書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

生かされている、と思うだけで

f:id:ricorice:20190426234417j:plain
 

ここのところ、すっきりしない気持ちで日々を過ごしています。

(理由の大きなところは、お金がない!

こういうときに限って、支払いが遅れたり、予算が下げられたり、なんだよなぁ)

 

バイオリズムはあるので、流れに乗っているときもあればそうでないときもある。

こういうときってフリーランスはつらいね。

気持ちの切り替えがむずかしいから。

勤め人であればルーティーンをやっているうちに、紛れる、ってことはあるけれど、それがない。

 

なので、なるべくルーティーンをやるようにしています。

掃除機かけたり、こういうブログを書いたり。

やっているうちに集中する時間が訪れて、そうすると少し落ち着く。

 

それと、私の場合、なぜか2008年秋に生死をさまよい、多分寸前のところで死ななかったので

(突然のことなので、人ってあってなく死ぬんだな、と思った)、

いつもどこかに“生かされている”っていう感覚があります。

 

“生かされている”ということは、些細なことでも何か世の中のため、なんだろうけれど、

今のところ、何かをやった、という実感はなく、

これからなんだろうなぁ、と思うと、ちゃんとしないとなぁ、という気にもなります。

 

“生かされている”と考えると、軸がピタッと通るような気がして、

やるべきことをやらないとなぁ、と自分に言い聞かせています。