書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ダイレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

なぜ、を理解した方が理解が深まると思うから

f:id:ricorice:20180617145325j:plain

 

依頼を受けて、英語をチェック。

 

・現在完了と過去形の違い

・willとbe going to(および現在進行形)

 

を向こうが納得できるまで何度も繰り返し説明。

それぞれの違いとどちらでも使える場合を、事例を出しながら質問に答えながら、納得してもらった次第。

でも、一度にばっちり覚えるのは無理だろうなぁ。

 

・現在完了と過去形の違い

についてはアメリカ英語の場合は単純に過去形にすることが多いけれど、

イギリス英語は現在完了形のオンパレード。

現在完了形とはよくいったもので、これ、現状を示す表現なんだよねぇ(過去のある時点の終わった事象ではなく、過去に始まり現在もそれが続いている、ということ)。

 

一度に理解できない、としても、こうしたことの積み重ねが、次に同じことにぶつかったとき、

そういえば、という思い出す手がかりになり、そうして理解できればいいな、って思う。

この繰り返しがあって初めて体得されるものだとも感じます。

 

 

私は、言語は段階があると思っていいます。

  1. 輪に入り、意思表示をすること(言葉ができる/できないは二の次三の次。能動態になること)

※日本人が外国語が不得手とされる最大の原因はこれだと思う
2. 言葉を発する(この時点では通じれば!でOK。文章になってなくって、単語の羅列でよい。ただし、pleaseとthank youは忘れずに)
3. 文法が大事。とにかく大事(母国語でない言葉を、しかもまったく違うルーツの言葉を体系的に最短でものにしようと思ったら、骨組み(文法)をしっかり理解するのが結局近道。そのことで応用もいくようになるから。そして建物を建てるときに土台が大事なように、文法という土台はその人の言語能力の根幹をなす。そしてきちんと話をしようと思ったら、きちんとした言葉を知らないと相手にされない(ビジネスの場で、きちんとした言葉を使う、ってのと同じですね。それができないと見下されるのは当然)


3を不要なものとしてみなす、今の風潮ってどうなんだろう?

土台やコンセプトのないところでは何をやっても脆弱になるんじゃあ。

私自身、文法を徹底的にやって(最初はやらされて、そのときは一度に全部できなかったし、頭の中がこんがらがって質問攻めだったし)、頭と体に叩き込むために、何度も何度も何度も繰り返しやって、ようやく、なんだよなぁ。

ダメな理由よりもOKな理由を探したい

f:id:ricorice:20180617143813j:plain

 

私は新しいものは歓迎。

UberAirbnbも大歓迎。

Airbnbなんて利用しまくっているし。

 

民泊新法施行をみて、心底がっかり。

うるさい、とか、ごみの出し方が悪い、とか、マナーがなってない、とか。

 

それって知らないだけ、ってことも多いし、住民だってそういう人いるでしょ。

人が増えれば、しかも背景が違う人が集まれば、軋轢が生じるのは当然のことで、

おとなしくしてて、お金は落としてくれ、っていうのはあまりに都合がよくないか?

 

 

いつもいつも新しいものが出てきたら、潰す方向に行く風潮はなんとかならないのか。

ダメ、ダメ、ダメ、もし何か起こったら、であれこれ規制をつけてしばるよりは、

なんせ需要があって供給できるところもあるんだから、

最低限必要なことは整備して、とりあえずやってみて、そのあとで決めていってもいいんじゃない。

この時代、日数が立てば状況なんてすぐに変わっちゃうわけだし。

 

 

既得権益をなくしたくない、ってのが最大の理由として、結局、変化が嫌いなんだろーなー。

 

のけぞりそうになるのは、当事者でも左側の人たちが多いから

 

f:id:ricorice:20180616002344j:plain

私の仕事でいちばんキャリアがあり、現状いちばんマネタイズできているのは、

(書籍などおもに紙媒体の)編集、です。

 

編集、といっても???な方が大半なので、映画でいうと監督。

コンセプトを作り方向性を決め、共有し、具現化していくのが仕事です。

 

 

ときどき、編集者を名乗る人が編集の仕事はまとめること、片手間にできる、デザイナーに任せる、

みたいな発言をするのに遭遇し、

いやいや、まずはコンセプトでしょ、まとめることよりも、新しい価値観(人々が欲しいと思っていてまだ気づいていないもの)を提供することでしょ、

と思っている私はそのたびにのけぞりそうになるのですが、

まあ、当事者でもそういう認識の人がいることが

出版不況を招いているのは当然だよなぁ、とも思うのです。

(自分がわくわくすることを提供できないで、単に束ねただけで、どうして他人を熱狂させる、つまりお金を払って買う行動をとらせることができるんだろう?)

