書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

またしても、うつらうつらと頭に浮かぶこと

f:id:ricorice:20200429190932j:plain

 

生理になりました。

なかなか閉経しないねぇ。

 

去年8〜9月に2カ月生理が続き、しかも卒倒しそうなほど大量の血塊が出続け、ついには歩けなるほどの貧血になりました。

クリニックで検査をし、すぐに総合病院を紹介され、

更年期の経血過多で、ほかに悪いところはなかった。

ただ、予防策はないようで、生理が続いて収まる傾向がなかったら、とにかくすぐに病院に!とのアドバイス

その後、数日はヘビーな日があっても、1週間程度でおさまっています、今のところは、ね。

 

 

最近、長らくご無沙汰な方に連絡をする機会がありました。

その人は、12年前に出血過多で、文字どおり生死を彷徨った頃に、執筆依頼をくださった方。

そのときに、原稿提出までは通常どおりだったのもの、その後緊急入院をして、それ以降の校正などがなかなか思うようにできなかったときに、私は状況をちゃんと説明できないほどの状態だったのですが、様子を察して、あれやこれや配慮をしてくださったことを思い出しました。

 

当時の私は東京・文京区民。

文京区は大学病院や総合病院が多く、救急車で運ばれた日は祝日でしかも夜だったのだけれど、救急外来で飛び込める病院を何か所か当たり、すぐに搬送してくださって、その時間は短い時間だったと記憶しています

(その後、通院することになるのですが、歩いて30分かからない、2km未満のところの病院に運ばれたのでした)

 

 

今、同じことが私の身に起こったら、どうなるんだろう。

 

生理の経血過多は、日々徐々に貧血が進むので、大事だと気づけないまま、クリニックに行く発想すら持てなかったかもしれない。

だとしたら、どうなるだろう。

 

出血過多で生死を彷徨ったときは、その日は越せない、というのが自分ではっきりわかったので救急車を呼んだのだけれど、

今の状況で同じことが起こったら、救急車はすぐに来てくれるのだろうか、病院は受け入れてくれるのだろうか。

 

 

死はある日突然現れて、しかもあっけない。

振り返るたびに、よく死ななかったな、って思うし、

今、また、同じことが起こったら、おそらく、ほぼ間違いなく死んじゃうんだろうなぁ、ということが頭をかすめる。

 

 

生きる、じゃなくって、生かされている、かぁ。

生かされている、としたら、なぜだろう?

そんなことをまた、うつらうつら考えてしまっています。