書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ひとり=寂しい、ってどーなの?

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くりぼっち、っつーの?

クリスマスにひとりを哀れむ、みたいな風潮って、なんだかなぁ。

 

だいたいクリスマスなんて年末年始の休み直前で、仕事している人はいつもより忙しいんじゃぁ。。。

自分を振り返ってみると、家族クリスマスは子どもの頃だけだし(しかも全然熱心じゃなかったよ)、カップルクリスマスも体験したことがない!(学生のときもバイトしてたからなぁ)。

今は、タイミング次第で、その年の仕事はほぼほぼ終わっていたりするけれど、だからといって、特別なことは何もせず、いつもどおり、ホウレンソウのゴマ和えとかアジの干物とか食べてます。

 

 

もともと社交性のある内向的なタイプだから、ひとりはまったく苦にならない。

むしろ、どうでもいい人たちとどうでもいい時間を過ごすことの方がよっぽど苦痛。

なので、くりぼっちみたいな言われ方をされると(まあ、これは消費行動に向かわせようとしている魂胆がみえみえなんだけど)、なんだかなぁ、って気分になります。

 

ひとりだけど、別に寂しいわけじゃない。

タイミングが合えば、誰かと一緒でも別にいいし(理由がひとりだと寂しいから一緒に、だったら断固お断り!だけど)。

ワイワイやりたい人はやればいい。それは個人の自由。どっちがいいってことはなくって、本人が楽しければどっちでもいい。

 

 

ひとり暮らしとか孤独死を寂しいと哀れむのはやめて欲しい。

だって、その人が選んでひとり、だったら、別段寂しいわけじゃない。

友だちや知人もいるだろうし、ね(ただ、友だちが多ければいい、ってのも、ゲ〜ッだし、極論を言うと、友だちはいなくてもいいって思っている)

 

こういうのね、社会のマウンテングだなぁ、っていつも思うのです。

自分には家族があるから単身者より上、自分にはパートナーがいるからそうでない人より上、社会的にちゃんとしてるんだぞ!っていうね。

 

こういうの、こういうことでしか自分の優勢を確認できない人たちには勝手に言わせとけばいいけれど(ひとりの人がひとり最高!と諭すことってほとんどないでしょ)、そう考えていない人を自分のフィールドに巻き込むことは、ほんとっ、やめてよね!