書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

冷たいようだけれど

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イベントの中止やお店の閉業があったりすると、

「残念」「悲しい」

などの声が上がります。

 

これ、違和感。ものすごい違和感。

たいていの場合、私は

「そりゃそうだよな、もっと早く決断すればよかったのに」って思ってしまうのです。

 

 

そういう感情的な声が、ニュースでも本筋のように報道されますが、

感情論は要らない。何がどうなって、どういう理由で止めるにいたったさえ、わかればいい。

 

大事なのは現状認識。そして、その上での判断。

どんなにつらくても現状を直視することからしか、物事は認識できないし、その上でどうするか考えないと、次のステップへ踏み出すことはできない、って思うんだけどなぁ。

 

「せっかくやってきたのに」という声もどうなんだろう?

せっかくやってきても、状況が変われば、白紙撤回して当然だと思うのです。

「かわいそう」ってのもなんだか、ね。

 

冷たいようだけれど、そういうもんだよなぁ、と思うのです。

いくら努力していても、いくら積み重ねてきても、自分の力が及ばないことに襲われ、どうにもならない時はある。

 

 

悔しがったり悲しんだりしていいのは、当事者と本当に近くにいた人たちだけじゃないのかなぁ。