書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

状況が改善したら、を希望にすると辛いんじゃないかな

f:id:ricorice:20200403183544j:plain

 

新型コロナウイルスとは、“闘う”とか“打ち勝つ”とかではなく、

そこにあるものとしてつきあっていくんだなぁ、と私は思っています(↓)。

ricorice.hatenablog.com

 

 

よく、“今の状況が改善したら”“もとに戻ったら”

なんてことも話題になるけれど、

これ、違うんじゃないかな〜、って違和感を感じています。

 

状況が改善しても、以前と同じになるとは思えない、社会も環境も自分も。

 

たとえば、私は海外旅行に行くのが好きで、実際に行っていたのだけれど、

新型コロナウイルスの状況が安定したら、また行こう!という気持ちになるかどうか、まったくわからない。

 

以前と同じように、次の休みは海外に行こう!と思うかもしれないし、今まで以上かもしれないし、全然興味がわかなくなるかもしれない。

 

なので、“今の状況が改善したら”“もとに戻ったら”で未来に希望を託すのは、どうなんだろう?って思っています。

 

それよりも、今は目の前のことで、それは些細なことかもしれないけれど、満足が得られれば、そしてその日々を積み重ねていけばいいんじゃないのかなぁ、と思うわけです。

「昨日までつぼみだったお花が咲いたよ」「目玉焼きがうまく作れた!」みたいなことでも幸せを感じるわけで、今はそれで十分じゃないか、って気がするのです。

 

今、私は高田(文夫)先生、清水ミチコとナイツのラジオ番組がえらくお気に入り。

聞くともなく聞いているわけだけれど、ついつい笑顔になっちゃう!

肩の力が入っていない(ように思わせる)プロの話術ってすごいな〜。

「今日は放送日だ〜」ってのも楽しみだし、タイムフリーで聞き直すのもごきげん!なのです。

 

 

ええと、いつか、状況が安定して見通しが立てられて、未来を描けるようになったときに、未来を描けばいいじゃないかな。

今、あれこれ将来を思っても、ほんと、どうなっていくのかわからないので。

それよりも今をいかに幸せに生きるか、もっと言うと、今いかに幸せを感じるか、今いかに幸せなことを拾い上げるか、の方が精神衛生上、いい気がするなぁ。

 

 

もっとも会社を運営とかであれば、日々あらゆる状況を想定して策を練っていく必要があるのだろうけど、

個人レベルでは、こういう態度でいいんじゃないかな、少なくとも私はね、と思っているわけです。