書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

うれしさと安堵感と、そしてうれしさと

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ある雑誌で記事を書き、取材先に内容の確認をいただいたときのこと。

 

修正は、勘違いしていた一箇所だけ。

そして、うれしいお褒めの言葉をたくさんいただきました。

先方が本当に喜んでいらっしゃる、電話越しに確かに伝わってくる。

 

うれしいなぁ。そして、ほっと安心。

 

褒められたのが、素直にうれしい、というのもあるのですが、

この記事、ウンウン唸りながら書いたから。

 

いえね、書くこと自体は時間はかからないんですよ。

これでいいのか、推敲を何度も何度も重ねたのです。

 

単にお店や商品を紹介するだけでなく、

そのお店の歩み、エリアとの関わりやシーン全体の流れ、現状、そしてこれから、を組み込む必要があったんです。

取材後も資料をもう一度読み込み、自分の思い違いや、先方の言い間違いがないか、確認。

 

この案件は、取材交渉から始まり、撮影の仕方も編集部に提案し、

それがこうやって形になり、

取材対象に、文章も写真も企画もデザインも、褒めてもらえたのは、

それはスタッフが企画に沿ってそれそれの立場でベストを尽くし、

化学反応となって、いい記事に仕上がったからでしょう。

 

思いは伝わる。

 

取材自体も非常におもしろかったし、意図をきちんと具現化できて、よかったなぁ。

それを先方も喜んでくれて(別にヨイショはしていない)、それはちゃんと汲み取れた、ってことで安心!

 

 

手がかかる、イコール、熱量や思い、で、それがすべてではないけれど、

作り手が注力して懸命にやらないで、どうして人の心を動かせるんだろう、ってやっぱり思っちゃう、んだよなぁ。