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書くこと、編むこと、伝えること

編集者、ディレクター、ライター、情報発信サポーター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けするメディアや仕事のあれこれ

ひとりでやる仕事、チームでやる仕事

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目下のことろ、日々大量の校正に追われています。

というのも、私が舵取りをしている本の仕事のひとつが、いよいよ大詰めに入ったから。

そんな中、表紙案が届きました。

 

なんと6案!

3案ぐらいは欲しいな、とお伝えしたところ、その倍!

しかも、どれもアプローチが違って、甲乙つけがたい。

 

監修の方のプロの意見、カメラマンさんの確認、版元さんと話し合った内容、私の気づきなどをデザイナーさんに伝え、

表紙案が完成。

決定権はこちらにはなく、出版社での会議の結果を待つことになりますが、

進めていたことが形になってどん!と出てくると、アドレナリン全開になります。

 

 

普段はひとりで仕事しているし、それに不満はないけれど、

それぞれのプロがそれぞれのよさを持ち込んで形にしていく。

こういうのってやっぱりチームワークですねぇ。

 

表紙用の撮影も、チームワークを感じます。

今回のプロジェクトでは、いつだ? 今年の年明けだったかな?(記憶が。。。。)

もちろん現場の前にラフ(画コンテ)を作り、すり合わせはするのですが、実際の現場判断って、そうだ!こうしましょう!こともおおいにあるんですよね。私はこういうのを積極採用して、大事にしたい質だし。

 

監修の方、カメラマンさん、デザイナーさん(このとき版元さんはご都合が合わず。。。)とアイディアを出し合いながら、こうしてみたらどう?ああしてみようか?がきれいにフレームに収まったときのうれしさは格別。

こういう“ハプニング”は、ひとりの動きの中では起こらないわけで、チームワークの妙に尽きるなぁ、と毎度のことながら毎度のように感じ入るのです。

 

 

近々、表紙が決定するでしょう。

どれになるか、どれが選ばれてもワクワクな、待つのが楽しい時間です。

 

 

とかくこの世は余計なものが多過ぎる

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大学に入学した18歳から20代はよく映画を観たものです。

東京にはまだ名画座が多かったし(とはいえ劇的に減っていったけど)、なにより映画館で観ないと集中できないからだし、外食するかライブに行くかレコード屋を漁るか本屋に行くか映画を観るか美術館に行くか、っていうのが、私の余暇の過ごし方でした(ゲームはしないし、ギャンブルもしないし、スポーツもしないから)。

仕事三昧で、なんせ予定が見えないから(当時はそうだった)、人と会ってどうのこうのがしづらかったし。

 

状況は一変。今は映画館から足が遠のいています。

名画座が壊滅状態ってのもあるし、座席指定になっちゃってしかも途中からふらっと入れなかったりで、心理的にうるさいなぁ、ってのも大きい。

 

加えて、あ〜ってうなだれちゃうのが、本編が始まるまでの予告編の長さ。

もう、これでぐったり。

予告編は本気で観たくない。長過ぎるし多過ぎる。

タイムテーブルに予告編を入れて欲しい。そうしたら本編から観に行けるのに。。

 

 

今やCDって何っすか?でしょうが、ひと昔前は購入する音源はCDでした。

私が本気でうんざりしていたことは、日本盤にボーナストラックが入っていること。

ミュージシャン側はアルバムには不要と判断したものを何で入れるかな?

CDの場合は通しで聴くから、おかげでアルバムとしてのまとまりがぶち壊し。

 

これのどこがボーナスなんだ!

あれもこれも聞きたい、って向きには、別にレアトラック集とかシングルコレクションとかにして別に出せばいいじゃない。余計なことしちゃってさ!

