書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

疲れる要素がほとんどないのに、疲労するなんて。。。

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昨日は、取材日。

10時過ぎに家を出て、19時過ぎに帰宅。

ゆったりしたスケジュールの取材で、しかも私はいちライターとしての参加で、

通常のダイレクションする立場とは違ってオーガナイズするわけではなく、

取材クルーもみなさんとは、初めまして

(出版社の編集の方とはこれまで何度かお仕事することはあったものの、

 お目にかかるのは初めて。電話で話したのも今案件が初めてだったな)でしたが、

長い道中もわきあいあい。

 

なのに、復路ですでにどっと疲れてしまって(というか、抗いようのない睡魔に襲われて)、

帰宅したら、バタンキューでしたよ。。。

仕事の内容としては、むしろ余裕があるから、疲れる、なんてことないのになぁ。

土曜日から日曜日にかけて半日寝たばっかりなのに。

加齢か? 気が張っていないと(というと語弊があるけれど、気の張り方が違う&小さい)、こうなっちゃうの?

 

疲れ、というよりも、吸い込まれるような睡気に襲われるってことは生理が近い、のかな?

(私は幸いなことに身体的にも精神的にも生理が軽く、前触れもほとんどないので、トイレに行って、あっ、ってことが少なくないのです)

周期的には、そうかもしれない。それで、かなぁ。

 

子供を産まなくって申し訳ない、って感覚はどこから来るんだろう?

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“日本の将来のために少子化をストップさせねば!”

という聞くたびに、何言ってんの? そんなの個人の自由で国にとやかく言われる筋合いはない、と聞き流していて、

結局、“戦時中の産めや増やせや”と根本的に何も変わってないじゃん、と思うのです。

 

同時にそれを受けて、申し訳ない、引け目を感じる、っていう人がいて、それもけっこういて、

なぜかそれを正しい態度のように表現していて、それを見るたびに

誰に対してエクスキューズしているんだろう?

こういう人も根本的に、人は子供を産み育てるべき、って思っているんだなぁ、とつくづく感じ、

なんで自分の生き方を自ら否定するようなこと、平気で言えるんだろう、って思うのです。

 

 

子供を持つのもいい人生、持たないのもいい人生、

どっちもいい人生であればそれでいいわけで、

それだけのことじゃないの、かなぁ。

 

どっと安心が押し寄せた、んだろーな

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昨日夕方、9月発売の食書籍の色味のチェックをした試し刷りを出版社に送り出しました。

(現在私の住んでいるところから出版社のある東京への宅配便着が最短で翌々日なのです。。。

 仕方ないし、これ以上の便利さは望んでいないけれど、不便だなぁ)

 

このプロジェクトは最後の1カ月がわんこそば状態で、

最後の最後でドタバタになり、やったはしから次々とやることが発生。

ほかの自分自身のことで進めている案件を7月に終わらせる予定が、

とても無理だな、と思い、1カ月伸ばしてもらい(まあ、自分のことなので、自分で判断できる)、

これも8月に入って1週間ほどしたら、とふんでいたものが、そうはいかない状態が続いており、

それがようやく昨日、ほぼ収束したかなぁ。

 

荷物を送り出し、自分の性格を把握している私は、

その足でコーヒーショップに入り1〜2時間事務仕事をして

(帰ったらとてもそんなことをする気分にならないだろうから)、

そして外でそのまま夕食、って気にもならず、かといって作るってのもなぁ、で持ち帰りを。

 

帰宅し、持ち帰りで夕食を摂り、Amazonから届いていた本(資料)を1冊読み、22時には就寝。

翌日(今日)9時30起床。

ほぼ半日寝ていたのか。。。

 

起きると、右肩から背中全体と腕が痛い。

今までも痛かったはずだけれど、無意識に感じないようにしていたんだろうなぁ。

 

