書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

ものすごい違和感、ものすごいモヤモヤ

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自分ではファニーだと思っているのだけれど、第三者評価でいうと、私はブスなんですよね〜。

しかも、チビでデブで(これも本人はガタイがいい、と解釈しているのだけれど)、

性格も難あり(これは反論できない。小心者で性根は悪くない、とは思うけれど、いい人でもやさしい人でもない)、頭もよくない(これも、周囲が考えているほどバカじゃないと本人は思っているけれど)、

と、まあ、完全に私は“不良物件”にカテゴライズされるわけです。

 

いい大人になってからも(分別のあるいい大人はこういうことはそうそうしないと思う)、はっきりと

「こんなブサイクはいない」

「あなた、何の取り柄もないじゃない」

「お前ごときに男ができるわけがない」

と言われ、そーなのかー、第三者の目に映る私ってそーなんだー、って認識させられてきました。

 

「彼がいた/いる」と言ったら、たいていの場合、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされることが、内心、「お前ごときに男ができるわけがない」と私に対して抱いているってことを露呈してしまうのよね。

見た目とか性格とかは数値化がしづらく、いちばんわかりやすいところでは、“モテ”が指針になるんだよな〜。

 

ここにマウントが加わると、「この人よりはマシ」とも思われ、よって、私は“ボトムラインガール”なわけで。 

ricorice.hatenablog.com

 

 

これについては、もうね、自分と一生つき合っていく以上、受け入れる、のではなく、

ただただ第三者はそういう目で私を見ているのだ、ということを認識するだけ。

その上で、どう世の中を、自分も他人も気持ちよく渡り合っていく。

すべては現状認識から始まるのだから。

自分への評価を下す他人との関わりのなかで、生きていくわけだから。

 

 

「バカ(やブス)をバカ(やブス)と思うのは勝手だけでど、それを理由にバカにするのは違うんじゃないの」と思ってはいるものの、他人に押しつけたりはしないよ、私は。

そういう相手とは、つき合わない、距離をおく、やむを得ない場合は、こちらの対応を変える、しかないわけで、他人(の意識)を変えるなんてことは不可能なのだ。

 

こういう態度で持って接しているうちに、結果的に変わる、ってことはあるかもしれないけれど、正面切って変えてやろうなんて、勝ち目はないでしょう。

相手の意識が変わるまでの間、生きていかないといけないわけだし。

であれば、自分が不愉快にならないやり方で、まずはやっていくのが現実的なんじゃない。

 

 

そんなことにぼんやり思いをめぐらせたのは、こんな記事(↓)を読んだから。

www.huffingtonpost.jp

 

なんか違う! モヤモヤばかりが募る。

 

あと、差別、マウンティングは、なくならない。

そして人間は生まれながらに不平等なんだよ!

 

おかしな差別、マウンティング、不平等は是正していくものだとは思うけれど、

今ある課題を解決したところで、また、新しい差別、マウンティング、不平等は生まれる。

だから是正することをやめる、って意味ではなく、そういうもんだ、という認識に立つのは必要かな、と思う。

 

でもって、

「ブスが悪い」

「ブスは努力しろ」

なんて誰も言ってないんじゃない? 

「どうしたらいい?」って聞かれればアドバイス的なことで答えるんじゃない?

 

ブスのままでいいと思っているならそのままでいいし、お好きにどうぞ、なわけで、選択肢を認めていない、なんてことはないんじゃないの。

だいたい他人は人のことにそこまで興味はないよ。

 

 

話は変わって、私は、先天的美人が大好き!

彼女たちにとって美人であることは持って生まれたもので、「美人ねぇ」と言われたところで、「おはよう」「さようなら」のごとくさんざん言われているから、まさに挨拶程度。

努力目標じゃない、ってことは、他人と比較とかもしないのよね。

なので、性格がすれていないというか、素直というか、端的にいうと、いい人が多い。ほんと、性格もいい!

この人は信じていいな、って安心できるんだな〜。

人間、かくありたい、とも思うもん。

 

それと、働き始めてからは、美人はむしろ苦労が多いと思ったよ。

本人はまったくその気がないのに。言い寄られたり、誘われたり、仕事の話に終始できず、真っ当な評価をもらえなかったり、なんてこともしばしば。

 

私はフリーランスで、事務所を兼ねた自宅で、仕事柄、男性と2人きりで撮影をしたり打ち合わせをしたりしても、出張で一緒にいる時間が長くても、まず間違いが起こらない。

同じ部屋に泊まっても、発生しないでしょう。

(可能性はゼロではないだろうけど、極めて低い、限りなく果てしなくゼロに近い)

 

美人だとこうはいかない、ってことは簡単に察しはつくのです。

大変だな〜、って心底思う。

 

 

弱者と呼ばれる(とされる)人が声をあげるのは別にいいのだけれど、優位に立っている(とされる)人たちの平等性はどうなのかな、とも思う。

たとえば美人が「すぐに言い寄られて、本当に大変なんです」「容貌逆障害、反対!」って声高に叫び始めたらどうなるんだろう。