嫉妬というものを掘り下げて考えようと思う
2018年12月14日(金)にテレビ朝日系で放送された、
南海キャンディーズが出演し、
もう、これがね〜、涙腺崩壊!
嫉妬というのものに、当事者が正面から向き合った番組がこれまでにあっただろうか。
去年の夏に『少年の名はジルベール』(竹宮惠子著)を読みまして。
私は彼女の漫画は読んだことないし(世代が少し後)、
本の作りや文章に、もう少しやりようがあったのでは、が全体を通しての大きな印象だったのですが、
嫉妬も入り混じった萩尾望都への感情を、何十年も経ってようやく露呈できるようになったのか、
その感情の深さに打ちのめされてしまい、
これだけでも読む価値あり。
『しくじり先生 俺みたいになるな!! 』に出演した山里亮太@南海キャンディーズも同じ。
状況や感情を振り返り、“嫉妬”を言語化したってこと。
これは、個人の暗部といえば暗部だし、
漫画家なり芸人なりの職業でいえば、裏の部分で、見せない部分だし、
それを見せてくれたことに感謝。
露呈したからといって、“嫉妬”が理解できたからといって、
それでも一生つきまとうとは思うんですよ。
ただ、対処の仕方は少しはできるようになるかもしれない。
同時に、嫉妬はそんなに悪いものか、って気もするんですよね。
嫉妬できる、ってことは、同じ土俵に立っていて、相手の能力がよく見えるから起こることで、
そうでなければ嫉妬すらできないんじゃないか、って思うんです。
そして、もっといいものを!に向かう根元にもなるんだろうし。
ただそれが相手を負かすためだとしたら、それはユーザーにも伝わるから、いいか悪いかはおいておいて。
今回、こういう風に嫉妬の感情を露呈した山里亮太を、
“嫌いな人なんていません、みんな大好き”って笑顔を振りまく人よりもよっぽど信用できる、と思うのは私だけでしょうか。
“みんな仲よく”に欺瞞を感じる私は、
嫌いとか、嫉妬とか、“負”とされる感情はあって当たり前だと思っているのです
(ただ、その感情はいちいち表に出す必要はないけれど)。
“嫉妬”は本当に“負”なのか。
もっと突き詰めて考えてみたいと思います。