読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ディレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

「いただく」と「頂く」と「戴く」と

書くこと

f:id:ricorice:20170329071921j:plain

以前、こちらの記事(↓)を書いたら、反響が大きく、ひらかなや漢字の使い分けって迷いつつ、もしくは知らずに使っている人が多いんだなぁ、と認識。

ricorice.hatenablog.com

この「ください」「下さい」に通じる部分も大きいのが、今回取り上げる

「いただく」と「頂く」と「戴く」。

 

 

まずはひらがなと漢字の使い分けをみるとしましょう。

このルールは、「ください」「下さい」と同じ。

(初見&忘れた!って方はチェックしてみてね!)

 

ひらがなを使うのは、ほかの動詞にくっつけて尊敬・丁寧表現する言葉(補助動詞と呼びます)の場合。

 

・ケーキをとっていただいた

 

たとえば、ブッフェなどで手が塞がって、一緒にいた人が手伝ってくれたときなどに使いますね。

 

このルール、“補助動詞はひらがなを使う”は「いただく」も「ください」も一緒です。そしてほかの言葉の場合も、これは適応されます。

 

 

では、「頂く」と「戴く」では?

 

  1. ケーキを頂く
  2. ケーキを戴く

 

この2つ、漢字によって意味が変わります。

おわかりでしょうか。

 

別の言葉で言い換えましょう。

 

  1. ケーキを頂く → ケーキを食べる
  2. ケーキを戴く → ケーキを(ありがたく)受け取る

 

1の“頂く”は“食べる” “飲む” “摂る”の謙譲語です。

もうひと言付け加えると、“食べる” “飲む” “摂る”という動作に重きがおかれています。

 

では、2の“戴く”。

こちらは、物品や品物に関わる場合に使用されます。

わかりやすいところでいうと“いただき物”は“戴き物”となるのです。

 

 

ちなみに、「頂く」は常用漢字なので、漢字で使ってよし、とされる言葉です。

「戴く」は常用漢字外。ひらがなの方がふさわしいかな、といった言葉です。

 

ただし、私自身は、「いただく」と「頂く」と「戴く」はいずれも場合も、今はすべてひらがながいいのでは、と感じています。

お礼状などであれば「頂く」という漢字でいいのですが(あらたまった、かしこまったぐらいでちょうどいいので)、

これが雑誌やウェブで一般化した言葉として登場すると(これ、私自身は違和感があります。いちいち「させていただく」と言うのに通じるものを感じます)、一気にかた〜い文面になっちゃうんですよね。

ricorice.hatenablog.com

なので、一応のルールをふまえつつ、その場にふさわしい言葉の使い方をすればいいのではないでしょうか。

 

 

最高学府って東大“だけ”じゃないよ

書くこと 仕事周辺のこと

f:id:ricorice:20170328070606j:plain

卒業式〜入学式の時期になると、いつももぞもぞしていまいます。

それは、東京大学を形容するのに大学の中のトップの意味で“最高学府”を使うこと。

それをマスメディア自ら積極的にに使っていて、それを見るたびに、ううううう〜ん、な気分に陥ってしまいます。

 

最高学府 = 最も程度の高い学問を学ぶ学校

つまり、“大学”のことです。

東大も含まれれば京大も早大も、大学と名のつくところはすべて“最高学府”です。

 

 

そして、いい加減、東大に対する色眼鏡、ねたみ、ひがみ、そねみはやめましょうね。

みっともないったらありゃしない。。。

新聞で一番おもしろいのは書評

メディアについて 書くこと

f:id:ricorice:20170327140625j:plain

新聞を定期的にとらなくなったのは、イギリスから帰国した2001年。

ネットでニュースが拾えるようになったし、それでもときどきは駅の売店やコンビニで買ったりしていました。

それが、今では、たま〜にしか買わなくなって、出張先のホテルや帰省したときに読むぐらいです。

 

 

いつだったか、新聞社の記者の方が、「母体の新聞社がなくなったらライターぐらいにしかなれない」と冗談まじりにおっしゃったことがあって、ライターという職業を随分となめた発言だなぁと思ったものです。

