書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

いつもいつも真っ先に感じる素朴な疑問

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これまでもこういうことはあったけれど、新型コロナウイルスで、見聞きすることが増えて、

その度に素朴な疑問が、私の頭に浮かび上がります。

 

学校が休校になって、子供がずっと家にいて大変!

 

うん。そりゃそうなんだろうけど、

「いつもはそうはいかないけれど、今はずっと一緒にいられてうれしい。ごはんもおやつも食卓をゆっくり囲めてうれしい」

「たまにはこういう日があってもいい」

みたいな声が上がってこないのはなぜだろう?

 

子どもの世話を請け負うシステムが少ない社会であることは、いったんおいておきます。

 

私が子どもだったら、

「四六時中家にいられると、食事の支度もしないといけないし、遊び相手にもならないといけないし、勉強も見てやらないといけないし、勘弁してくれ!」

って言われたら、

「そんなに嫌だったら産まなきゃよかったじゃない! 自分たちが勝手に産んでおいて、いざ育ったら、手がかかって困る、なんて言うなよ!」

って怒り狂うと思うんだけどな〜。

 

 

同様に、パートナーが家にずっといて困る、ってのもなんだかね。

もちろん、ずっと持続する愛情ってのは稀で、時間の経過とともに相手が変われば自分も変わるし、同じベクトルで同じような熱量でないと、むずかしいとは思うんだけれど、

それでも、嫌な相手とずっと居続ける、ってなんだろう。

 

「一緒に住んでいても、一緒の時間がなかなか共有できない。今はその時間がもててうれしい」

みたいな声もほとんどきかないねぇ。

 

な〜んか寂しい、なぁ。

私にパートナーがいて、「ずっと一緒にいるこの状況は勘弁してくれ!」って思ったとしたら、とっとと別れちゃうな〜。

精神的につらくない、の?

そして、そういう言動を公にするってのは相手に対して失礼じゃないの?

(それって、“自分は正しい”が根底にあって、その自分の指針にそぐわない言動をするパートナーにうんざりする自分勝手さであって、相手の尊厳を無視している、ってことの表れにもみえる)

 

 

あなたは一緒に暮らす子供もパートナーもいないから、そんなこと言えるのよ、なんでしょうが、

だからこそ、根源的ともいえる、素直で素朴な疑問でもあるんだよ。