書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

どんなに便利になっても、その便利さは使わないと意味がない

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1〜2年前だったか、当時小学校5〜6年生の男の子に、尊敬のまなざしと実際に口に出してスゲーッて言われたこと。

 

・英語を理解できる(話す、聞く、読む)

・タイピング(文字打ち)が速い

 

そのときは、へえええ〜っ、そんなことをすごい!って思うんだ〜、でも君が本気でやればあっという間に追い越しちゃうよ、って思ったのですが、私の頭がかたかった!

もはやそんなスキルは必要じゃないよね〜。

 

できるにこしたことはないけれど、

外国語に関しては、自動翻訳機能が飛躍的によくなるだろうし、

タイピングについては、音声入力が主流になるでしょう。

 

 

ただ思うのは、どんなに技術が発達しても、使い手が使わないかぎり、どんなに優れた手段を持っていても意味がないんだよね〜。

顕著なのが外国語、か。

って考えると、多くの人が中学校&高校で6年英語をやっているのに使わない、のと同じ構造が続くのかなぁ、って気もするのです。

でも、自動翻訳機能で苦手意識が解消されるのであれば、また変わってくるのかな? それともそもそも異質なものと混じり合うのがイヤって心理だと、やっぱり変わらないよなぁ。