書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

うれしいことは

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飽きたら、他に熱が注げるものができたら、自然と以降するだろうとは思っていて、

この仕事一筋で、とは今でもさらさら思ってなく、

ただただやりたいなぁ、やってみたいなぁ、で始めた編集という仕事だったけれど、気づけば30年近くになっちゃったよ。びっくりしちゃう。

(編集、だけじゃなく、執筆やイギリスの食研究家としての活動、講座やイベント、菓子製作もやっているけれど、私の基軸は編集、なんだろうな)

 

23歳のときにこの世界に入って、30年近く。

現在、52歳だから、おばさん、というより、すでにおばあさんの域に入っていて、

ときどき、企画とか構成とかをメインにして、編集の細かいこと(取材とか、具体的な制作とか)は若い人たちに任せたほうがいいのでは、とも思うのだけれど、

フリーランスだから、ってこともあり、相変わらず現場仕事をしている。

現場にいることで、取材対象やスタッフとのちょっとした会話で、今の状況が肌感覚でわかり、それがヒントになって規格につながるから、ってこともあるし。

 

 

もはや私はおばあちゃんなので、プロジェクトで一緒に仕事をする人たち(出版社の担当者、デザイナーさん、カメラマンさん、ライターさんら)はぐっと年下、世代的には親子ほど、ってことも珍しくない。

そこでつくづく思うのは、若い人たちはおしなべて優秀で、もうね、OSっそのものが違う!とひしひしと感じている。

 

なので、できるだけ、彼らの邪魔をしない、彼らの意見を聞いて、彼らの能力をできるだけ引き出したい、

こちらとしてできることは、そのための環境を作ることなんじゃないか、何かあったら責任はとるから、尻拭いはするから、ってことなんじゃないか、って思っている。

そして、接するときは、対等なのはもちろんなんだけど、威圧感を与えないように、威圧感を感じられないようにしている。

実際にできているかどうかはおいておいて、そういう気持ちではいるのだよ。

 

私は今でも基本的にはそうだし、若い頃はもっと顕著だった、仕事は仕事、プライベートはプライベートという意識、飲み会苦手、集まり苦手、一目散に早く帰りたい、なんだよね。

今の私は随分柔軟になったけれど、それでも仕事終わりに「お茶しましょう」とか、「今度ごはん行きましょう」みたいなことをうっかり言わないように心掛けている。

ねぎらう気持ちゆえでもあるのだけれど、自分がそうだからといって、年齢を気にしない人たちばかりではないだろう。

仕方ないな、断るの嫌だな、と思わせる前に、そもそも声をかけない。

 

 

でも、先日、若い方と一緒だったときに、「先日こういうことおっしゃったじゃないですか。おもしろそうだな、企画にできないかな、と思い始めて、まずは下見やロケハンをいろいろしたいな、って考えているんですよ」と何気なく話したら、、「えっ、下見に行くんですか、ご一緒します!」と言ってくれて、

もちろん、その方がふと漏らしたことを私がキャッチして、企画につながるかも、ってのもあるんだろうけど、こういうのは、素直にうれしいね。