発売が遅いこともあり、輸入盤を買うことも少なくなかったな。

 

 

テレビ番組の番宣や、番組中にスポンサー商品をクローズアップされるのもうんざり。

こういう余計なこと、要らないから。

テロップや説明過多の映像も要らないから。

駅などのアナウンスの(責任回避のためでしょうか)いちいち注意を促すアナウンスもうんざり。耳障りで仕方がない。

 

 

余計なものの洪水にのまれたくないなぁ。

なんでもかんでもLess is Moreとは思わないけれど、

基本のシンプルでべーシックなものだけが提供されて、プラスαは個人で選べないもんかね。

私の思いとは裏腹に、余計なものがどんどんつけたされていっているよ〜。

 

映像や音声を伴っても“ドキュメント”なの?

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見たり聞いたりするたびに違和感を感じる言葉に“ドキュメント”があります。

 

これって、“ドキュメンタリー”じゃないの?

私の認識だと、

・記録文書や書類 → ドキュメント

・記録映像 → ドキュメンタリー(同時に、“ドキュメント”が形容詞化したもの)

で、実際に数年前までは違和感を感じたことがなかったってことは、私のこの認識が社会の共通認識だったとも思うんだけど。。。

一体いつから“ドキュメンタリー”を“ドキュメント”と呼ぶようになったんだろう?

 

 

日本語のフォロー/followも英語のそれとはズレがあるし。

(日本語のフォロー:補って助ける/英語のフォロー:続く、従う)

それと同じことなのかな?

昔、私、日本語のフォローの意味を知らなくって、「も〜、何やってんの?」って言われて、言われたとおりにやったのに、なんでこんなこと言われるんだろう、と思った記憶が。。。

 

 

言葉は変わるし、その場所で独自の進化を遂げるとはいえ、

“ドキュメント”も“フォロー”もやっぱり気持ち悪い。

意味が乖離しているものは、カタカナではなく日本語を使って欲しいなぁ。

シャレとか流行り(そのあと一般化するにしても)なら、

へええ〜、そーなんだ〜、おもしろ〜い、なんだけど、

いかにも当然です、みたいな顔をしてってるものは、ね。

こういう「日本語でいいんじゃないの?」って言葉、たくさんあるんだよなぁ。

アマゾンの普及ぶりを痛感する!

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私のところに荷物を届けてくれるヤマト運輸の方がおもに3人いらっしゃいます。

そのうちのおひと方とは、サインをしながらちょこっと話をしたりします。

 

が、たまたまのタイミングだったのでしょうが、今年に入ってあまりお目にかからないなぁ、と思っていたら、久しぶりに荷物を届けてくださいました。

 

「例の多忙さで、もしかして、と思ってましたよ〜」

「ははは。それはなかったですけどね。でもみなさんに、大変ですね、って言われます」

「アマゾンを引き受けるようになられて、忙しくなった、再配達がね、っておっしゃってたの、覚えてます」

「そんなこと言いましたっけ? いや〜、オンラインで買い物って若い人が多かったけど、今はお年を召した方もアマゾンだけは利用してる、って方がものすごく増えているんですよ。なんでも買えちゃいますからね。お米とか水とか、日々の重い買い物もアマゾンでできちゃうじゃないですか。まあ、お年を召した方は在宅率は高いんですけどね」

 

 

まずはおなじみの方が辞めてなくてよかった!

そして、アマゾンの普及ぶりをつくづく感じました。

いくらメディアによる情報伝達が普及しているとはいえ、実感としては自分の買い物の仕方とか、周囲の様子とかによるから、視点が狭まっているけれど、こうやって、荷物を配達するという方だと、日々多くの荷物を扱うなかでの実感によるものだから、

アマゾンって相当普及しているんだなぁ、もうアマゾンなしでは(そしてそれを運んでくれる宅配便なしでは)、の時代なんだなぁてことを改めて感じたのです。(

 

 

ってことはちょっと変えるぐらいだと抜本的な解決にはつながらないよなぁ。
こういうアマゾンの配送こそ、UberとかAirbnbみたくシェアリングサービスでできないもんですかね。

 

しわ寄せは外部、つまりフリーランサーにくるって話

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“イギリスの食”や“情報発信サポートやアドバイス”の方がおもしろい!

