書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

世界で活躍する日本人選手がいない方が、いいのかも

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1968〜1988年。

Jリーグが発足する前、テレビ東京で『三菱ダイヤモンド・サッカー』って番組をやっていまして、

もっとも私は終盤の1年しか観たことがなかったのですが、

今にして思えば非常に優れたテレビ番組だったなぁ、と、

昨今のスポーツ番組の状況をみるにつけ、深く感じるのです
(別段熱心に観ていたわけではないけど)。

 

当時はJリーグ前ですから、

サッカー自体はそれなりに競技人口がいたと思うのですが、

テレビで(日テレ系で『全国高等学校サッカー選手権大会』はやっていたけれど)

社会人や大学生の試合を放送するとかはなかった、と思うんですよね〜。

 

そんな中、『三菱ダイヤモンド・サッカー』では世界のトップレベル(ワールドカップとか)の試合を放送していて、

その功績が日本のサッカー認知の裾野を広げることに大きな影響があったことは予想にかたくありません。

 

 

で、何がいいたいか、っていうと、

海外で活躍していた日本人選手は、奥寺康彦氏ぐらいだったと思うので、

昨今の、とにかく日本人選手に焦点を当てたものではなく

(当てようにも選手がいなかった)、

もっとフラットな視点で、これは優れた試合だから放送しよう、みたいなもので、

そのおかげで、世界の一流レベルを知ったし、

日本うんぬんではなく、純粋にそのスポーツが好きな人に訴えた、と思うんです。

 

喜ばしいことではあるのでしょうが、

日本人選手の活躍がめざましくなると、そればっかりになって、

もちろんメディアはそのことで、

視聴率を獲得 → 広告主も納得

という構図になるのでしょうが、

で、俯瞰でみるとはどーなの? 世界の超一流の選手の試合があるなら、そっちを観たい、

なんて気分になるのは私だけでしょうか。

 

 

私はテニスが好きで、

現役選手のなかではラファエル・ナダル氏がお気に入りで、

ときに、これは歴史に残る好試合といえる素晴らしい試合を展開するのに(ロジャー・フェデラー氏もそうですね)、

日本にいるとねぇ、報道されない、されても結果だけ、みたいになり、

錦織圭氏ばっかで、過剰じゃない?でうんざりしてしまうのです。

 

 

素直に、出身国に関わらず、トップレベルの選手の試合を、

余計な解説(ぎゃーぎゃー騒ぎ立て、お涙頂戴物語を盛るのは、解説じゃない)なしで観たいなぁ、と思うのは、私だけでしょうか。

 

 

日本人選手が世界で活躍すると、全体が見えなくなり

(日本人ってことが大事で、スポーツの内容はさほど重要視されない)、

もっと素晴らしい試合が割愛される、というこの皮肉。