『結婚の奴』はひとつの希望に思えたのだ
なぜコロナ鬱寸前までいったのか、自分に足りないものは何か、どうすればこれからの日々を機嫌よく暮らせるのか、そう考えたときに行き着いた答が、
“家の中に社会が欲しい” (↓)だった。
いわゆる結婚やハウスシェアでもいいのだけれど、もっとゆるやかな生活共同体、といえばいいのか、ビジネスパートナーがあるように、家庭の中でもパートナーがいてもいいのでは、と思ったのだった。
そんなことをつらつら思っていた2020年の年末、図書館で、それをすでに具現している本に出合う。
能町みね子著『結婚の奴』
能町みね子はラジオに出演している人として知り、話す内容も、だけれど、声質や口調も相当気に入っている(すっきり!が終わって本当に残念!)、。
(私にとって、(テレビではそうでもないのに)声や話し方がイマイチ、という人は多い。
A Mラジオのアナウンサーの声や話し方は本当に安心する。
秀島史香の声はやはり秀逸だなぁ、と思う。内容よりも(失礼!)、その声を聞きたいがために日曜の朝はFM横浜にしている)
ただ、どういう人かはよく知らなくって、それでもラジオをきっかけに図書館で目に留まった『私以外みんな不潔』『お家賃ですけど』は読んでいた。
作りものなのか実話なのか、その境界が曖昧な、不思議な文章を各人だなぁ、という認識だった。
『結婚の奴』はちょっと話題になっていたような。。。
で、借りてきて読んだら、腑に落ちたような。
私が求めているのは、こういう生活環境なんだな、と思い知った。
恋愛感情を伴わない、生活パートナーとしての結婚、同居。
生死を彷徨った経験があるせいか、死は私にとって身近で、昨秋、倒れたときに打ちどころが悪かったら死んでいたな(そして、そういうことはあるのだ)と思い、またしても死が切迫したものとして自分にかかってきた。
理性がきかない、というか、感覚に従って行きてきたので、あのときあれをやっておけば、という後悔、みたいなものはない。
なんせ、考えるより先に体が動いてしまうのだから。
でも、やり残したことは、ある。
それは恋愛期のふわふわ、みたいなもの(誕生日やクリスマスはいつもと同じ一日、というのはその表れだと思う)。
いきなり倦怠期みたいな風景の一部に化してしまうのだ。
やってなかった、というのは、そもそもその手の才能が自分には備わっていないのでは、という思いがぼんやり頭の中に漂う。
自分もそうかもしれない、そして、そういう人は確かにいるんだ、ということに気づかされた。
なので、恋愛を介在しない家庭生活、というのは私向きなのでは、と思え、それを確信したのが『結婚の奴』だったのだ。
さて、実践するにはパートナーが必要、なんだよね〜。