書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

誰しも聖人君子じゃない、と思うんだけど、な

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ううううう〜ん。いつもながら、もやもや。

間違ったことをしたら排除する、臭いものにふたをする、という風潮はいかがなものか。

 

頭ごなしに「ダメ!」と唱えるだけだと何の解決にもならない。

周囲への迷惑を考えなかったのかとか、それは意味がないんじゃないのかなぁ(そんなこと、本人も十分わかっていて、それでもやめられない。そんなもんじゃないの?)。

転落とか堕落とか反省とか、そういう結びつけも違うんじゃないかなぁ。

 

 

擁護はしない。

でも、作品まで弾圧するのは、やっぱり違う、自粛するのも違う、と思う。

 

 

私はドラッグを見たこともやったこともないけれど、じゃあ、機会がなかったか、というとなかったわけではない(日本で、じゃないけど)。

知識がないのと、現実世界への興味が失せたらイヤだな、知らない国でわけわからなくなったら困る、と思ったので、やらなかった。

 

でも、あまりにも興味が刺激されたり、十分なお金があったりしたら手を出したかもしれない。

関係性で断りきれず、ってこともあるだろうし、泥酔していたり、普通の精神状態ではなかったりしたときに声をかけられていたら、断れただろうか。

もしかしたら一度こっきりだったかもしれないし(私はタバコもお酒も習慣化しなかった)、依存になったかもしれない。

 

 

誰にでも可能性はあるんじゃないかな。

 

 

一度ドロップアウトしたら再生できない/させない社会ってどうなんだろう。

落伍者の烙印を押したり、近親者まで追いかけ回したりて、見世物にするって人権侵害に思えるんだけどな。

 

回復は本人の力に依る部分が大きいけれど、それを受け入れる社会をどう作るか、周囲はどう関わるか、どう手助けをすればいいのか、も大事なんじゃないのかなぁ。

患者、依存者、もっといえばマイノリティにもっとやさしくあっていいんじゃないか、って思う。

成熟した社会って、経済的、物質的な面だけではなく、誰しもが生きやすい社会、ってことなんじゃないのかなぁ、規範に逸れたら排除するのではなく。

 

そのための情報をもっと流してほしいし、知りたい、と思う。

明日自分が当事者になるかもしれないし、自分の周囲がそうなるかもしれないから。

 

子供への影響? ちゃんと周囲の大人が説明すればいい。

人間ははみ出してしまうこともある。でも、ちゃんと向き合って本人の努力と適切な対応があれば、ちゃんと回復できるんだよ、ってことを示せばいい。

伝えるためにも、俯瞰で知れる系統だった情報が必要だよ。

 

 

加えて、今回のことは、クラブカルチャーやイベント、音楽シーンへ、変な規制(自主規制含め)が働かないことを切に祈る!