書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

死に方は生き方なんだろうな

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還暦は超えていたかな。

遠い親戚が亡くなりました。

独居で、死後数日経って訪ねた人に発見された、とのこと。

 

まったく他人事じゃないなぁ。

こうやって私も死を迎える可能性大。

 

実際に自分自身を突然死が襲ったとき、このことは頭をかすめたもんなぁ。

10年以上前だったけれど、このまま死んだらいつ誰に発見されるんだろう、と。

 

元来電話が苦手なので、そのときすでに(というべきか)日常のやりとりはメールがメインだったし、突然誰かが訪問、ってことはないから、

宅配便とかサインが必要な郵便、もしくは大家さん(私は借家に住んでいて、家賃は近所の大家さんに手渡しだったので)に死後発見されるのかなぁ、と。

事故物件になるのは大家さんに申し訳ないけれど、やむなし、かぁ、と思ったのです。

 

いつ死ぬのかは事前にわからないから、連絡のしようがない。

 

 

生死をさまよったとき、家の中は片づいていて、きちんと整理整頓ができていなかったのはラップトップの中だけ(それでもある程度は片付いていたけれど)。

これにはちょっと安堵したんだよなぁ。

残された人が遺品整理に来ても、たいして困らないだろうから。

 

 

随分片づいたとはいえ、今の状態は、まだまだ。

そういう意味でも、おかたしは大事、と改めて突きつけられた思いです。

死に方は生き方でもあるんだろうな、やっぱり。