書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

振り返れば、とても重要なアドバイスをもらっていたんだな

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移動の多い人生を送っているせいか。帰属意識が薄い。

郷土愛とか愛校精神精神みたいなものがきわめて希薄です。

なので、過去のことはあくまで過去の通過点で、それよりも今、そして未来のことを考える方がワクワクがたくさん!なので、あのときこうだったああだった、みたいなことをしません。

 

ここ数年、SNSのおかげで中学や高校の同級生とン10年ぶりにつながることがあります。

今年は、私の代が高校の同窓会の当番期ということもあり、連絡を取り合うこともしばしば(積極的に協力していないけれど。。。ごめん!)

 

それはそれで、新鮮な楽しさがあります。

それぞれが違う世界にいて、よくわからないからこそ、純粋によさを見いだせるのかもしれません。

でもって、私は高校は越境入学だったので、集まりとかに顔を出すと、はじめまして!な人もいて、それもまたおもしろい。

 

 

先日、同郷の方にお目にかかる機会があり、その方がご自身の出身学校に尽力していらっしゃることから、自然と出身高校はどこですか?と。

「○○です」と答えると

バンカラですね!」と言われ

「よく言えばそうですね。バンカラというか自由というか。野放し、とかって言われていましたけど」

「ははは」(同意の笑)。

 

そうなんですよね〜。

今は違うかもしれませんが、自由というか野放しというか。

なので、今、話題のブラック校則とかって聞くと、昭和の最後らへんで自由というかのどかというか、な高校に通っていた自分の頃と照合して、時代は逆行しているのか?と驚いてしまうわけです。

 

 

もともと、この高校に行くことを考えていたわけではなかったんですよね。

中学2年の終わりか3年に上がった頃か、担任ではなく、先生になって2年目とかの若い先生と話しているときに、

「あなたは○○高校(そのとき、ぼんやりと、行こうかな、と思っていた高校)は向いていない。△△高校の方が断然合っている」と言われ、

その先生が○○高校出身で、卒業してまだ数年だったこともあり、学校の事情もわかっているでしょうから、妙に説得力があり、彼女にしてみれば、進路指導的な意味合いはなく、他愛ない会話のなかでぽろっと発した言葉だったのでしょうが、そのことが頭から離れず、向いている、といわれた△△高校に行くことにしたのです。

 

その△△高校で進路相談の際、

「(本や雑誌の)編集の仕事をしたいの? だったら、とにかく東京に行きなさい。ほかの産業と違って、出版社のほとんどは東京だから、その場所にいないことにはチャンスはつかめない」と言われ

(実際は、東京以外でもできないわけではありません。でも、競争があって切磋琢磨し、よりよいものを作る、新しいことに挑戦できる環境は圧倒的に東京です。

 それ以外の場所でやろうとすると、タウンガイドや地方史以外は、よっぽど才能があるか、強い意思と意志がないと、むずかしい。

 人間は環境に左右されるので。少なくとも、私は)、

本当は、その進路相談のメインは大学どうする?な話が主軸だったものの、東京に行きなさい、が呪文のように頭から離れなくなり、

へぇ〜、そうかぁ〜、と、深く納得し、それまで関西の公立大学を受験するつもりだったのに、東京に行くなんて考えたこともなかったのに、とにもかくにも東京だな!となったわけです。

 

 

結果、進学高校の選択も、東京の大学に行く選択も、まったく正しかった!と思っていて

(自分の意思を貫いたとしても、やっぱり正しかった、って思っているかもしれないけれど)、

あのとき、アドバイス(おそらく与えてくださった方々は、そんなつもりはなくって、ついで、ぐらいに発した言葉だったとは思うだけれど、それが刺さった、ってことは、やっぱり私にとって必要としていた言葉だったんだろうな、と思うわけです。

素直に従い、それを許容してくれた家族(この場合は親ですね)にも感謝!です。

 

その言葉を生かすも殺すも、自分次第だけれど、

今、こうやって肯定できる(まあ、何が起こっても、何を選択しても肯定するかもしれないけれど)というのは、ありがたいことだな、と思うのです。

そして、こういう大事なアドバイスをくれた先生方にも感謝!なのです。

人生の重要な局面で、核心をついたアドバイスをもらっていたんだな、と感じるのです。