書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

どうにもつきまとう、大いなる違和感

 

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東京オリンピックが終わった、ようだ(パラリンピックはこれからだけれど)。

 

ようだ、というのは、私はまったく見ていないからである。

テレビを置いていない、というのもあるのだけれど、そもそもオリンピックに興味がないので、生まれてから半世紀以上経つけれど、一度も見たことがない。

同様に、高校野球も見たことがないし、マラソンも然り。

 

興味がない、っていうのはそういうもんなんです。

 

あっ、「楽しんだ」って人を非難する気は毛頭ないです。

それはそれで、「よかったね」なもんで。

そこはお間違えのないよう。

 

このオリンピック期間中、憤慨したことがいくつもあり(私は在宅時はAMラジオを流していることが多い)

・通常の放送を辞めて特別中継(野球だったか、マラソンだったか)を主要AMラジオを行なった(主要ラジオ局がこぞって行う必要はない)

・いつも通りの番組放送の場合も、オリンピックの進捗状況が逐一割り込んでくる、またはその話題が多い

・ニュース速報やトップニュースとして結果が報告される

・外国籍の選手も日本に関係があるとピックアップしたり、(どうでもいい)日本すごい、みたいな情報を盛ってくる

・選手のプライベートなことにずかずか割り込む

・休日が変更になっていた!

 

興味がない、見たくない人を完全無視し、これのどこがダイバーシティ

そもそも興味がある人はテレビなり映像つきの媒体で見てるでしょ、ラジオで放送しなくてよろしい。

ニュースで結果を伝えるだけでいい。

 

 

・オリンピックは何にも増して優先

の態度にあるのは、

 

・スポーツは善

・日本人なら日本を応援せよ

・感動をありがとう

という前提である。

いずれも持ち合わせていないのよ、私。

 

私はテニスが好きなんだけれど、だからといってオリンピックで見たいとも(フレンチオープンとウィンブルドンが好き)、ことさら日本人選手を応援したいとも(ナダルがお気に入りである)思っていない、好きなプレイスタイルの選手がいれば別だけど(伊達さんは好きだった)。

感動は、自発的に湧き出る感情であって、押し付けられたり与えられたりするものではないし。

 

 

嫌でも情報は入ってくるわけだけど、

喜ばしいこととして、今回のオリンピックでは、どうやら若い選手の活躍が目立ったようで、これは何より!

懸念するのは、(オールドメ)ディアがさんざん持ち上げ、くだらないバラエティ番組に出演させて(資金調達やPRの一環として、ということもあるだろう)どうでもいい話題やどうでもいいことをやらせて、

ちょっとスランプに陥ったり恋愛関係などが浮上したりすると(そんなことはあって当然だろ!)、手の平を返したように冷たくなり、バッシングを浴びせ始めることだ。

どうか、どうか若い才能を潰さないでいただきたい。

 

若い世代で思い出したけれど、ニュースでメダル獲得後のインタビューが流れたとき、

普段より大きい大会だなと思った、とか、楽しかった、という、応答に対して、

なんとかして、“オリンピックすごい”“日本人として”“緊張した”という言葉を誘導しようとしているインタビュアーがいて、聞いていて非常に不愉快だった。

彼なり彼女なり、はそういう心情だった、ことを素直に受け止めればいいんじゃないの〜。