書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

本=読み物の概念なんてとっぱらちゃえ

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書籍制作の仕事は、私のなかで長く携わっている仕事で、

今も、3冊の食書籍の制作指揮をしていて、

そんな中にいるとついつい引きずられてしまいがちですが、過去の感覚にとらわれないようにしています。

 

私はいったん世に出たものは、もうこちらの手の届かないところに行ってしまったわけで、

何があってもそういうものだ、と受け取るようにしています。

いちいち言い訳して回るわけにはいかないし。

 

商業出版の場合、お客さんが対価としてお金を払ってくれるので、これは完全な商品。

なので、パッケージデザインともいえる表紙のデザイン、写真、タイトルは大事。

まずは何だろう?と思ってもらわないと、手にとってすらもらえないわけで。

 

あるとき、取材先で、私が手がけた本が何冊も飾ってあり、

「うわ〜っ、ありがとうございます!」と伝えると、

「実は、中はあまり読んでいないんです。でもパラパラみて欲しいな、って思って、お店でインテリアとして飾るのにちょうどよくって(笑)」と。

その方は申し訳なさそうにおっしゃいましたが、

私自身は、読もうが読むまいが、買ってもらったこと、それを飾ってもらっていること(一種のPRですから)がうれしい。

ricorice.hatenablog.com

 

そうなんです、いったん世に出たものは、買った人が好きなように使えばいい。

インテリア小物でも、重石代わりでも、なんでもいい。

 

 

小説とかの読み物は、まだ本=読み物の意味合いが強いでしょうが、

私が手がけるのは食関連の書籍が多く、

となると見せる、という要素も大きく、

ときどき引っ張り出してパラパラめくる、ユーザーの大半の方はそっちになるの、かなぁ。

 

近年、最初から最後まで順を追ってがっちり読むかしら?という疑問はますます強くなり、

通しでどーの、よりもページを開いたとき、または数ページでのまとまり感を高くし、

それを束ねるやり方(その上で1冊通して一貫性をもたせる、だけど)、

ちょっと違うけど、ビートルズのホワイト・アルバム(原題:ザ・ビートルズ)をお手本にする、っていうか。

 

一曲一曲はバラバラ、それでいてアルバムとしての完成度が高い。

それぞれの曲をバラで聞いてもよし、アルバムを通して聞いてもよし。

個々が個性が立ちながら、一貫性がある、っていう、ね
(ホワイト・アルバムは一見雑多なものを集めた感じだけれど、

 それはそれで、テーマ性のあるアプローチとは違った別のまとまりがある、っていうね)。

 

 

もはや、本は読むものではなく、眺めるもの、アロマのように身近において、一瞬別の世界へ誘ってくれるものでもいいわけだし、ユーザーが自分で書き込んだり、再構築したりしたって、音楽でいうリミックス用の元ネタでもいいわけだし。

本は紙を綴じたマテリアル、ぐらいの感覚で、なるべくまっさらな状態から、書籍を作っていきたいなぁ、なんて強く思う今日この頃です。