なめた、というよりもライターという職業に対する大きな誤解。

新聞の記事は、起こったできごとを伝えることが軸です。5W2Hを押さえることが最重要。

しかし、同じ紙媒体でも雑誌や書籍の場合は、“読者の興味を想起させる”、つまり“読ませる”ことがより重要です。

そのために取材をし(私の感覚だと1伝えるために10情報を得る)、調べものをしたり、とにかく手間がかかります。

ライターの仕事の書く作業は全体の3〜5%じゃないでしょうか。

大半は調査に費やされ、ほかにも校正ややりとりなどの作業が発生します。

 

 

今、新聞を読んでいて一番おもしろいのは書評。

自分が興味がない分野を知ることができ、本のテーマに対しての興味もあるけれど、それよりも書評を書いている人がプロの書き手だからじゃないか、って思うのです。

本によっては、評論の対象となった本そのものを読むよりも書評の方がいいんじゃないかって気もします。

スタンスが違うから当然ですが、前述したように新聞記者の書き方とは明らかに違う。

 

 

ニュース自体のピックアップはネットの方が断然便利。

じゃあ、新聞で有利なことって?

 

抜本的な改革をしないのであれば(私自身は一度今のシステムは、流通含め解体すればいいと思っています)、何気なく目にしたものを読ませる力(これが書評ですね)、こういうのがもっと重きをおくのがいいんじゃないかな。

 

きれいが過ぎると、スキがないと、どっと疲れる

仕事について

f:id:ricorice:20170326002525j:plain

うちにはテレビをおいていません。

なのでテレビを観るのは、ホテルだったり(出張がそれなりにあるので)、誰かの家だったり。

ホテルだとそう感じないけれど、人ん家でテレビを観ると、地デジに移行して画面が大きくなったこともあるんだろうけど、なんか疲れる。

これ、画面のオキさだけじゃなくって、画面がきれいなことも関連しているような気もします。

 

某百貨店。私にはスキがなさすぎて、行くとどっと疲れる。

某雑誌。有益な情報満載なんだけど、眺めているとどっと疲れる。

 

いずれも優秀なんですよ。

いいものを作ろうとし、それが実現化したのに、受ける側の、少なくとも私としては、遊びがないというのかなぁ、息苦しくなっちゃうんです。

 

 

先日、私が名刺を作ったとき、今ウェブサイトを制作中で、そこで繰り返し言っているのが、

「デザインし過ぎないで!」。

多少ださくても(作ってもらった名刺がださいわけじゃないですよ!)、わかりやすさを優先して欲しい。

(それと実質的には同じだけれど、ダメな部分も開示して構わない、と。)

 

 

一昨年秋、イギリスに行ったとき、大型スーパーマーケットで

フリースペースを設けているのに気づきました。

以前は売り場だったところにソファを設置。

店内のカフェで買ったドリンクを持ち込んでもいいし、

買い物をしたスナックを食べてもいい。

それだけでなく、おそらく外から持ち込んでお咎めなしでしょう。

特にきれいにしているわけでなく、とりあえずソファがある、ぐらいなもんで。

 

別段、居心地いいわけじゃないし、長居しようとは思わないけど、

ちょっと買ったものを整理したり、スマホチェックしたり、どうにも喉が渇いて飲み物を、なんてときは、変にこじゃれたところじゃなく、こういうところがむしろちょうどいいのです。

 

 

一億総デザイン、ステキな憧れの暮らし、みたいなものが素晴らしい!とされる風潮があるけれど、それって本当に本音かな?

実際のところは、多少のスキや遊びがあった方が人間って落ち着くんじゃないかなぁ。

逆に言えば、将来的にはわからないけど、このスキや遊びの加減を見極めるのが人間の仕事なのかなぁ、って気もしますのよ、私。

私がブログを続けていることを本気でほめてくれる人たち

ブログについて 仕事について 書くこと

f:id:ricorice:20170324131252j:plain

 

このブログのほかに、ライフワークであるイギリスの食についてのブログを運営しており、毎日両方のブログに記事を投稿しています。

1日最低2つは記事をアップしている、ってことです。

ricorice.exblog.jp

これ、気づいた方は感心なさいます(えへへ)。

そのなかで心底感嘆される方々がいらっしゃいます(と、本人は思っている(笑))。

その方達は、自身が書くことに携わっている方々。

編集者だったりライターだったり、といった人たちです。

 

