起承転結ありきじゃないんです、私
どうやって文章を書くのか、起承転結を考えるのか、
という質問を受けました。
文章の書き方って習ったことないし、教えてもらったこともなく、
仕事を通して、校正で朱字が入ったり、自分の書いたものを読み直したり、ほかの人の文章を読んだり、
そのなかで試行錯誤してきた、って感じ。
プロとしての及第点はもらえ(お金をもらっているからね)、
正直かもしれないけれど、うまい文章ではないなぁ、いつまで経っても。
書くとき。もっというと企画を構成するとき。
私、起承転結を考えないし、考えないんですよね。
やろうとしたことことはあったけれど、うまくいかない。まとまっているけれど、こぢんまりとしてしおもしろくなかった。
なのでやめました。
自分がおもしろいって気持ちを注入できないものは、他人をおもしろがらせることはできない、と思ってもいるし。
どうしているか、というと、こんな流れ、
ものごとには締切りがあります。自分のスケジュールもあります。
なので、いつまでに仕上げるか、を設定します。
そのあとは、ネタ集め。
書き留めたり、はしなくって、アンテナを張って頭の中にガンガン入れて、
その作業がいったん終わったら情報を脳に沈ませて、熟成させる。
そうして、ある程度落ち着いたら、こうする!という軸を決めます。
骨子という言葉に置き換えてもいいかもしれません。
そうして、締め切りの数日前に文字原稿や構成案に着手。
ひと晩おいて調整する(勢いだけが先走っていないか、不足がないか、など)
文字原稿や構成案にかかったときは一気に仕上げます。
ミスタイプなどは気にせず、頭の中にあるものをまずはとにかく出す、という感じ。
このとき、考えていない、無の心境、な気がします。
自分の体(指先)を介して、マシンや鉛筆と脳が一体化しているような感覚です。
そうして上がってきたものは、意外なことが多い。
軸はぶれていないのだけれど、こういう順番にしたのか、こういう付随情報を入れたのか、こういう書き出しや締めくくりにしたのか、etc
自分で予想しなかったことがあがってきて、あっ、こういうことね!と自分で驚く。
頭の中で熟成されたものはこれか〜!という意外性が具体化される瞬間で、我ながらおもしろい。
このあり方がいいのか悪いのかわからないし、ほかの人がどうやっているのかは不明ですが、
私の場合はこんな感じ。
なので、予定調和じゃないしアンバランス。
起承転結はあくまでひとつの定型であって、そこに当てはめればきれいな形にはなるけれど、
それありきになってしまうのは違うのかもしれません。
軸がぶれていなければ、それでいて全体が大きなひとつの流れになっていれば、いいんじゃないのかな〜、と思っているのです。