書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

健全なる精神は健全なる肉体に宿る、は真実かも

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突如、走ろう!と思い、先日、最初の一歩を踏み出しました(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

私の場合、朝走ることを組み込むのが自然な流れで、

でも雨降りだったり、早起きの日があったり、泊まりの出張でいなかったり、

とりあえず2日に1回実行している状況です。

 

流れとしては、朝起きて、身支度をして、(家を出ると同時にゴミ出しをして、)走って、帰宅して、シャワーを浴びて、朝食。

 

数回とはいえ、少しは慣れ、

初めて走った時は、走って歩いて走って歩いて、だったのが、

走る時間の方が長くなり、途中歩くのは一度に。

頑張れば走り続けられたかもしれないけれど、無理すると続かないので、

きつい、きつい、になる前にやめる。

 

もう少し距離を伸ばしてもいいな、と思ったのですが、

それだと、走って歩いて、の繰り返しになり、それでもいいのですが、

今は、走る状態を持続させることに注力する方がよさそうに思えて、

距離はそのままで、走り続けることに。

 

まだ1kmは連続して走れていないけれど、500m以上、700〜800mは走り続けられるようになったな、って実感です。

 

 

それにしても、なんで「走りたい!」って思ったんだろう。

歩くのは苦にならないものの、運動らしい運動はしたことなかったのに。

我ながら、不思議。

 

走り終わって帰宅したら、じんわり汗ばんでいるので、確かに体を動かしているんだなぁ、とは思う。

でも、運動しなきゃ、健康のため、じゃあ、ないんだよなぁ。

 

体が求めていることをしようと思っていて、それが走る!だったのは、

メンタルのためかもしれない、とぼんやり感じるようになりました。。

 

いや、特に何があるわけではないのですよ。

ストレスは多かれ少なかれ、日々あるわけで(それは当然のこと)、

これまでもそうだったとはいえ、基本おこもりで、ひとりの時間が長いと、ついあれこれ考えてしまうのは事実。

考えてもどうしようもないことは考えないようにしているけれど、もやっとした感情はどこかにとどまったまま。

 

走っていると、走っている間は、無に近い状態になる。

いや、あれこれ考えてはいるんだけれど、机の前で考えるのとは違って、思考がクリアになる、というか。

 

精神と身体はつながっているんだなぁ。

健全なる精神は健全なる肉体に宿る、ってのは実に真実なんじゃないか、って思うわけですよ。

 

毎日をできるだけ気持ちよく過ごすため、頭をスッキリさせるために、

走る!生活に突入したのかも、と感じています。