書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

フリーランスの強みがあるとすれば

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振り返ってみれば、2018〜19年がどうにもこうにも停滞期で、

何やってもうまくいかず経済的にもやばいなぁ、な状況に陥り、

今年に入って、引っ越しもして、住んでいる物件とよっぽど相性がいいのか、気持ちとしては穏やかな日々を送っています。

 

ただ、新型コロナウイルスの影響はあって、仕事はこれまでのものの大半がぶちぶち切れて、一方で、これからってものもあるけれど、長期戦だから経済的には非常にまずい。

7月はほぼ無収入なので、8月に入ったら持続化給付金の申込みだわっ!

 

とまあ、逼迫した状況なのに、本人があたふたしていないからなのか、

「お金ないって、またまた〜」という反応。

 

悲壮感満載、不安でいっぱいの人と話していると、多分その感情を共有したいんだろうけど、

暖簾に腕押し、といったていで、がっかりされる始末。

 

 

やばいはやばいけれど、あたふたしても仕方ないからなぁ。

 

 

我ながら、なんでこんな他人事みたいに構えているのかな、と思ったら、

フリーランスを20年近く続けているからなのかもしれない。

 

フリーランスは何かあると真っ先に首を切られる立場にあって、

メディアの仕事はきっちりかっちり契約を交わさず口約束がいまだに多いし、

契約を交わしていたところで、状況が変わればいとも簡単に反故にされてしまう。

 

何度か煮え湯を飲まされ、何度か白紙になった。

 

そのときに得たことは、自分の力の及ばないことに思い惑わされない、ってこと。

できる範囲のことをして、言える範囲のことは言うけれど、どうにもならないことには手を出さない。

大きな負の感情の渦に巻き込まれるのは、私にとってはまったくよろしくないから。

それよりも、ゲームは変えられないかもしれないけれど、河岸は変えよう、に自分を持っていくんだよなぁ。

 

 

腹をくくる、ってのとは違うかもしれないけれど、

なんとかなる、というか、なるようにしかならない。

不思議と、今もなんとか生きているんだよなぁ。

比喩でもなんでもなく、生死をさまよったこともあり、本人もこのまま死ぬんだな、それならそれで、と流れに身を委ねたのに、まだ生きてるよ。