 

togetter.com

これでいうと、右がまさに編集/監督の仕事(ひとりでやるかグループでやるかの違いはあるけれど)。

具現化するまでの熟成期間がよっぽど大事で、時間もお金もかかる。

なので、実際に作業として着手の段階になったら、もう先は見えているので、

目先のことをひとつひとつこなしていく、って感じ。

 

でも、今の時代、そんなことしなくても一応形にはなるので、

こんなもんでしょ、って左側の姿勢の人もけっこういるんだよなぁ。多いんだよなぁ。

たま〜に、右側の産みの苦しみ(苦しみとも違うけれど)をいともたやすく凌駕する天才もいるし、

それで当たることもあるけれど、

本を作ったり、って仕事は、それぞれがそれぞれの持ち場(監督/指揮(編集)だったり、撮影だったり、デザインだったり、執筆だったり、イラストだったり、監修だったり)がありながら、すり合わせながら協力してものを作っていくので、制作への態度が違う人とはそもそもの認識が違うので、コミュニケーションがとれない、んですよねぇ。

 

こんなもんでしょ、とか、日和る、とか、ラクな方へ流れようと思ったらいくらでも流れることはできるけれど、それは私のスタイルじゃないし、そういう人たちと仕事をするともやもやが最後までつきまとい、不完全燃焼に終わっちゃう、んですよねぇ。

 

 

引いてみるって大事だな〜

f:id:ricorice:20180615151607j:plain

 

不慣れな場所に行くのに目的地のウェブサイトをチェックしたら、

詳細地図は出ているけれど、大きな視点の地図がなくってリンクもはってなくってまいった!

 

最寄りのバス停や地下鉄の駅からだけと、わからないんだよねぇ。

そこまでどうやって行けばいいのか、わからないんだよねぇ。

 

 

でも、これをやる心理は分かる。ついやってしまうのも分かる。

自分の当たり前がつい当たり前になっちゃうんですよね。

なので、いったん引いて、知らない人が見たらどう思うか、って視点は大事。

 

そんなことを改めて思ったりして。

情報や知識、企画はタダじゃない、って話

f:id:ricorice:20180614170818j:plain

 

先日、某出版社から支払明細書が届き、

一瞬、なんだろう?と思ったら、先日ちょっとだけ協力した(ほどでもなかったりするので、却って申し訳ないくらい)案件の支払いでした。

 

まとも(と私には思える)な場合は、仕事の打診をいただく時点で謝礼など条件を提示されます。

取材協力したり情報提供したり企画提案といった目に見えない事柄に対しても、

ちゃんと敬意を払ってもらえるというのは、気持ちがいいものです。

しごく当たり前のことではあるのに、当たり前と思っていないことに遭遇する確率があまりに高いから。

 

 

先日、面識はあるけれど、な方にロンドンの店舗状況について訊かれました。

無料で知識や情報、企画を提供しない、不均衡はしない(謝礼などという形で対応してくださるところもあるので、失礼になる)と決めているので、

その旨と、出せる情報はブログ(私が運営しているもうひとつのイギリスの食ブログです)に開示しているので、そちらを参照して欲しい、と伝えました。

ricorice.exblog.jp

 

その方はちゃんとこちらの思いをご理解いただけるだろう(だから理由も提示)と感じての判断で、

やっぱりご理解いただき、

今回に関してはご期待に添えなかったけれど、

これからもできることは協力していけたらいいな、と感じるわけで、後味も気持ちいいわけです。

 

 

問題は、それが目に見えないものはタダ、と思っている人たち。

情報も知識も企画もタダ、と思っている人たち。

 

そういう仕事をしていないならともかく、曲がりなりにメディアにもいても、

くれくれ攻撃をさも当たり前にように平気でしてくる人、

たとえば企画を出してくれ(方向性などを一切示さず)、と言い、

私はフリーランスで社員ではないので、本来であればそういうことは任意にも関わらず、

締切りを作り、せっつく。

しかもその企画を出したからといって、こちらが担当する、という前提でもない。

失礼甚だしいことこの上ない。

 