半日寝ていたとはいえ、明け方からは眠りが浅いのか、次から次へと夢を見た。。

ロンドンに到着した後で、パスポートとオイスターカード(Suicaのような交通乗車カード)を持ってきていないことに気づく。

オイスターは再購入する、として、なんでパスポートがなくって入国できたんだろう、と不思議がる。

(私が夢で見るロンドンは、現実のロンドンではなく、夢の中のロンドンで別の姿の街、なんですよね〜。

 も、私の夢に登場するロンドンはそこでは統一感があって、夢の中では同じところなんですよね〜)

 

ほかの夢では、具体的な企画を練っていて、あ〜、こういう誌面にしよう!の具体的な案とデザインを作るってもの。

 

深層心理を探るまでもない、わかりやすい夢。

 

前者はそろそろ高飛びしたい願望と、

送り出した9月発売の食書籍の最終チェックでやり残しがないか、見逃している点があるのでは、が入り混じったもの。

 

後者はこれから動かす企画をどうしようか、の表れ。

この夢は、これから動かす企画とはまったく違うもので、提案もしていないもので、

でも妙に具体的で、これ実際に使えるんじゃない?なんてほくそえんだりして。

 

無事送り出しました! ここまで来ればもう大丈夫、かな?

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9月上旬発売の食書籍の最終チェックをして、無事出版社に送り出しました!

本当は1週間ほど前に、こういう状況になっている予定が、

出版社のご担当の方が保険で、最後の最後の日付けを数日早く設定してらして、ぎりぎりになって猶予があることが判明。

(話をきけばそうせざるを得ない状況に同情。。。)

 

出張もはさむし、あら〜、気が抜けちゃうかも!と思っていたけれど、

この土壇場になって、いろいろ起こり(結果としては、あれこれは起らなかったけれど、なかなか一筋縄ではいなず、な状況に)、

朱字も多かったので、不安でチェックの日々(これが時間がかかる。。。)。

 

あ〜っ、ず〜っと気を張りっぱなし!

時間があったらあったで、ちゃんとそのための仕事が与えられるもんだなぁ、と妙なところで感心したりして。

まあ、できるところまではやれたかなぁ、という心境にいたったので、結果オーライ!としましょう。

 

色味もきれいで(安心!)、手前味噌だけれど、内容もおもしろい!

本となってあがってくるのが楽しみ〜!

さて、と。打ち上げの計画を立てるとしますかね。

小さい子供を“ちゃん”づけする違和感

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プライベートではどう呼ぼうが関係ないのですが、

公の場で、子供を呼ぶ時に、○○ちゃん(もっといえば○○君)って呼ぶのに違和感。

 

これってひとりの人間として認めていない、ってことの表れ、じゃないかなぁ。

愛情のある敬称ってことにされているけれど、敬称とは思えないんだよねぇ。

本当に敬称であれば、年齢関わらず一律で“さん”でいいんじゃないの?

 

 

プライベートは別ですよ。

公の場、もっといえば、マスメディアなどが、小さな子供に対して“ちゃん”づけするのに、

ものすごおおおおい違和感を感じるのです。

(子供に子供言葉で話したり、説明をすっとばしたりするのも好きじゃない。

 きちんと説明すればいい。

 彼/彼らがそのときに理解できなくても

 (いや、子供の方が本質をよっぽどつかめる、と私は思っているけどね)、

 ひとりの人間として真っ正面から向き合うことが大事、じゃあないか、と)

なんというか、べたっとした慈しみという名のベールに包まれた、下に見ている感じが、好きじゃない。

いっそのこと呼び捨ての方がまだ清々しい、気がするんだけど。。。

気分は“Don’t trust over 40!”

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“Don’t trust anyone over 30”が叫ばれた1960年代後半から半世紀が経ったことだし、

年齢を10歳引き上げてもいいでしょう。

 

お前もすっかりover 40じゃないか、っていうのはいったん棚に上げておいて、

また本来の文脈とも状況は違うのだけれど、

この頃、私よりひと回り以上若い人たちは断然信頼できるなぁ、とつくづく。

40歳前までの人たちが本当に優秀で、かつ、気持ちよいやりとりでストレスレスで、ありがた〜い!