なぜって。

一般の方々は大きく勘違いをしていらっしゃいますが、

ライターは書くこととそれに付随する技術を売ることを生業としているわけで、

書くことが好き、というのとは違う。

そもそも好きなことを書くわけでも書けるわけでもなく、

・40〜50代の食べることが好きな男性向け

・20代後半のプチプライスでかわいい食べ物が好きな女性向け

・これから料理人になりたい若者向け

といった具合に、同じ店を取材して同じメニューを書く場合も、その対象によって書き方がまったく変わる。

そう、求められていることを文章で表現するの仕事なんです。

 

ブログを綴る、というのは、とても自由な場です。

自分でテーマを決めていいし、好きなように書いていい。

仕事で書くことをしていると、こういう自由なところにいくと、どうしていいのかわからない、というのが実情です。

いつも制限のあるなかで書いているからね。

自分の自由な時間を使ってまで書きたくない、ってこともあるし。

 

 

なので、仕事で書くこととブログで書くことはまったく違うスタンスです。

文面も違うえば、内容も違う。

もちろん、私が運営している2つのブログはそれぞれ

  • (ハレばかりではなく)地に足のついた今の日常のイギリスの食情報を伝えたい

・メディアにいる視点をからめて、伝えるためのtipを届けたい(情報発信のサポートをしていて共通して聞かれることとか)

という思いありきなのですが、

同時に私自身の書く訓練をしているのです。

 

ライティングにしろ編集にしろダイレクションにしろ裏方の仕事です。

でも、ネットメディアは自身をちゃんと表に出すってことも大事。

それを痛感しているので、ブログは私だけの毎日道場です。

 

ライティングに関わる仕事をしている人たちが、私がブログを運営しているのを心底ほめてくれるのは、こういうことなんですよね〜。

私は苦労とか努力とかとは思わないけれど、試行錯誤をしてうんうんうなっていることもちゃんとわかってくれる(それを見せるつもりも見せているつもりもないけれど、彼らはやっぱわかるよねぇ)。

まあ、何より認められるってのはうれしいもんです! 

このブログのほかに、ライフワークであるイギリスの食についてのブログを運営しており、毎日両方のブログに記事を投稿しています。

1日最低2つは記事をアップしている、ってことです。

 

これ、気づいた方は感心なさいます(えへへ)。

そのなかで心底感嘆される方々がいらっしゃいます(と、本人は思っている(笑))。

その方達は、自身が書くことに携わっている方々。

ライターだったり編集者だったり、といった人たちです。

 

なぜって。

一般の方々は大きく勘違いをしていらっしゃいますが、

ライターは書くこととそれに付随する技術を売ることを生業としているわけで、

書くことが好き、というのとは違う。

そもそも好きなことを書くわけでも書けるわけでもなく、

・40〜50代の食べることが好きな男性向け

・20代後半のプチプライスでかわいい食べ物が好きな女性向け

・これから料理人になりたい若者向け

といった具合に、同じ店を取材して同じメニューを書く場合も、その対象によって書き方がまったく変わる。

そう、求められていることを文章で表現するの仕事なんです。

 

ブログを綴る、というのは、とても自由な場です。

自分でテーマを決めていいし、好きなように書いていい。

仕事で書くことをしていると、こういう自由なところにいくと、どうしていいのかわからない、というのが実情です。

いつも制限のあるなかで書いているからね。

自分の自由な時間を使ってまで書きたくない、ってこともあるし。

 

 

なので、仕事で書くこととブログで書くことはまったく違うスタンスです。

文面も違うえば、内容も違う。

もちろん、私が運営している2つのブログはそれぞれ

  • (ハレばかりではなく)地に足のついた今の日常のイギリスの食情報を伝えたい

・メディアにいる視点をからめて、伝えるためのtipを届けたい(情報発信のサポートをしていて共通して聞かれることとか)

という思いありきなのですが、

同時に私自身の書く訓練をしているのです。

 

ライティングにしろ編集にしろダイレクションにしろ裏方の仕事です。

でも、ネットメディアは自身をちゃんと表に出すってことも大事。

それを痛感しているので、ブログは私だけの毎日道場です。

 

ライティングに関わる仕事をしている人たちが、私がブログを運営しているのを心底ほめてくれるのは、こういうことなんですよね〜。

私は苦労とか努力とかとは思わないけれど、試行錯誤をしてうんうんうなっていることもちゃんとわかってくれる(それを見せるつもりも見せているつもりもないけれど、彼らはやっぱわかるよねぇ)。

まあ、何より認められるってのはうれしいもんです! 

