死に方は生き方なんだろうな
還暦は超えていたかな。
遠い親戚が亡くなりました。
独居で、死後数日経って訪ねた人に発見された、とのこと。
まったく他人事じゃないなぁ。
こうやって私も死を迎える可能性大。
実際に自分自身を突然死が襲ったとき、このことは頭をかすめたもんなぁ。
10年以上前だったけれど、このまま死んだらいつ誰に発見されるんだろう、と。
元来電話が苦手なので、そのときすでに(というべきか)日常のやりとりはメールがメインだったし、突然誰かが訪問、ってことはないから、
宅配便とかサインが必要な郵便、もしくは大家さん(私は借家に住んでいて、家賃は近所の大家さんに手渡しだったので)に死後発見されるのかなぁ、と。
事故物件になるのは大家さんに申し訳ないけれど、やむなし、かぁ、と思ったのです。
いつ死ぬのかは事前にわからないから、連絡のしようがない。
生死をさまよったとき、家の中は片づいていて、きちんと整理整頓ができていなかったのはラップトップの中だけ(それでもある程度は片付いていたけれど)。
これにはちょっと安堵したんだよなぁ。
残された人が遺品整理に来ても、たいして困らないだろうから。
随分片づいたとはいえ、今の状態は、まだまだ。
そういう意味でも、おかたしは大事、と改めて突きつけられた思いです。
死に方は生き方でもあるんだろうな、やっぱり。