 

あっ、もちろん40歳以上でも素晴らしい人はたくさんいます。

でも、その一方で、仕事そのもの、よりも態度に難あり(私にとってはね)、って人も少なくない。

見下す、というのが近いのかな。

肝心なことの報告や連絡をしてこない、っていうのも、その表れでしょう。

 

オレ様はお前なんか選りよっぽどエラいんだぞ!

お前ごときの仕事を受けてやってるだぞ(もしくはお前ごときに仕事を発注してやってるんだそ)!

 

無意識になのか意識的になのか、そんな態度やモノ言いをされちゃあね。

この手の人に限って、自分より上と思っている人にはへーこらして、お友達ごっこをする。

 

ううう〜ん。

保身なのかな、処世術と思っているのかな。分かんないけど。

いったん引き受けた(発注した)以上、なめた態度をとるな!って感じ。

首を傾げざるをえない、不愉快なこと、あるよなぁ。

  

 

ところが、こういう態度は、少なくとも私の周りの40歳未満はとらない。

かといって、私がぐっと歳が上っだからといって、顔色をうかがう、ってこともなく(多分)

(歳やキャリアの年数が上だから、という理由だけで、敬えって態度は積極的に苦手)、

フラットな関係性で仕事ができるのは、ほんっと、やりやすい。

仕事にまじめに一生懸命取り組んでくれる。

連絡もきちんとするし、しなやかに主張や要望もする。積極的な意見も出してくれる。

 

っと、これって、私が高圧的だから、威圧的だから、じゃないよね。

次の打ち上げは、周囲は全員、私よりひと回り以下だから聞いてみよっと。

 

 

ニトリとドン・キホーテが楽しい件

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もはや、欲しいものがピンポイントで決まっているものはAmazonで充分!な私は、

家電が壊れた、手みやげが必要、なとき以外は、買い物に行く、という行為をしないのだけれど、

ついふらっと入ってしまう店があって、

それはニトリドン・キホーテ

 

ニトリは(私の行動範囲で)数年前までは郊外大型店が多く、デザインがイマイチで足を運ぶことがなかったのだけれど、

今は都心の、たとえば駅ビルなんかに入っているので、ふらふら〜と入ってしまう。

そしてかゆいところに手が届くラインナップ、家族の構成人数を4人にしてなくって、2人とか1人とかのものが多く、見た目にちょっと抜け感があってかわいいアイテムがあって、

買うものがなくても、眺めているだけで楽しい。

 

私は享楽的な性格だからか、無印良品の、あのきちんと感が得意でなく、

食事も作り置きとかできなくってそのときに食べたいものを食べたいし、

ベーシックな服で着回す発想はなく、着ていて気分のいいものを身につける、

って考え方なので、

多少雑でも(ニトリが雑という意味ではなく、モデュールとして全体を揃えていない感じが)楽しいのがいいじゃん!な心持ちにニトリはフィットする。

 

 

滅多に足を運ばないエリア、池袋北口とか後楽園とかに久々に行ったら、

どちらにも大きなドン・キホーテがあって驚いた!

 

ドンキも楽しい。

ドンキは、私にとってはニトリ以上に行く必然性こそないけれど、ふらふらと入ってしまうことは少なくない。

あのGBMとポップがウキウキ感を増長させるよなぁ。

唯一の問題は、しばらく店内にいると、その後1日は「ドンドンドンキ、ドンキホーテ」の歌が脳内ループし続けること。

 

 

ニトリドン・キホーテも買い物をしに行く、というよりも、買い物の楽しい気分を味わいに行く、その証しとしてモノを買う、ってことなのかもなぁ。

この記事を眺めながら、そんなことをぼんやり考えたりして。

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