書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

人をどう呼ぶか、で、人を見極める

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つきあいが長いからでしょうが(それでも???だけど)、

仕事の場で、さほど面識のない人が混ざっているときにも

ニックネームで呼ぶ、さらにはニックネームでメールを送る。

 

そのニックネームがその人の代名詞としてまかり通っていればいいけれど、

そーゆーことをする人は第三者がいるという視点があきらかに欠けているので、

こーゆー人はプライヴェートも仕事もごっちゃにするんだなぁ、と認識します。

 

さらに呼び捨てにする人もいて(第三者がいるのでへりくだる、ではない場合ね)、

同じ会社で年功序列という意識が強いのか、

さらには同じ会社にいないにも関わらず、相手を呼び捨てにする人がいる、

そこに第三者がいても平気で。

よっぽどボス風を吹かせたいのかな。

 

なんだか不愉快。

 

というのは、呼び捨てにする(繰り返しですが、第三者がいるのでへりくだる、ではない場合ね)、

ってのは対等な関係じゃない現れで、

それはその2人の間の関係性であって、

こっちにとっては関係のない話。

 

つまり、ほかの人もいる公共の場で、呼び捨てにするってことは、

上下関係が真っ先にきて、それを示したい証し。

ということは、その人は上下関係でものごとを考える、ってことで、

対等な関係が望めない。

 

 

誰がお金を払っている、誰が仕事を発注している、経験が長いetc、

マウンティングしたいんだろうけれど、

いったん仕事の場であれば、誰しもが対等で、それぞれの持ち場でそれぞれが役割を果たす、ってことじゃないかな。

 

だから、相手が今日から仕事を始めたばかりの人であっても対等。

だってキャリアが浅い、ってことはそれだけ一般ユーザーに近い、ってことで、

当たり前だけど見逃していた視点を見せてくれる可能性はおおいにあるわけだし。

それは尊敬に値することで、下に見る、っていう態度はどーなんだろう。

 

 

なので私は、マウントしたがりの、第三者がいるところで肩書きで呼んだり呼び捨てにしたりする人を信用しない、んですよね〜。

こーゆー人は、自分の意志や思考はなく、ことなかれ主義で、すぐに手の平を返したように長いものに巻かれる、んですよね〜。