書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

あったらあったで、なかったらなかったで

f:id:ricorice:20190222085254j:plain
 

先日、炊飯器がご臨終を迎えました。

17年以上活躍してくれた代物。長い間、本当にありがとう!

 

私は家電に多機能を求めていなくって、シンプルなものが好き。

オーブンレンジは苦手で、オーブンと電子レンジと、それぞれ時間と温度設定できる(メニュ選択は、私には要らない)、ごくシンプルなものを使っています。

シンプル機能だからか、大事に使っているからか、うちの家電は丈夫で長持ちです。

 

亡くなった炊飯器もごはんかおかゆを炊くだけの機能で、余分なものはない。

私は、炊飯器でおかゆを炊いたことがなく、いわゆる炊飯器レシピを活用したこともなく、ごはんを炊く、ただそれだけのために使っていました。

 

 

以前、イギリスから帰国して、しばらく実家に身を寄せた後、再び東京で暮らし始めたときって、今でいうミニマリストのようなシンプルライフだったんですよね。

炊飯器、ない。冷蔵庫。ない。電子レンジ、ない。オーブン、ない。洗濯機、ない。テレビ、ない。CDラジカセ、ない(2001年当時のことです)。

(ガスレンジはもともとついていた)

 

では、すぐさま買ったか、というとそういうことはなく、お金がなかったし、でも時間はあったので、あったらあったで、なかったらなかったで、まあ、自分でできることは自分でしよう、と。

都会は、近所のスーパーマーケットとかコンビニを冷蔵庫かわりにできるし、日々の自分の食事だけであれば電子レンジもオーブンがなくてもガスレンジでしのげたし、歩いてすぐのところにコインランドリーがあったので、下着とかは手洗いし、それ以外はコインランドリーへ。テレビはなくて、ラジオも聞けなくって、ディスクマンで音楽を聞いていたぐらい、か。パソコンでラジオは聴けた、っけな。

ごはんも1人用の土鍋で炊いていました。

 

そういうするうちに、家電ないんだ〜、って言っていたら、引っ越しとかでくれる人が続出し、1年も経たないうちにこれらのものが揃ったんですよね。

炊飯器だけは、仕事も回るようになってきて、ということはお金も入るようになり、手間と時間がストレスになり始めたので、購入した次第。

文京区白山のオリンピックで買ったんだよなぁ。特に何かあったわけではないのに、なぜかよく覚えている)

 

その炊飯器ともさようなら。

すぐさま買いに行こうかと思いましたが、待てよ! 以前、炊飯器のない生活を、私、送っていたじゃない!

 

当時使っていた1人用の土鍋は、その後、ヒビが入り水漏れするようなったので、NG(思い出が詰まっているので、捨てられない)。

っと、ネットで調べたら、ふたのない鍋でもご飯が炊けることが判明!

(ちょっと考えてみれば当たり前ですが、アルミホイルでふたをすればいいんですよね)

 

で、そうそう、こんな感じだった、って感触を思い出しながら、雪平鍋でごはんを炊いたら、、、

 

おいしい!

 

やっぱ、ガスだな! 

な〜んて思ったりもして。

 

このおいしさは抗えそうにないので、しばらくは“鍋でごはん”かな〜。

多少、とはいえ、やはり時間と手間はかかるので、そこにストレスを感じ始めたら、そのときに炊飯器の購入を検討しようと思います。

 

 

あったらあったで、なかったらなかったで、なんとでもなるんですよね。

経験として一度体験しているので、その記憶をひっぱり出しながら、とはいえ状況や気分は変わるので、それに合わせて、そのときの自分にとっていちばん快適なやり方を実践したいと思います。

 

日常的に、空気のように存在しているものがなくなったときは、それがないと本当に生活が成り立たないのか、もしくはやってけるか、きちんと向き合って考える、いいきっかけになるのかもしれません。