書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

そもそもの前提を疑いたいのです

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ずっとモヤモヤしていました。

ほかのサイトでは、この対応を賞賛する声のようですが。。。

www.huffingtonpost.jp

 

番組を視聴したわけではないし、そこの言葉の前後の文脈もわからないので、なんとも言えないのだけれど、深刻にしろ冗談にしろ、投稿した人の中にはずっと残っている、ということでしょう、

「あんたは幸せになれない」という母親の言葉は。

 

 

私が、記事を読んで、モヤモヤしたのは、番組の締めの博多大吉の発言ではなく、その言葉を紹介したときの反応です(これも番組を視聴したわけではないので、紹介されている文章から推し量るしかないのだけれど)。

 

私が、ちょっと絶望というか、諦めの気持ちを抱いてしまったのは、

「きっと前後のいきさつがあったんですよ」

「そんなに深く考えなくてもいいんじゃないですかねぇ」

という発言が出たことに。

 

 

なぜなら、

 

親は子供を愛するもの

 

という前提がそこにあるから。

 

果たしてそうだろうか?

それが大半としても、みんながみんなじゃないし、その程度についてはバラツキもあるんじゃないだろうか。

 

そもそもそれを(疑わずに)前提として話を進めるから、苦しみが深くなるんじゃないかな。

 

 

私自身のことを言いましょう。

 

親は、よく言われる毒親ではなかったけれど、なんせ折り合いがよくなかった。

仲がよくない、というのとは違って、愛情のアウトプットとインプットが噛み合わない、というか。

子供の時分は、保護者と被保護者という関係で、対等じゃないから、余計にね。

 

彼らは私を理解できなかっただろうし、私もそうだったと思う(それは今も同じ)。

なので、物心ついたときにはすでに、親に対して100%の全幅の信頼を寄せる、ということはなく、どこか距離があって、いざという時に彼らが全力で自分の側についてくれるなんてことは、すでに諦めていた。

 

 

初めての家出は3歳になったかならなかったかのとき。

多分、何かで親と言い合って、こんな家にいられない!と家を出て行った、ぼんやりとした記憶。

幼稚園のバッグに下着とか詰めて、でも3歳だから、頼ったのは大家さんのところだった(当時、借家に住んでいて、大家さんは近くにいた。大家さんのところに行ったことは記憶にない)。

 

ちょうど同じころ、噛み合わなさからでしょう、行く先を憂いた親に

「この子は将来、永田洋子のようになるんじゃないか」という言葉を浴びせられ(これははっきりと覚えている、一度だけではなく何度か言われた)、

当時の私は永田洋子が誰なのか、ちょうど世間を騒がせていたときでもあったから、テレビで名前が上がる人、という記憶はあったけれど、どんな人か知らなかった(永田洋子がどういう人物か知らない方は検索してください)。

永田洋子って誰?」と訊くと「そんなことも知らないの?」と半分怒ったような半分切れたような口調で、3歳の私に返した。

そこの言葉のニュアンスに、いい響きは感じられなかったので、

「ああ、彼らは私に絶望しているのだな」というのは理解できた。

 

それが予言とは思わなかったし、呪いになったかどうかはわからない。

 

ただ、なんとなく引っかかっていて、たま〜に記憶の底から浮かび上がるので、

大学のときだったか、永田洋子がどういう人か調べてみた。

 

ショック、ではなく、ああ、そうだろうな〜、と感じた。

でも、買いかぶりだな〜、とも思った。

そこまでの大物(という言い方がいいのかどうか、ではありますが)じゃないよ、私は。

 

 

違う別の人という感覚だったのだけれど、でも知らせた方がいいだろう、と生死を彷徨ったときに、退院する間際に連絡を入れた。

報告と、輸血をして無理矢理退院するので、その後2週間ほどは臥せっている状態(かろうじて、食事とトイレで起き上がるぐらい)になるのはわかっていて、食べるものの買い出しができない(ほかの家事、料理も洗濯も掃除もしなくても生きてはいける)のはマズイ状況だと。

病院にいる間は、身の回りの世話、という意味では、看護師さんがいるから安心だったけれど、退院してひとりとなるとそうはいかない。

 

最初は友人を頼った。

でも、友達には友達の生活があるし、「来れるんだったら来てもらえないか」と親に言ってみた、おねだりをほとんどしたことのない(言ってもムダだし、変に期待してがっかりしたくなかったので、そういう習性が身についてしまった)、私には珍しく。

 

「仕事があるから」と言って難色を示され(それは突然のことで、至極冷静に連絡を入れたので、生死を彷徨う事態だと説明しても、理解できていなかったんだとも思う)、「こういう人じゃない、そしてこういうことを口にする人じゃない、私も学習しないなぁ、頼んだ私がバカだった、甘えるんじゃない、私。検索は横になっていてもできるから、アウトソーシングの方法を探ればよかった」。

結局、妹を連れて、1泊でやって来た。

 

いつもギスギスしていたわけではない。

むしろ通常は表面上はおだやかだったのだけれど、ひょっとした節にこういったことが起こり、私の感情の中にかたい小さな石となって残る。

 

まあ、自分もやっているんだろうけど、何気なく発した言葉が相手の心をえぐる、ってことを。

何が、ってのはわからないけれど、そういうことをしている可能性については自覚的でありたい。

 

 

親に対して、今の私は冷たいと思う。

やさしい言葉や態度を求められているんだろうけど、それに気づくと、なんだかなぁ、って気持ちになるから。

理解し合えない、というのはこういうことかもしれないし、結局のところ、自分がされたようにしかその人に対してできないのかもしれない、私はそこまで人間ができていないからね。

 

言われた言葉は呪いではないけれど、何かの拍子に思い出す。

その度に蘇るのは、諦念。

親だから、子供だから、血の繋がりがあるから、なんでも口にしていいわけではないのだよ、だって別の人格だもの。

 

 

ええと、親だから子供だからなどの、血のつながりを疑いなく信じない方がいいんじゃないかな。

別の人格を持った人間が、たまたま親や子供などとなって集まったわけで、日々暮らすうちに愛情が増すことはおおいにあるものの、そもそも合わない、ってこともあるわけで。

毒親とまではいかないまでも、親子としての人間関係がしっくりこない人もいると思うのだ、私のように。

 

なので、親だから子供だから掛け値なしの愛情100%を前提とされると、つらい、のです。

家族、家族は仲よし、っていうけれど、それは幻想である人もたくさんいると思うのです。