書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

起承転結ありきじゃないんです、私

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どうやって文章を書くのか、起承転結を考えるのか、

という質問を受けました。

 

文章の書き方って習ったことないし、教えてもらったこともなく、

仕事を通して、校正で朱字が入ったり、自分の書いたものを読み直したり、ほかの人の文章を読んだり、

そのなかで試行錯誤してきた、って感じ。

プロとしての及第点はもらえ(お金をもらっているからね)、

正直かもしれないけれど、うまい文章ではないなぁ、いつまで経っても。

 

書くとき。もっというと企画を構成するとき。

私、起承転結を考えないし、考えないんですよね。

やろうとしたことことはあったけれど、うまくいかない。まとまっているけれど、こぢんまりとしてしおもしろくなかった。

なのでやめました。

自分がおもしろいって気持ちを注入できないものは、他人をおもしろがらせることはできない、と思ってもいるし。

 

どうしているか、というと、こんな流れ、

ものごとには締切りがあります。自分のスケジュールもあります。

なので、いつまでに仕上げるか、を設定します。

そのあとは、ネタ集め。

書き留めたり、はしなくって、アンテナを張って頭の中にガンガン入れて、

その作業がいったん終わったら情報を脳に沈ませて、熟成させる。

そうして、ある程度落ち着いたら、こうする!という軸を決めます。

骨子という言葉に置き換えてもいいかもしれません。

そうして、締め切りの数日前に文字原稿や構成案に着手。

ひと晩おいて調整する(勢いだけが先走っていないか、不足がないか、など)

 

文字原稿や構成案にかかったときは一気に仕上げます。

ミスタイプなどは気にせず、頭の中にあるものをまずはとにかく出す、という感じ。

このとき、考えていない、無の心境、な気がします。

自分の体(指先)を介して、マシンや鉛筆と脳が一体化しているような感覚です。

そうして上がってきたものは、意外なことが多い。

 

軸はぶれていないのだけれど、こういう順番にしたのか、こういう付随情報を入れたのか、こういう書き出しや締めくくりにしたのか、etc

自分で予想しなかったことがあがってきて、あっ、こういうことね!と自分で驚く。

頭の中で熟成されたものはこれか〜!という意外性が具体化される瞬間で、我ながらおもしろい。

 

このあり方がいいのか悪いのかわからないし、ほかの人がどうやっているのかは不明ですが、

私の場合はこんな感じ。

なので、予定調和じゃないしアンバランス。

起承転結はあくまでひとつの定型であって、そこに当てはめればきれいな形にはなるけれど、

それありきになってしまうのは違うのかもしれません。

軸がぶれていなければ、それでいて全体が大きなひとつの流れになっていれば、いいんじゃないのかな〜、と思っているのです。