書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ヘッドラインだけでわかったつもり?

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これ、確かにそう!

karapaia.com

 

ざざっとヘッドラインだけ拾い読みすること、少なくないもんなぁ。

 

 

で、書く側からいうと、特にネット記事の場合のヘッドラインのつけ方は、紙媒体と違って、

内容を端的に示すだけでなく、引っかかりやすいことを主眼におきがち。

インパクトを与えるためもあり、

間違ってはいないのだけれど、一部分だけを切り取ってしまう傾向があるのは否めない。

 

構造的にも紙の場合は本文が隣接しているけれど、

つまり、文字に埋もれて文章の一部としてヘッドラインがあるのに対し、

ネットの場合はヘッドラインがくっきり明確に立っている。

 

リンクをクリックしたりスロールしたりして本文にたどり着ける構造で、

ヘッドラインと本文との間にある溝、

ユーザーにとっては、紛れもない“手間”という形として現れ、

ヘッドラインはそれだけで完結、独立した文章になる。

だからこそ、ひとり歩きしやすい、というのもあるでしょう。

 

 

そう、だから、読者にちゃんと読めよ!というのは酷な話。

内容がより正確に伝わるような工夫がなされていくんじゃないかな。

ヘッドラインの精度を上げることもだし、他の何かが加わる、ってこともあるし、

そもそもヘッドラインのあり方自体も問われるかもしれないね。