書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

それは違うんじゃないかな 

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有名人や著名人の浮気や不倫を報じられるときに付随することが多い

「あんなにステキな奥さん/ダンナさん(つまり、パートナー)がいるのに、なぜ?」の声。

 

う〜ん、違うよね。

確かにパートナーは高スペックの人なんだろうけど、それが相手の心を四六時中ずっとつなぎとめておく理由にはならないよね。

それとこれとは別だよね。

スペックでは見えない部分、タイミングとか相性とか、感情とか本能とかに突き動かされちゃうってこと、あるんじゃないかな。

むしろ人間関係ってそっちの比重の方が大きいんじゃないかな。

 

「あんなにステキな奥さん/ダンナさん(つまり、パートナー)がいるのに、なぜ?」を平気に口にする人は、

スペックで、理性で、パートナーとの関係を築くのだろうか。

 

 

本質的には、同じだと思うのだけれど、

上に立つ立場の人が命令を下したときに、

「自分の奥さん/ダンナさんも教育できないくせに」

「自分の子供もちゃんと躾けられないくせに」

との反論。

 

これも違うよね。

むしろ関係性が近いがゆえに、むずかしいんじゃないの?

それに、関係性が近いからといって、「言うこときけ」という態度はいかがなものか。

奥さん/ダンナさん、子供だって、当然ひとりの人間だから、その上に立つ人と同じ思考、同じ言動をしなくって、当然だよね。

 

「自分の奥さん/ダンナさんも教育できないくせに」

「自分の子供もちゃんと躾けられないくせに」

という人たちが、自分との関係性が近い人ほどコントロールしやすい、自分の意のままに動かせる、と思っているのだろうか。

 

 

関係性が近いほど、人間関係はむずかしいし、

ときには絶望的なほどに目の前の人は他人であることを、日々認識するもんじゃないのかな。