書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

認められたくて仕方のない、後天的美人

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ルッキズムはいかがなものか、という声は日増しに大きくなっている。

異論はない。

確かにそうではあるのだけれど、果たして見かけを判断することを辞められるものなんだろうか。

口に出す/出さないの違いは大きい。

マナーとして、人として、口に出さない、ということなんだろうか。

 

 

昔、会社勤めをしていたときに、違う部署にそれはそれはきれいな人がいた。

頻繁に顔を合わせたりはしなかったものの、会議などで一緒になると、「この人、本当にきれいだな」と見惚れてしまうほどだった。

 

ある日「羽根さん、会議中に私のこと見てたでしょ」と言われ、「いやぁ〜、本当に美人だな、って思っちゃって」と返すと、ふふふと優しい笑顔に。

この返し。やはり彼女は生まれつきの美人なのだ。

 

 

今、大概の人は美人の範疇に入れられるようになった、ように感じる。

私は、美人には、

・先天的美人

・後天的美人

の2つのタイプがあると思っている。

(それについては、こちらを(↓)。) 

ricorice.hatenablog.com

 

世間に圧倒的に多いのは後者、後天的美人である。

彼女たちは、「きれいですね」と言われると(心の中でガッツポーズをとりながら)「そんなことないですぅ」と上目遣いで応える。

これ、謙遜、ではなく、他者を介した自己確認、の作業だと私は思っている。

美人を目指し、メイクを研究し、似合う服を吟味し、ダイエットに励み、努力の結果としてのきれいなので、他者に認められて、初めて目的を達成するのである。

 

 

先天的美人には滅多にお目にかかれないけれど、随分前に仕事でご一緒した方がそうだった。

もともとは、他の部署の方とやりとりがずっとあって、「誰かいない」が回り回って、その先天的美人と仕事をすることになった。

その会社がいろいろあったり、私も引っ越したり、で、さほどがっぷり、ではなかったけれど、それでも一時期はコンスタントに仕事をしていた。

 

彼女は真面目な人で、冷静沈着。やりとりなんかもきちんとしていて、仕事はとてもやりやすかった。

地方都市の中産階級のお嬢さんが大人になったような、とでもいうのか、家のしつけもきちんとされていて、勉強も真面目にやる、習い事も適度にやっていた、学校の成績もよかったんだろうな、というタイプの人だった。

無駄なおしゃべりとか冗談を言うタイプではないけれど、当時は対面する機会が多かったので、少しずつ打ち解けて、時々笑顔を見せたり、ちょっとしたおしゃべりをしたりするようになったときは、なんだかうれしかった。

 

ある日、そもそもよく仕事をしていた方と他愛ない話をしていた時のこと。

その美人について、顔をしかめて、「枕(営業)やってる」だったか、「役員(上司?)のお手つきだから」みたいなことを吐き捨てるように言った。

 

ものすごくびっくりした。

びっくりしたけれど、とっさに聞こえないふりをして、相槌も返事もせずに話題を変えた。

 

 

びっくりした理由は、

女性性を武器にするような人に思えなかったから。

もしそうだったとしても、仕事自体はスムーズだし、私にはまったく関係がない。

そして、いちばん驚いたのは、普段は人の悪口や陰口を言わない人が、その美人に対しては憎悪とも思える敵意を見せたことである。

 

相槌も返事もしなかったのは、確証がないし、そもそも私が首を突っ込む話でもないし、もっと言うとそうだったとしても、(セクハラやパワハラでなく)お互い同意の上なら別にいいじゃないか、って思っているからである。

 

こういう場合に求められているのは、“共感”で、冷静な意見を言ったり反論したりしたら、火に油を注ぐ事態になるだろうし、相槌を打つことで同意と思われたくもなかったのだ。

 

話題を変えたので、それっきりになったのだけど、どこか引っかかっているところがあったんだろう、ルッキズムが取り沙汰され、思い出してしまったのだ。

 

“嫉妬”

なんだろうな、と思うである。

 

それは美人そのものへの嫉妬ではない。

(努力もしていないのに)持って生まれた美人や頭のよさで認められた、ことへの嫉妬である。

自分はこんなに頑張っているのに、努力をしていない人にやすやすと存在が認められ評価が与えられたことへの憤り、だったのでは、と思うのだ。

 

努力は報われることもあるけれど、必ずしもそうではない。

むしろ、そうではないことの方が多いんじゃない?

 

 

先天的美人というのは、後天的美人に(勝手に)敵意を持たれて大変だなぁ、と感じる。

仕事だけを見て(特に同性から)真っ当な評価がされないのは美人ゆえ、だなぁ、と対極にいる私はしみじみしてしまうのである。

 

私自身は容姿含め低スペック、「この人よりはまし!」と思われるボトムラインガールなので、美人の範疇にいない。

美人枠の外から眺めると、そう思えるのだ。

 

ちなみに、先天的美人は心根も美しい、他人と比較しない、すれてない人が多いので、彼女たちといるのは大好きである。関係性は対等で、自分までいい人になった気がする。

後天的美人は、そんな必要ないのに、私の方が優れているのよ、ってマウントかけてくるんだよなぁ。

やさしいふりをしていても、小バカにしているのは、ちょっとした発言や態度で露呈されているのだよ。

 

 

美人はセクハラも受けやすいだろうけど、先天的美人はさほどでもないかも、と思ったりもする。

あまりにもきれいで、そういう対象にならない、触れてはいけない、というか。。。

 

 

ルッキズムに一番とらわれているのは、後天的美人という気がするのだけれど、どうだろう。

彼女たちは自分への投資や気にかけ方もすごい分、人に対しても厳しく、見た目で男性を平気でジャッジするのも彼女たちじゃないか、って思うのである。

(男性は見た目をいじってもいい、ってのも変な話だ!)