書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

よく知らないがゆえの心地よさ

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おじさんたちの集まり、と認識していたんですよね〜(お前もおばさんだろ、という指摘はいったんおいておく)。

 

同窓会って、今の自分の自慢大会、もしくは過去を懐かしむ、ってイメージがつきまとい、こういうのはなんだかなぁ、と思っていて、

だからと言って積極的に否定する、というわけではないのだけれど、

時間の経過とともに人は変わるし、そうすると人間関係も変わるし、誘われたら、まあ、別にいいかな〜、ぐらいだったんですよね〜。

 

今年は、私の学年が高校の同窓会の運営期で、数年前にSNSで高校卒業以来つながった人たち(初めましての人も多い)もいて、その流れで参加することに。

 

 

これが、意外、というか、目からウロコの新発見!

 

 

50歳越え、という年齢的なものもあるだろうし(なんとなく人生のひと段落)、

それよりも、ほとんどの人は初めまして(名前は知っていても話すのは初めての人も多い)、そうでないとしても、頻繁に会ったり連絡を取ったりする人はいないせいもあって、

まるでゆる〜い交流会。

 

これが、予想していなかったのだけれど、心地いい!

 

なんでだろ〜な〜、って思ったら、

人間関係のサードプレイスになるんだなぁ、ってことに気づきました。

 

人間関係って、家庭(および地域)、仕事の場から形成されることが多いけれど、

そうでないところ、例えば学校や趣味や行きつけのお店(私、常連のノリは好きじゃないけど)といった、もろいといえばもろい、ゆるやかな人間関係があるというのは、

ガス抜きというか気分転換に大事だったりする

 

人間関係は密度が高ければ高いほど、鬱積するものも増える。

つまり、家庭(および地域)、仕事における人間関係は比重が大きいから、グチや納得いかないことが多発する。

 

こういう感情って抱えているとよくないけれど、かといってその人間関係の中で解消しようと思うと地雷を踏みかねない。

なので、そうでないゆる〜い場所があれば、そこで負の感情を吐き出さないにしろ、まったく違う環境の人といると、視点も気分も変わって、それだけで気持ちがほぐれることはある。

 

50歳という年齢は、人生のいろんなことがひと段落する時期なのかもしれない。

気持ちに余裕が出てくる、というのかな。

ここからいざ、サードプレイスを見つけて新しい人間関係を築こうとするのは、もしかしてそれまでそういう場所を持っていない人にとってはハードルが高いような気がする。

 

それが同窓会だと、同じ頃に同じ学校にいた、という共通のバックグラウンドがある分、ふわっとつながりやすいのではないか、と思ってしまったよ。

しかも卒業以来30年以上のブランクがあるとなると、その時間が長すぎて、仕事ひとつとっても相手のジャンルのことはすっかり専門領域でチンプンカンプン。

 

だからいいんだと思う。

相手のことがわからないんだもの。

となると、見えない分節度というか距離感が生じるので、少し離れているぐらいの関係性がいいんだろうな。

 

 

もちろん、同窓会を否定する気持ちもわかる。

ずっと地元に住んでいて、地元での同窓会だったら、ぐっと密度が濃いだろうから、果たしてどう振舞っているかな、とも思う。

 

 

しかし、まあ、これはごく個人的な感想だし、その頃の学校の特性もあってそうなる理由もあるのだけれど、

同窓会に出て感じたのは、

(特に男性軍が)ジェントルだなぁ、ってこと。

 

一般的なやさしい、というのとはちょっと違って、ジェントル、なんだよなぁ。

だからこそ、心地よかったのかもしれないけれど。