意図的なのか認識が欠如しているのか、いずれにせよ、こういう人は話してもまったく通じないので、

私の中で×マークをつけ、なるべく関わらないようにする。

 

 

結局のところ、お互いにリスペクトのない仕事はダメだな、ってところに行きつくのかもしれない。

 

時が止まったかのような渋谷で改めて

f:id:ricorice:20180613162109j:plain

渋谷で夕食を一緒にしながら話をしましょう、となり、

その日私は日中の予定が遅くまであり、早くて渋谷に着くのは19時30分。

大荷物を抱えていたので、

駅で済ませましょう、と。

向かったのは、東急百貨店東横店のレストラン街。

 

30年ぐらい前に戻ったかのような佇まいとお客の少なさにびっくり!

どこもかしこもおされ!を打ち出す必要はない!って私は思っているけれど、

これはず〜っと放置していることの表れじゃあ。。。

おかげでスムーズに席が見つかったんだけどね。

 

勤務しているおばちゃんたちはテキパキしていて機転もきいて、

ベタベタしたていねいさで、ねえ、これって慇懃無礼じゃないってとこよりよっぽど気持ちいいけれど、

こんな閑古鳥じゃあ、せっかくのキャリアがもったいないなぁ。

 

 

なんだか、いろいろびっくりしたのですが、

いちばん驚いたのは利便性のよさから駅直結の東横店を選んだのに、

百貨店自体が閉店になったあとは、エレベーターが地下フロアまで行かないとは、これいかに!

地上階で降りて、えっちらおっちえら地下まで行くこの不便さときたら!

(渋谷駅は今や、東京メトロ半蔵門線副都心線田園都市線だけでなく東横線も地下だから、地下までダイレクトに行きたい人は以前よりも増していると思う)

 

エレベーターで一緒になったインド人家族は???で、

同方向だったので一緒に移動したのだけれど、

券売機の不便さ(東急と地下鉄で分かれている)も極まりないし、

会社ありき路線ありきで分けるのは、もういい加減やめて欲しいです、本当に。

 

いろいろ訊かれるのは必至で。説明に時間がかかってスタッフ不足、

になるぐらいなら、会社の垣根をとっぱらってシンプルにする方が、自分たちもストレスがなくなると思うんだけど、な。

 

JRも、確かにそうなんだけれど、いちいち東海だの東日本だの西日本だの、

自分たちで分けるのはいいけれど、ユーザーにもそれを押し通すのって、ほんと不便。

のぞみが使えないジャパン・レイル・パスも不便、新幹線でスーツケースがおく場所がないのも不便。

 

 

かねがね主張しているけれど、自己満足や親切の押し売りのおもてなしなんかより、

基本的なインフラを、ぱっと見で誰にでも理解できるようシンプル化する方がよっぽど大事だし需要があると思いまふ。

 

 

 

うんうん唸って、少しずつ

f:id:ricorice:20180612170526j:plain

 

本にはジャンルのほかにいろんなタイプがあって、

定型があってそれにはめていくものとか、コンセプトがデザイン含め明確なものとか、コンセプトははっきりしているのだけれど具体的に落とし込むためにそのたびごとにあれやこれやすり合わせながら進めるものとか。

 

今かかっている食書籍は最後のもの。

撮影では(前段階から)、ああ撮ろうかこう撮ろうか、を連日連絡を取り合ったし、

デザインフォーマットや文体も膝をつき合わせて、こうしましょうか、の相談だし、

構成は決まっているのだけれど、どういうページ順にするかはずっと後になりそう、

と、まあ、なかなか難産なわけです。

 

 

ありがたいな〜、と思うのが、

監修(著者)サイドのスタッフの方々のご協力と、

制作サイドのコミュニケーションが密にできること。

 

すり合わせが必要な書籍、ってこともあり、それに沿った人選で、

というのも、言われた自分の範疇のことしかしないというスタンスの人もいるわけで(これはこれでアリですが、お願いする内容を選ぶなぁ)、

いろいろ意見を交わして進められるというのは、この企画では不可欠。

 

お互いがそれぞれの役割に敬意を払いつつ、自分の担っているプロとしての意見も言う。

スケジュールなど、連絡もマメに取り合う。

本当にありがたい。

 

スムーズに進めるために、自分の目先のこともガシガシやらないと!

と、まあ、最後は自分に発破をかけるわけです。