ってこともあり、もともと営業らしい営業はしたことがないのだけれど、それに輪をかけここ数年は、編集やライティングの仕事は、声をかけてもらっても、なんか違うな〜と感じたものは断ったりもする始末。

 

フリーランスは“一度断ると次はない”心理で基本来た仕事は、スケジュールの都合がつく限り引き受けるケースが多いのではないかな。

 

 

私がこの仕事を始めた頃にバブルがはじけ、そもそもが小さな編集プロダクションにいて、それはどういうものかというと、テレビ局の下請け制作会社のADみたいな感じだった、といえば想像できるでしょうか。

なので、“うはうは”な経験はないんですよね〜。

で、なりゆきでフリーランスになったのが2001年。

なんとなく、でそうなり、そのときのギャランティも決していいものではなく、2倍とはいわないまでも1.5倍はもらっていいんじゃないの?って状況。

(よく言われるように、社員は支払われている3倍の金額を会社が払っている、ってのは事実です。単に労働に対してでなく、福利厚生とかもだし、設備とか備品とか場所とかも会社が負担しているのだから。ということはアウトソーシングするには、同じ能力の社員の給料の3倍が然るべき金額。とはいえ、利益を出したいためのアウトソーシングなわけで、となると、2〜2.5倍は支払っていいんじゃないの(それでも会社には利益が出るわけだし)。もちろん、どうしてもこの人で!みたいな場合は話がまったく違ってきますが)

 

 

あらかじめ誤解のないように、全部が全部ではないですよ。

でもね、ざっとならすと、紙媒体の編集・ライティングに対してのギャランティは15年前の半分になっている、ってのが実感。

だからといって15年前が潤沢だったわけじゃなく、前述のようにこの1.5倍はあってもいいんじゃないかな、っな状況だったわけで。

今はその金額が半分になり、単純に金額を下げるだけでなく、あれもこれも付随してやることがもれなくたくさんついてくる、っていう、ね。

 

先日打診があったのがひどかった!

提示されたのは、ライティングだけでもこの1.2倍はあってもいいんじゃない?な金額。

加えて、あれもこれもあれもこれも、とあり、とてもじゃないけれど足が出る。

提示された金額の4倍が最低ラインでしょう。

しかも、編集部が責任をとりたくないのか、なんでもかんでも、電話1本かけてひと言確認すればいいことですら、いちいちフィードバックしてくる、進捗のどうでもいいことまでいちいちレポートのごとく提出させる(責任の所在、ってことでしょうが、要は責任逃れだよね。何のための版元で編集部なんだろう?)。

なので、丁重にお返事を差し上げた次第。

 

 

フリーランスは金額だけで引き受けるわけじゃない。

企画がおもしろければ、多少安くても引き受けるし、

これは自分にとって学びが多く自分への投資と思えば引き受ける。

担当の方やスタッフの方、お人柄や一緒に仕事したい!で引き受けることもある。

始めたばかりで、でも、どうしても、みたいな場合は、熱にほだされて手弁当ってこともある。

 

 

でもベースってものがあるんですよ。

だから一般的なところでは、その仕事の内容で見積もり(金額)をはじき出し、それをもとに引き受けるかどうか判断する。

 

 

もちろん会社の社員さんも負荷がかかっているでしょうが、半分とか、こないだ私が打診を受けたように1/4とか1/5とかはさすがにないしょう。

なぜならフリーランスに対しては雇用契約は存在しないからね。極論をいえば、最低賃金、ってのは無視していいわけだし。

フリーランスにしわ寄せが来ていて、だから昨年のような“1円ライター問題”も起こっちゃうんだよね〜。

ricorice.hatenablog.com

 

待つこと数カ月(1年近く?) やっと入手!

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『People Make Places』

届いてから気づいたんだけど、直接購入って手もあったのね。。。

この本の存在を知り、アマゾンをチェックすると在庫なし/取扱いなし。

そのうち入るだろう、とたかをくくっていたけれど、私のチェックのタイミングがずれていたのか、なかなか在庫ありにならない。

 

そんな期間が1年ぐらい続くなか。先日、やっと在庫ありに!

