本=読み物の概念なんてとっぱらちゃえ
書籍制作の仕事は、私のなかで長く携わっている仕事で、
今も、3冊の食書籍の制作指揮をしていて、
そんな中にいるとついつい引きずられてしまいがちですが、過去の感覚にとらわれないようにしています。
私はいったん世に出たものは、もうこちらの手の届かないところに行ってしまったわけで、
何があってもそういうものだ、と受け取るようにしています。
いちいち言い訳して回るわけにはいかないし。
商業出版の場合、お客さんが対価としてお金を払ってくれるので、これは完全な商品。
なので、パッケージデザインともいえる表紙のデザイン、写真、タイトルは大事。
まずは何だろう?と思ってもらわないと、手にとってすらもらえないわけで。
あるとき、取材先で、私が手がけた本が何冊も飾ってあり、
「うわ〜っ、ありがとうございます!」と伝えると、
「実は、中はあまり読んでいないんです。でもパラパラみて欲しいな、って思って、お店でインテリアとして飾るのにちょうどよくって(笑)」と。
その方は申し訳なさそうにおっしゃいましたが、
私自身は、読もうが読むまいが、買ってもらったこと、それを飾ってもらっていること(一種のPRですから)がうれしい。
そうなんです、いったん世に出たものは、買った人が好きなように使えばいい。
インテリア小物でも、重石代わりでも、なんでもいい。
小説とかの読み物は、まだ本=読み物の意味合いが強いでしょうが、
私が手がけるのは食関連の書籍が多く、
となると見せる、という要素も大きく、
ときどき引っ張り出してパラパラめくる、ユーザーの大半の方はそっちになるの、かなぁ。
近年、最初から最後まで順を追ってがっちり読むかしら?という疑問はますます強くなり、
通しでどーの、よりもページを開いたとき、または数ページでのまとまり感を高くし、
それを束ねるやり方(その上で1冊通して一貫性をもたせる、だけど)、
ちょっと違うけど、ビートルズのホワイト・アルバム(原題:ザ・ビートルズ)をお手本にする、っていうか。
一曲一曲はバラバラ、それでいてアルバムとしての完成度が高い。
それぞれの曲をバラで聞いてもよし、アルバムを通して聞いてもよし。
個々が個性が立ちながら、一貫性がある、っていう、ね
(ホワイト・アルバムは一見雑多なものを集めた感じだけれど、
それはそれで、テーマ性のあるアプローチとは違った別のまとまりがある、っていうね)。
もはや、本は読むものではなく、眺めるもの、アロマのように身近において、一瞬別の世界へ誘ってくれるものでもいいわけだし、ユーザーが自分で書き込んだり、再構築したりしたって、音楽でいうリミックス用の元ネタでもいいわけだし。
本は紙を綴じたマテリアル、ぐらいの感覚で、なるべくまっさらな状態から、書籍を作っていきたいなぁ、なんて強く思う今日この頃です。