うれしさと安堵感と、そしてうれしさと
ある雑誌で記事を書き、取材先に内容の確認をいただいたときのこと。
修正は、勘違いしていた一箇所だけ。
そして、うれしいお褒めの言葉をたくさんいただきました。
先方が本当に喜んでいらっしゃる、電話越しに確かに伝わってくる。
うれしいなぁ。そして、ほっと安心。
褒められたのが、素直にうれしい、というのもあるのですが、
この記事、ウンウン唸りながら書いたから。
いえね、書くこと自体は時間はかからないんですよ。
これでいいのか、推敲を何度も何度も重ねたのです。
単にお店や商品を紹介するだけでなく、
そのお店の歩み、エリアとの関わりやシーン全体の流れ、現状、そしてこれから、を組み込む必要があったんです。
取材後も資料をもう一度読み込み、自分の思い違いや、先方の言い間違いがないか、確認。
この案件は、取材交渉から始まり、撮影の仕方も編集部に提案し、
それがこうやって形になり、
取材対象に、文章も写真も企画もデザインも、褒めてもらえたのは、
それはスタッフが企画に沿ってそれそれの立場でベストを尽くし、
化学反応となって、いい記事に仕上がったからでしょう。
思いは伝わる。
取材自体も非常におもしろかったし、意図をきちんと具現化できて、よかったなぁ。
それを先方も喜んでくれて(別にヨイショはしていない)、それはちゃんと汲み取れた、ってことで安心!
手がかかる、イコール、熱量や思い、で、それがすべてではないけれど、
作り手が注力して懸命にやらないで、どうして人の心を動かせるんだろう、ってやっぱり思っちゃう、んだよなぁ。