すぐさまポチッと。

 

届いたのは、写真集のような立派なサイズと装釘の本。

 

 

著者は、海外の超富裕層をメインターゲットに、日本への観光旅行をアレンジするコンシェルジェサービスを運営しているCharles Spreckley氏。そのせいか、

“外国人視点の日本人が気づかない日本のよさ”

が強調されている気がするけれど、確かにバックグラウンドが違えば視点は変わるし、それが外国生まれ&育ち(日本人でもね)だとそのズレは大きいから、当然といいえば当然のことなんですよね。

 

確かにその視点は新鮮ではあるけれど、私がこの本、欲しいなぁ、と熱望したのは、タイトルにあり。

 

『People Make Places』

 

人が場を作る、ってこと。

People Make Places - Tokyo

People Make Places - Tokyo

 

 

もうね、単にモノとかメニューとかのスペックの時代じゃないよなぁ。

だってそれってもはやNGなところを探す方がむずかしいし、嗜好もあるし。

 

それよりも、その向こうにあるものを提供していく時代だよなぁ。

この本の場合は、軸は人。その人がいて、飲食店があり、店舗があり、ギャラリーがあり。

それを本にどう展開しているのか見たかったのです。

 

私がそう期待をしているからなのかもだけれど、ぱらぱらめくった第一印象は、そこに収められた人々の表情。

 

ああ、こういう人がこういうことやってるんだな。この人に会いに行く、というよりも、この人が生み出している空気感に直に触れたいな、その結果として店へ足を運ぶ。

そういうことなんだよね〜。

 

もう少し、もう少し、もう少しの歩みがもう少し

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長い間、私の仕事の屋台骨となっている、(主に紙出版の)編集やライティングという仕事。

ここ5年は、もともと営業的なことはしていなかったけれど、ますますしなくなり、打診をいただいたものでも、う〜ん、違うな、という案件は断ったりもするという状況

フリーランスは仕事が選べる、というのは本当であり、でも実像じゃない。

 一度断ると次から来なくなる、などの理由から、よっぽどスケジュールが合わない以外は、多少の無理しても引き受けるケースが大半だと思われます)。

 

私の場合、比重がほかの仕事、情報発信のサポートやアドバイス、イギリスの食関連事項の方がおもしろい!から、ってのも理由なんだけど。

 

やりたいものをやっている、そんな紙出版の仕事で、現在、関わっている本のプロジェクトのひとつが、今月いよいよ佳境に。

 

最初に企画を提出してからン年、企画が通ってからも1年近く。

長いような短いような、でも雑誌や単発ものに比べると、やっぱり長丁場ですね。

 

本を作るのはマラソンのようなもの。

日々の進行はカメのごとく、ゆっくりゆっくり。

私の場合は編集(現場のとりまとめ。監督のようなもの)という立場なので、デザイナーさんやカメラマンさんなど制作のプロの方々や、ライターさんがいれば別だけれど、監修の方に執筆もお願いします。監修の方はその道ではもちろんプロだけれど、制作の現場のなかにあっては異業種なので、私は伴走者といった役割、かな。

当然、おひとりおひとりタイプが違い、楽しいこともあり悩ましいこともあり、でもやっぱりおもしろいんだな、これが。

 

撮影が済み、執筆が済み、デザイン組みが済み、印刷に入る前の確認、校正の段階にようやく入り、ここからがまた大変ではあるのですが、なにはともあれようやく形が見える、ってのも毎度のことながら感激もひとしおで。

どういうページしようとか考える、いわば産みの苦しみを経て、ここからは形を整えていくという工程に入ります。これはこれでやることはてんこ盛りでも、精神的には楽になります。

 

なので、部分的に関わっていれば別ですが、がっちりとりまとめをする編集という立場だと、すべてが終わり、本としてできあがったときって、うれしいとかよりも、実は精根尽き果ててしまっていて、ああ、できたな、ぐらいだったりするんですよね〜。

最近、ようやく夢を見るようになったのも、これまではどういう構成にするかページにするかに脳をもっていかれていて、夢に使うほどの制作の糧が脳に残っていなかったからでしょう。

 

今、こうやって校正紙があがってくるときが、一番わくわくどきどきするなぁ。