書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

状況ではなくサイズに合わせて自分をあてがう

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“おかたし”真っ只中の私。

今週手放した、おもなものは以下のとおりです。

 

・コート 2着

・ワインピース 1着

・ハンドバッグ 1個

・靴 1足

 

これらのほかに、かさばるものを捨てまして。

それは、

発泡スチロール。

 

プリンタ複合機の箱をとっていて、緩衝材として使われていた発泡スチロールもそのままにしていて。

要らない、ということで捨てようとしたら、これがかさばるかさばる!

 

私の住んでいるところは指定のゴミ袋(有料)を使わなければならず、通常はいちばん小さなサイズの15ℓを使っていて、発泡スチロールだけで2袋。

 

同時に、毎日なんらか捨てているものの、目に見えてスッキリしたな〜にはほど遠い現状。

あれもこれももう要らないな、がセンサーのごとく目につくようになったので、この機を逃さないよう、大きいゴミ袋を買ってきます。

 

ようやく助走期間が終わって、そろそろえいや!で一気にやる時期かな。

 

つい状況に自分をあてがってしまいがちだけれど、サイズに合わせていくらでも適応できるように思えるんです。

だって私自身、なきゃないでの生活をしていたことがあったわけだし。

それと視覚効果って大きい。
同じ量でも小さい食器に盛り付けるとたくさんの量に見えるように、大きいゴミ袋にするとその分、ゴミを出すようになるんじゃないかと自分に期待!

 

 

微笑みが私の心をじんわり満たしてくれる

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ある日のこと。

横断歩道を渡るとき、向こうからやってくる人に目が向かいました。

 

その方は、年齢にして80代でしょうか。美しい白髪に、鮮やかな青と紫のお召し物をまとったご婦人。

私は年齢を重ねるにしたがって、よりはっきりした色味をものを身に着けるのがいいと思っていて、そのお手本のような方でした。

なので、思わず視線を送ってしまったんですね。

 

すぐに、ちょっと足元がおぼつかないご様子に気づきました。

信号が変わるまで渡り切れるかしら、でも、だからといって、こちらが何がするには及ばなそうだし、なんて思っていたら、目が合って、にっこり微笑み返してくださったんです。

 

これはうれしい驚きでした。

というのも、いい/悪いではなく、日本では他人と目が合ったときに口角を上げる習慣がないでしょ。

なのに、もう穏やかな満面の笑みで。

(彼女は日本の方ではなかったのかもしれませんが)

こちらも思わず、にっこり。

 

たまに小さな子供や動物がご機嫌で私に近寄ってくることはあって、これもなんだかうれしい。

でも、大人がこんな風に満面の笑みを送ってくれることはなく(日本では、ね)、なんというのかなぁ、その方の佇まいが菩薩のようも見えて、包み込まれるような温かさがあって、こんなにもうれしいものなんですね。

その日、一日中、ものすごく満ち足りた心持ちで過ごせたもの。

今も思い出すと、ぽっと心に灯りが灯ったような気分になります。

 

 

微笑みの効果ってすごいですね。

口角を上げるのもそうだけれど、こういうの、本当に社会の潤滑油なんだなぁ。

Your smile makes my day!

自分を綴ることで、気づかなかった自分が見える

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 “場所と時間に縛られないリモートワークやパラレルワーク”をテーマに、実際に実践しているリアルな人々のインサイトを掲載しているウェブサイト、
WORKS by トイロハ – ちょっとミライの働き方情報」で、私自身のリモートワークについて寄稿しました(↓)。

works.toiroha.jp

 

というのも、2011年より東京から福岡に生活の拠点を移し、でも仕事の中心は東京、という状況で仕事をしていて、私自身がリモートワーカーだからです。

 

今年、2019年の年明けに、こちらのウェブサイトに寄稿することが決まったのですが、通常業務とはまったく違ったテーマ、しかもそこそこ文字数があり(約8000字、ペラ40枚、400字詰め原稿用紙にして20枚)、いつもと違った感覚で、脱稿した後もしばらくまとっている感が抜けずにいました。

 

通常執筆をするとき、自分自身を書くことはありません。

たとえば、シェフに技術を習うとか、店舗経営とか、そういうことだったりするのですが、ここでは個人の感想はできるだけ排除し、できるだけ客観的にみようとします。

ただ、そこには立脚点が必要なので、その場合は、自分のこういう視点を通している、ということはわかるように心がけています。語り口調で書くときは、乗り移ったような状態で書くこともあります。

