きなのに、

LCC”にしろ“CA”にしろ“SNS”にしろ、

こういういかにも英語でも使っていそうな紛らわしい言葉が流布するんだろう。

 

いずれも

LCC” → “budget airline(バジェット・エアライン)”(そもそも“格安航空会社”でいいじゃないか)

“CA” → “cabin crew(キャビン・クルー)”“flight attendant(フライト・アテンダント)”(そもそも“客室乗務員”でいいじゃないか)

SNS” → “social media(ソーシャル・メディア)”

という、もともとの英語表現の方がいいんじゃないの。

 

なんで、わざわざ独自のカタカナ英語を作るかな〜。不思議だ〜。

もっとも、“SNS”と“ソーシャル・メディア”の場合は、ネットワーキング・サーヴィスかメディアか、どちらを主眼とするか、によるんだろうけど。

 

 

にしても、“social media(ソーシャル・メディア)”って言い得て妙だよなぁ。

まさにメディアだもの、ネットワーク・サーヴィスというよりも。

となると、ネットを下に見たがるオールド・マスメディアが“ソーシャル・メディア”って使いたくない、ってことなのか、な〜んて勘ぐってしまうなぁ。

 

 

あっ、ちなみにインターネットは“Internet”と最初の”I”を大文字で綴るよう、イギリスでの授業で口を酸っぱくして言われたけれど、でもそれは20年近く前の話で、

今は一般化して、小文字で書き出して“internet”もいいのかな? 調べてみよう。

 

 

すわっ、これ、私のことじゃん!

f:id:ricorice:20200111135619j:plain

 

ここ半年ぐらい、美醜に関するエントリーをけっこうしてるな〜。

関心が向いていることにほかならないのだけれど、

『ブスのマーケティング戦略』(↓)著者にして税理士の田村麻美さん曰く、

ricorice.hatenablog.com

 

2019年はブスバブルがあったようで、目が向きやすかった、ってのもあったのでしょう。

 

今なぜ、50歳になってなぜ容姿についてあれこれ考えをめぐらすようになったか、というと、

物心ついてからずっとブサイクにカテゴライズされてきて(しつこいようだけど、本人はファニーだと思っている)、もっというとそれも含めて低スペックの不良物件(第三者評価ね)にいるわけで、

その状況は今も基本的には変わっていないのだけれど、

なぜか急に、「かわいい!」と言われるようになったんですね。

(くれぐれも、頻度がそんなに高いわけじゃないですよ。

 周囲のほとんどの認識としては、ブサイク・カテゴリーには変わりはないと思います。

でも、「初めまして」の方などに、ちょこちょこ言われるようになって、「はて、これはどういうことなんだろう?」なのであります)

 

冷静に考えれば、50歳の初老のおばさん(私のことね)に向かって「かわいい!」というのも不思議な気がしすが、

ときどき言われるようになって、それは私が小さいから、その物理的なサイズ感でとりあえず、ではなく、容貌に対して、のようで(その違いは、リアルな受け手としてはよくわかる)、

私自身は何も変わっていないし、価値観の天変地異があったわけでもないし、

なぜじゃ〜!と不思議に感じていました。

 

 

そんな折、『ブス馬鹿貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』という、なかなか挑発的なタイトルの本を知りまして、

あれ、これ、私のことじゃん!と購入して、年末年始のお休みに読みましたとも!

 

そこに前述の“なぜな私は50歳になってから急にかわいいと言われるようになったか?”の答につながるヒントを見つけた気がしました。

 

“年齢を重ねるにつれて、ブスに見える度合いが低くなった。”

“中年期までは不細工さが目立ったのに、老いてからは品よく綺麗にさえ見えるようになった”

 

そういうことか!(後者はやや違うけれど)

指摘されているように、ブスと中以上の人とはそもそもの土壌が違うんですよね〜。

なので、女性誌が取り上げような「キレイになる、キレイにみせる」にまったく当てはまらないことは早くに自覚した私はエライ!

 

私は化粧が似合わない(顔立ちがはっきりしているので、少しでもきちんとメイクをすると、いきなり舞台女優のようになる)、自分はこういうのが好きで、こういうのが確かに似合う、と客観的に自分の見た目を判断し、我が道をきたのが、今頃になって「かわいい!」と第三者に言われるようになったのかもね〜。

 

 

さて、『ブス馬鹿貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』を読んだときの、いち編集者/ダイレクターとしての気づきを記しておきます。

(いち読者として感想などはここで割愛)

 

・あっ、これ、読書案内じゃん!

・長い、文章量が多い

・(あえて、でしょう)仕掛けが少ない

・性的なこと、身体的なことにも言及

 

・あっ、これ、読書案内じゃん!

編集者/ダイレクターのくせで、

カバー表紙 → 裏表紙、背表紙 → 袖(要は本をくるんでいるカバーを全部、ってことです) → もう一度、カバー表紙 → 本表紙、見返し(表紙と本文との間にある紙。ここにデザイナーや編集者のセンスがさりげなく発揮される) → 奥付け(本の最後のページで、クレジットなどが入る) → 巻末の参考文献など資料についてもページ → 目次

で、ここでそそられたら、本文に入ります。

 

実は本文を読まず、この状態で放置してしまう本、多数あり、私の場合。

編集者//ダイレクターは、本を読むのが好き、ではなく、本というパッケージが好き、という私のような人が多いんじゃないかな。

 

で、いつものようにこの流れで巻末ページを眺めていたら、参考文献が多いな〜、でしたが、本を読んだ流れでもう一度このページにたどり着いたら、参考文献じゃなく、紹介文献でした。

これ読もう!と付箋をつけながら読んでいた私にとってはありがたいページ。

 

これって、もしかして、低スペック女性に向けての自己啓発書の形を借りた読書案内では?