つながる、つながる、つながる!

仕事について 書くこと

f:id:ricorice:20170324171911j:plain

偶然か必然か。タイミングとか縁とかって不思議だなぁ〜。

 

1カ月前ほどにたまたま会った知り合いの方と他愛ない話をしていて、「情報発信のサポートとか、ライティングのアドバイスとか、メディア攻略とか、今の私は、こっちをきちんと構築しないといけないなぁ、って思ってるんだ〜。でもって、適正価格でしっかり稼ぎたいんだ〜」(今、このブログで発信している、これは共通項だけど、みたいなことですね)って言ったら、この人に会っておくといいよ!ってことで彼女が自分用にアポイントを入れていた機会を譲ってもらい、本日、訪問。

(って文字にするとなんだか怪し気ですが、行政がやってる一対一の経営サポートです)

 

 

自分が気づかなかったこと、別の視点、今後の進め方を話し、なんだか心がす〜っと軽くなったし、何より勇気をもらったし。

 

こういうのって、自分を映す鏡、自分の考えを他人に話し、反応を得ることで、自分に気づくという、ね。

以前、同様の方に喋ったときに(まあ、世間話の延長ではあったけど)、昭和なやり方を提言されて、はぁ、何言ってんの? 新しいことやるのになぜ今までの典型的な方法論を当てはめようとするかな?だったんだけど、今日お目にかかった方は、時代は変わるからそれに柔軟に対応すべし、そこには新しいマーケットがある、って考えの人だったので、もうね、それがよかった!

 

 

つくづく私は、既成の型や方法論にはめ込もうとされることに対して、すごい嫌悪感があるんだなぁ。

これって子どもの頃から変わらないなぁ。

抑圧とか体育会系とかってほとんど体験してなくって、それもあってか、頭ごなしに世間はこーゆーもん!って言われるとそれだけで反発しちゃう。だって、無意味で全然楽しくないんだもん!

 

ふと、今回、この機会をくれた方は、私のこういう気質を見越して、引き合わせてくれたのかな、って思っちゃった。

私自身は、変わってあげるよ!って申し出をもらったときに、じゃあ、行こうかな、ぐらいのノリで、そもそも何を相談すればいいのかな、ってことが頭をかすめたけれど、熱心に言ってくれるから行くか、ぐらいの心持ちだったから。

 

で、本日、話していたら、そうそう! そうそう!みたいなことがあって、な〜んかあれもこれもつながってるなぁ。

 

メイプル超合金のカズレーザーに首ったけ!

ネットメディアについて ブログについて 書くこと

f:id:ricorice:20170323130808j:plain

うちはテレビをおいていません。

今どきのテレビは、みたいな高尚な理由ではなく、単に地デジに移行する時期と引っ越しのタイミングが重なり、何事も

“なきゃないで(なければないで)”

と思っていて、そのまま5年以上経過。

 

今に限ったことではなく、これまでもテレビのない時期ってのはあって、まあ、テレビに限らす「テレビ持ってないんだよね」「掃除機が壊れちゃってさ」なんていうと、どこからかあげるよ!って人が現れていたという不思議。

なんで家電ってほとんど買ったことないなぁ。

 

 

それはともかく。

最近の私のお気に入りの芸人は、メイプル超合金カズレーザー

な〜んて言うと、「テレビおいてないのに、番組の発言とかよく知ってるね!」と言われ、そりゃそうだ、と。

確かに動いているカズレーザー、見たことないな。

 

私の情報(ってほどじゃないけど)はネットから。

ときどき息抜きに眺めていると、自然とテレビの情報も入ってくるんですよ。

なかには親切に文字にして起こしてくれる人もいるし、そこでどうしても気になったのは視聴できたりもするし。

 

 

これってすごくない?

ネットが発達してない時代には考えられなかったよ!

 

で、ここでも、言葉の力を痛感します。

結局、ネットにあげる素材ってテキスト(文字)の比率が高いでしょ。

でものっぺりした言葉だっと、鼻にもかけられないから、まず取り上げられない。

 

短いフレーズで、刺さる言葉、響く言葉、が当然選ばれ、それに対する反響も大きい。

ブログのタイトル然り。

誰でも発信できるようになったからこそ、

ますますコピーライティング技術/能力が求められて、これでもって淘汰されることを、ネットにアップされるカズレーザーの発言を眺めながら、確信するのです。