どんな場合も、私自身を出すということではないんですよね。

 

今回寄稿した「WORKS by トイロハ – ちょっとミライの働き方情報」では、自分のことを書く必要があります。

普段、私は裏方ですし、自分はこう思う、こう考える、を言うことはあっても(滅多にはないけれど)、私自身はこんな人間です、を伝えることは、まずないんですよね。

同じ書くでも、普段やっているのはまったく別のことで、だからこそ、そのむずかしさを痛感したのです。

 

そのむずかしさ、とは、

“自分のことはよくわからない”

なんですね。

 

客観的に見ようとしても、そうでないものがつきまとって、なかなかできない。

それと、普段、未来も過去もさほど意識していないものの、現在を書くには、未来と過去を綴る必要があります。

なので、実際に筆を進める前に、自分に対峙する、自分に対して自分がインタビューする時間が必要だったのです。

 

普段の生活の中で、少しだけ、一部分だけ、の自分と向き合うことはあっても、全面的に、ってことはないんですよね〜。

なので、自分自身の気持ちの棚卸しをする機会をいただいた気分です。

貴重なチャンスをありがとうございました。

 

欲しくないものは、押しつけられたところで要らない

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今日はヴァレンタイン・デーですね。

振り返ってみれば義理チョコ、みたいなものって渡したことないなぁ。

お世話になった方に会う日がヴァレンタイン・デーで、だったら、と小さなものを渡した、ぐらいか。

 

義理チョコやめよう、を全面に掲げる企業もあるようです。

パワハラとか、ややこしい人間関係とかもあるけれど、別の面で、チョコレートに限らず、もうモノは要らないんじゃない?とも思うわけです。

 

というのも、元来そういうことをする質ではないのですが、誕生日やクリスマスや、そういうときのプレゼント、旅行に行ったときのおみやげ、本当に滅多にしなくなりました。

面倒、というよりも、要らないよなぁ、もうモノは十分に持っているだろうし、って思っているのです。

実際に気のおけない人にいうと、要らない、好みでないものもらっても仕方ないし、と。

 

人からもらうものは、それによって、こういうものがあったんだね!って気づくこともあるけれど、たいがい自分の好みでないものだったりする。

そういうプレゼントは生活必需品ではなく、おまけ、のようなもの。

そこで趣味じゃないものをもらい、でも捨てるのはしのびない、ってキープする。そしてそれを繰り返しているんじゃないかなぁ。

 

 

いわゆるイベントにかこつけて、のお義理はもう要らないんじゃないかなぁ。

それよりも個人的な、たとえば合格したとか賞を受賞したとか、であれば、気持ちを伝えるのに何か物質的なものがあると目に見えて表現しやすい、ってのはある。

でも、そこでも、やっぱり相手の好みってものがあるので、消費できるもの、花束とか、食品とか、しかもたくさんでなくって、消費するのに負担にならない程度、お菓子だったら、1回食べて終わり、ぐらいなのがいいのかもね。

 

恵方巻きの廃棄問題とか、そういう面もあるのかもね。

もう、モノは十分に手に入れている。

欲しくないものは、押しつけられたところで要らない、っていうね。

 

これは一種のご褒美。やっぱりうれしい

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2年前、2017年に発売となり、昨年2018年は「グルマン世界料理本大賞・パン部門」で優勝した『ドイツパン大全』(誠文堂新光社刊) (私は企画提出にはじまり、制作指揮/編集統括(映画でいうと監督ですね)として仕事をしました)。 

本書が、今年、2019年3月20日(水)〜22日(金)、フランス・パリのユネスコ本部で開催されるイベント「グルマン・ワールド・サミット/World Gourmet Summit」で展示されます。

 

というと大仰な印象を受けますが、「グルマン・ワールド・サミット」で過去3年の「グルマン世界料理本大賞」受賞作を展示し、その中に『ドイツパン大全』も含まれる、ということ。

「グルマン・ワールド・サミット」では、開催国フランスをはじめ、世界60カ国以上の料理や飲み物もふるまわれるそう。 入場にはあらかじめ予約が必要です。気になる方はこちら(↓)から問い合わせを。  

https://www.cookbookfair.com

 

 

書籍のダイレクターとして仕事をするときは、あくまで裏方ですから、書籍や著者と違って前面に出ることはなく、うまくいけばスタッフに恵まれたなって思うし、そうでなかったら自分の力のなさを思い知らされる。

 

世に出す、ということは、売り上げだったり評価だったり(いい評価だけでなく、よくないものも含めて。それだけ注目された、ってことなので)を通じて、手がけたものが本当に役立つものかどうかの回答を得る、ってこと。

