書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

そうは問屋が卸さない、のだ

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SNSでシェアされ、目に留まってたまに読むのは、AERA dot.で連載されている、

鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」

(もちろん全部が全部賛同するわけではない)。

 

先日読んだもので、おもしろかったのがこれ(↓)。

dot.asahi.com

 

本筋も、なんだけれど、私が「あっ!」となったのは別のところで、

ロンドン留学時代に授業よりも休み時間がつらかった、って話。

 

わかるなぁ、よくわかる。刺さるほど、よくわかる。

やさしさの裏にある優位性を感じるのも、つらかった

(人としての親切や思いやりとは、全然違う。受け取る側は、敏感に感じとるものです)

 

私自身、イギリスでネイティブの中でひとり、英語が母語でない外国人(私のことね)が混じって学んだときは、授業そのものよりもランチタイムとかのフリータイムがきつかった。

言葉の問題も、なんだけれど(当時は意思疎通でできるレベル)、共通認識として持っているものがあまりに違うので、言っていることはわかるけれど、それが何を意味しているのか漠然としか理解できないし、ネイティブ独特の言い回しにも苦労した。

 

具体的な話をすると、AGAというイギリス人憧れの高級オーブン(デザインしたのはスウェーデン人)の話でかくかくしかじか議論を交わされても、使ったことがないし、そもそもイギリスで台所を使いまくって料理しまくったわけでなかったので、ピンとこない。

テレビ番組やラジオ番組の話についても、よっぽど有名なものでないとわからなかった。

昔の世相とか流行とかの、ニュース的なところではなく、実際の人々レベルでどうだったか、って話もわからなかった。

人が集まるところでは、無料のマスメディアにのっているものが、共通の話題になりやすいのよね〜。

 

ことわざや今どきの言い回しでいうと、「猿も木から落ちる」って諺を、日本語の会話の中で出すと、そこまで言葉が流暢じゃない外国人は戸惑うだろうなぁ、というのと同じ。

 

私の友人はフランスに留学したときに、授業よりも休み時間が、みんな英語で意思疎通をするから、それがきつかった、英語がダメだから、会話に入れなかった、って言ってたもんなぁ。

 

海外で暮らした人と話すと、ある程度言葉で意思疎通できるまでは、ほんと、きつかった、って話になる。

その時期を超えると、ある程度言葉で意思疎通できるようになる、生活習慣に慣れる、言葉以外の意思表現を身につける、などを得て、どうやってサバイバルできるか分かるようなると、

俄然楽しくなるんだけどね。

 

 

たま〜に、ほんの数握り、言語の会得に長けている人はいるけれど、外国で外国語を使う環境にいると、最初は苦労するんだよね〜。

住めば習得できると思ったら大間違いだ!

(それができるのは、まだ小さい子供だけだと思う)

 

もう少し踏み込んでいうと、頭の構造ができてあがってから外国語を習得しようと思ったら、やっぱり文法なんだよね。

基本を押さえることで体系的に理解でき、いかようにも応用できるから。

そして結局それが、近道、なんじゃないかなぁ。

 

 

ところで、先に紹介した「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」では、

アガサ・クリスティーの小説『春にして君を離れ』(メアリ・ウェストマコット名義で発表。この小説はいわゆるミステリーではない)にもふれていて、これ、本当におもしろい!

長く読み継がれるものは、ジャンル云々ではなく、結局、人間を描いている、ってことなんじゃないかな。

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