書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

刺さればいい、って言われても。そもそも刺さらないし

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なんだかなぁ。

 

最近では、

“ステイ(アット)ホーム”ってなんだ?

“自宅で過ごそう”でいいじゃない。

ほわっとしたカタカナ語(というか、和製語)を、かっこいい!と信じ、ドヤ顔で使う風潮にもうんざり!

 

ある人に言わせると、こんなにカタカナやアルファベットが、ときに本来の意味を無視して使用&氾濫している理由を、

意味が違っていようが、そうしないと、人々の心に刺さらない!そうですが、

そうかぁ、そこまで強いメッセージ性はないし、雰囲気美人ならぬ雰囲気言葉なだけで、一般の人々に刺さっているとも、そんな言葉で一般の人が刺さるほどバカとも、到底思えない。

 

むしろ、本来の意味を無視して、そういう言葉を意気揚々と使う状況に出合うと、

自らの無知を露呈しているのに気づかないのだろーか、

失笑されるか首を傾げられるかのどちらかじゃないの?と感じてしまう。

 

どうにも日本語にはまりづらい言葉ってあるけれど、

そうでないものをあえてカタカナ語や和製語を使うのって、不親切極まりない、と思うんだよね。

 

パッと見で理解できる、ってのも大事で、

冊子の表紙とか見出しとか、アルファベットはやめたほうがいい、のが私の持論。

(ロゴ含めて、すでに広く認識されていたら別だけどね)

一瞬で何を意味するのか判断できないもの。

よっぽど引っかかるデザインでないと、ちゃんと見ないよ。すっとばしちゃう。

 

ドイツが戦争に負けた理由を

ひとつの単語が長いから、一瞬の判断に時間がかかる、

って言われているのもあながち間違っていない、と思うのだ!