売り上げは分かりやすいけれど、評価は嗜好による部分も大きいからむずかしいところ。数値化&可視化しづらいし。

 

それが、こうして賞を受賞し、また展示してもらえる、っていうのは、「この本、世の中が求めていたものですよ。ちゃんと役に立てていますよ」と言われたようでうれしい。

企画を出すときは、読者が潜在的に感じているだろう「こういう情報をまとめたものがあったらうれしいな」という「世の中に立つもの」の視点を通すわけです。それが間違っていなかった、と言われたようでうれしい。

 

今回、私はパリに行けなさそうですが、ご参加される方、どうぞ『ドイツパン大全』を眺めてやってください。

今まで思いもしなかったことをやってみて、自分を試す

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おしゃれは嫌いじゃない。

気持ちを上げてくれるし、楽しい。

 

現在、“おかたし”真っ最中で、衣類も少しずつ手放しています。

 

ある日、出かける前にふと、手持ちが少なくなったら、同じ服を連続で着る、ってことも起こるんだろうなぁ、という思いが頭に浮かびました。

そんなことが頭をよぎったのは初めて。

 

私は、同じ服や靴を次の日も着ることはなくって、それはおしゃれの意味もあるけれど、服や靴も休ませてあげないとね、の気持ちから。

 

数日空いて、同じ人に会う予定になった日。

いつも私は以前とは違う装いで出かけるのだけれど(これはおしゃれが理由)、服も靴も1日以上は休ませてあげたし、これも手持ちが数着になったときのための予行練習だ! 今日は前と同じ格好で出かけてみよう! と、ふと思い、実践。

 

自分が着ているものが同じかどうか、他人にとってはどうでもいいことだろうから、要は自分の気持ちひとつなんですよね。

 

 

そういえば、イギリスに住んでいるとき、毎日同じ服を着てる人は少なくなかった(もう20年近く前だけど)。

それについて、別に何とも思わなかったもんなぁ。そんなもんよね。

 

今、絶賛実践中の“おかたし”は、とりあえず始めたばかりなので、明らかに不要なものを手放すことをやっている段階。
コーディネイトを考える、とか、着回す、とかよりも、主張のある服、それだけを身につける方が私は好きなので、気がついたら、ウキウキするスタープレイヤーが残った、ってことになるのかな。

 

 

些細なことでも挑戦することで気づくことがたくさんある。それが大きな前進につながるといいなぁ。

 

 

 

プロフィールは揃えるのがいいんじゃないかな

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お気づきになりましたか?(なんてね)

プロフィール写真を変えました。FBやインスタグラム、もうひとつのブログ(↓)、

ricorice.exblog.jp

そして(アカウントだけ持っている状態ですが)ツイッターのプロフィール写真も同じものに変えました。

 

フリーランス、つまり個人が看板である場合と、組織のスタッフである場合は、考え方が違うでしょうが、前者である私は、SNSで記しているプロフィールも大事と捉えています。

内容もさることながら、揃える、ってことが。

 

著名人のように名前をきいて顔や活動内容がパッと思い浮かぶ場合は別ですが、そうでなく、個人活動をしている場合は事情が異なります。

それぞれで別の写真を使っていると、直接知らない人は同一人物と察知できないんじゃないかと察するわけです。

ブログ、FB、インスタグラム、ツイッターがリンクしている場合も多いですもんね。

この人、こういう表情もあるんだ〜、というより、この人誰?になる可能性の方が高そうで、しかもじっくり見るってことも稀でしょう。

視覚って大事だから、ぱっと見の情報を揃えた、ってわけです。

 

ウェブサイトや名刺など、いかにも仕事の場は、しっかりしたプロフィール写真のままですが、

SNSの場合はプライベートの部分も大きいので、肩の力を抜いた写真に変えました

(画像の整理をしていて、出てきたので、使えるじゃん!ってことで)。

 

同時に、プロフィール紹介の文言も少し修正をしました。

こちらは、スペースの都合もあり、一字一句すべてを揃えることはできないのですが、それでも軸となる部分がずれていないかをチェックして整えた次第です。

 

ネットって、締め切りがないし、形として見えるわけではないから、一度作ったらついそのままで放置してしまいがちですが、情報が古くなったり、同じ内容でも表現の仕方を時代に合わせて変えたりする必要があるんですよね。

そのとき、プロフィールのように、場所が変わってもブレないようにするのも大事かな、って思っています。