書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

もう少し、もう少し、もう少しの歩みがもう少し

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長い間、私の仕事の屋台骨となっている、(主に紙出版の)編集やライティングという仕事。

ここ5年は、もともと営業的なことはしていなかったけれど、ますますしなくなり、打診をいただいたものでも、う〜ん、違うな、という案件は断ったりもするという状況

フリーランスは仕事が選べる、というのは本当であり、でも実像じゃない。

 一度断ると次から来なくなる、などの理由から、よっぽどスケジュールが合わない以外は、多少の無理しても引き受けるケースが大半だと思われます)。

 

私の場合、比重がほかの仕事、情報発信のサポートやアドバイス、イギリスの食関連事項の方がおもしろい!から、ってのも理由なんだけど。

 

やりたいものをやっている、そんな紙出版の仕事で、現在、関わっている本のプロジェクトのひとつが、今月いよいよ佳境に。

 

最初に企画を提出してからン年、企画が通ってからも1年近く。

長いような短いような、でも雑誌や単発ものに比べると、やっぱり長丁場ですね。

 

本を作るのはマラソンのようなもの。

日々の進行はカメのごとく、ゆっくりゆっくり。

私の場合は編集(現場のとりまとめ。監督のようなもの)という立場なので、デザイナーさんやカメラマンさんなど制作のプロの方々や、ライターさんがいれば別だけれど、監修の方に執筆もお願いします。監修の方はその道ではもちろんプロだけれど、制作の現場のなかにあっては異業種なので、私は伴走者といった役割、かな。

当然、おひとりおひとりタイプが違い、楽しいこともあり悩ましいこともあり、でもやっぱりおもしろいんだな、これが。

 

撮影が済み、執筆が済み、デザイン組みが済み、印刷に入る前の確認、校正の段階にようやく入り、ここからがまた大変ではあるのですが、なにはともあれようやく形が見える、ってのも毎度のことながら感激もひとしおで。

どういうページしようとか考える、いわば産みの苦しみを経て、ここからは形を整えていくという工程に入ります。これはこれでやることはてんこ盛りでも、精神的には楽になります。

 

なので、部分的に関わっていれば別ですが、がっちりとりまとめをする編集という立場だと、すべてが終わり、本としてできあがったときって、うれしいとかよりも、実は精根尽き果ててしまっていて、ああ、できたな、ぐらいだったりするんですよね〜。

最近、ようやく夢を見るようになったのも、これまではどういう構成にするかページにするかに脳をもっていかれていて、夢に使うほどの制作の糧が脳に残っていなかったからでしょう。

 

今、こうやって校正紙があがってくるときが、一番わくわくどきどきするなぁ。