『ブスのマーケティング戦略』がブスに向けた自己啓発書の形を借りたマーケティングだったように、

そして「うんこドリル」シリーズのように

こういう、おっ!と立ち止まってしまう、これまでネガティブとして表舞台で取り上げにくかったものの形を借りて、キャラクターみたいなものというのか(視覚的にはキャラクター、文字ではネガティブな事柄が有効、な気がする)、敷居を低くし、裾野を広げる、というやり方は探っていきたい、と思ってしまった。

 

にしても、藤森かよこさん(『ブス馬鹿貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』の著者の方ね!)の書評連載、やりたいなぁ。

 

・長い、文章量が多い

今どきのカウントしていないのでわかりませんが、今どきのこの手の自己啓発書とかビジネス書(?)の類にしては文字量が多い。

まえがき自体も長い。

読後の感覚としては1.5倍ぐらい、かなぁ。

 

・(あえて、でしょう)仕掛けが少ない

昨今の書籍は、飽きさせない工夫をあらゆるところに入れている。

手持ちの自己啓発書やビジネス書の類を見て欲しい。

写真やイラスト、表、見出し、小見出し、そして、本文で重要と思われる箇所は太字にしたり色文字にしたりしているんですよね(この本文を太字にしたり色文字にしたりするやり方は、いち読者としては、嫌いだ。どこが重要か、は私が判断する、いちいち押しつけがしく言ってくれなくてもいい)。

書体や文字の大きさも変えたりしているものも少なくない。

 

妙に親切で、こうすれば読みやすいんじゃないか、ここまでていねいにやればより多くの読者を獲得できるのではないか、という編集サイドの心情はよ〜〜〜くわかる。

 

が、『ブス馬鹿貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』は実にすっきりしたシンプルな体裁になっていて、今の時代においては却って新鮮でした。

読者のレベルに期待してる表れ(だからこその、このタイトル。このタイトルで読者をふるいにかけているんだろーなー)、これでよし!という自信があるからこそなのかも。

 

・性的なこと、身体的なことなどに言及

特に性的なことは、なかなか公に言いにくいことではありますが、大事なことです。

それって、本能であり欲望だから。

(『ブスのマーケティング戦略』も性的なこともぶっちゃけて(という体裁で)言及していたのが非常によかった!と思う)

 

で、私がず〜〜〜っと不思議で、そして、かつてのようにある年齢になったら“とりあえず結婚”ということもぐっと減少した今、

“男性とつき合ったことがなく、性欲のある女性はどう処理しているんだろう(いや、別につき合ってなくても、ではありますが)”という私の疑問に似通ったことにも触れられています。

 

男性の場合は風俗という手段があるけれど、女性の場合はそういう場所は圧倒的に少ないだろうし、レディースコミックやハーレクインなどの妄想世界とリアルな性交渉とは違うよね〜。

 

大マジメに大事なことだと思うのですよ。大マジメに悩んでいる方も多いのでは、と思うのですよ。

藤森かよこさんも回答を出せていないようで、まだまだ未開拓の分野なんだろーなー。

企画を立てようかなぁ。

FBはもういいかな、と思いつつも

f:id:ricorice:20200106130426j:plain
 

先日もきました、FBページへのいいね!のリクエスト。

 

義理の押し売りだよな〜、あ〜、苦手だな〜。

 

そんなことしなくても、個人のアカウントで、FBページ作りました、って投稿したり、

投稿した記事を個人のアカウントでシェアすればいいのに。

そうしたら、へぇ〜、FBページ作ったんだ〜、のぞいでみようかな、となり、

中身を見て、いい、と思えば素直な気持ちで自主的に、いいね!を押すかもしれないのに。

勧誘された時点でアウト!だな〜。

 

自分から日常を投稿するFBはいいかな〜、って思って数年経つのだけれど、

アカウントが、Airbnbの予約など(今も、だよね?)に連動しているので、アカウントがないと不自由。

それと、英語圏などのメディアからシェアされるニュースを拾いたいので、それだけのために使っているようなもの。

自分のブログ投稿のシェアとかも、もうしなくてもいいかな〜、とも思っている。

ただ、FBをきっかけに、普段のフィジカルな生活で出会いない人と知り合えるのも事実、なんだよなぁ。

 

FBを10年使ってわかったのは、

・日常に興味がない(自分も、他人も)

・相互やりとりがめんどうくさい

という自分の性格が浮き彫りになったこと。

 

 

先日、21歳の女性と他愛ない話をしているときに、FB見てるんだ〜、へぇ〜、と言われ、何見てるの?って訊くと、圧倒的にインスタグラム、ついでツイッター、だと。

検索もググるってことはあまりしなくって、ハッシュタグを使う、と。

 

こういうの、すでに言われていることだったけれど、リアルにそういう声を聞くと、改めてなるほどね〜、って思っちゃう。

 

若者(しかもひとり)がそうだからそれがすべて、とは思わないけれど、ソーシャルメディアをどう使うか、まあ、ちょっと考えます。