今のままだと今のまんまだから
すっかり“おかたし”記録と化しているこのブログですが、
なるほど、そうなんだなぁ〜、に出くわすことがあります。
私の仕事は書籍や雑誌の企画のダイレクションを含んでいます。
こういうのどうかな、あれっておもしろそう、なんてスイッチを入れると、
街やネットを歩いていると、関連した情報が入ってきます。
これ、引きが強い、ということではなく、そういう意識だから、そういう事柄に気づく、と理解しています。
目の前を流れる情報はたくさんあるけれど、意識して初めてキャッチできる、という。
で、今、おかたしを粛々と進めていると、びっくりするようなものがときどき目の前に現れます。
なぜ、ここまで放っておいたのか、は今年の年初に向き合って明確になり、
部屋の乱れは気の迷い。部屋はそれを映す鏡なんだ、とつくづく。
おかたしって自分と対峙する時間なんですよね。
そんな中でポンと現れ、飛び込んでくる言葉やモノのなかには、
今の状況にピッタリなものがあって、そういうことなんだな、と納得しながら進めています。
最近出てきたのは
「人は神を見い出したいと求めているのに、
神は騒音や落ち着きのないところには見い出せない。」
という言葉。
(これが書かれた紙、どこでもらったんだろう?)
まさにそう!
このケオスを、自分の力で片づけてない限りは次のステージには上がれない、ということを、ここのところ、ひしひしと感じていて、それを言葉にして突きつけられた感じ。
神様はいるかもしれないし、いないかもしれない。
でも、いると思った方が幸せに時間が過ごせる気がする。
おかたしに着手したときは、どこからどう手をつければいいのか、こんなことで本当に片づくのか、と叫びたくなるような気分にもなったけれど、どうすればいいのか、随分見えてきました。
これは大きな収穫。
もうひとふんばり、ふたふんばり。
おかたしを終わらせて、部屋も自分もすっきりしないと、次のステージには上がれないのだから。それは明確なんだから。