書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

その“よかれ”はまったくよくないのだ

f:id:ricorice:20200905085055j:plain
 

まあ、プロの話し手さんの発言なので話半分で聞いておくぐらいがいいのでしょう(↓)。

news.yahoo.co.jp

 

でも、「してやった」が出た時点で、それは善意の押し売りだなぁ。

 

今でも得意じゃないけれど、私は仕事関係の人とプライベート(というか自分の時間を差し出して)、飲みに行ったり食事に行ったり、出かけたりするのが心底苦手だった。

 

おいしいものをご馳走になる  <  解放してくれ(ひとりでいたい)

 

気を遣うとかそういうことではなく、とにかく早く帰ってひとりになりたい。

まあ、内向型、ゆえですね。

 

でも、気を遣うから苦手、という人も多いんじゃないかな。

 

歓迎会も送別会も納会も花見も要らない。

やるなら時間を決めて業務時間中にやってくれ!って思うもんなぁ。

 

 

タチが悪いのは、おごる方は喜んで欲しい、という善意が発端であること。

 

相手の気持ちや意向お構いなしに、勝手にこうすれば喜ぶだろう、というのは善意の押し売りで、しかもその相手が喜ばなかったら、ふてくされる、というのは、筋違いも甚だしい。

よく、感謝の言葉を求める人がいるけれど、勝手にやっといて何を言っているんだろう、って思う。

 

最近聞かなくなった、日本の“おもてなし”ってこれだと思う。

頼まれもしないのに勝手に進めて、それを拒否されたら、勝手に傷つく、というね。

まずは相手が何を求めているか、ちゃんと耳を傾けてからでしょ。

 

 

“よかれ”なら何をやっていいわけじゃないよ〜。

悪気がなかった、善意なら、何もやってもいいわけじゃないよ〜。

 

 

自分も無意識でやってないか、気をつけよう。。。