書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

なぜ取材をするのか、ってこと

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取材して記事にして、というのを長いことやっているので、

取材ってどーやってやるの?

って訊かれることがあります。

 

私は人の取材のやり方をみたことはないんだけれど、

私自身の目に見える工程としてはこんな感じ。

 

1. 企画意図の把握

2. 取材骨子の構築(先方と共有する場合も)

3. 事前学習(資料などに目をとおすなど)

 

1は、たとえば飲食店の取材の場合、メニュー開発なのか、内装なのか、価格なのか、新規事業なのか、その企画内容はまずはしっかりと認識

 

2は、1をふまえた上で、質問事項をあれやこれや考える

 

3は、いくら専門家に話を訊くにしても、不勉強でいくと肝心の話の前に、用語を説明してもらって終わってしまう(専門用語の方が話しやすく伝わりやすいので、そういう用語は会話で飛び交う。それを記事にするときは、プロ向きならそのまま、一般のひと向けなら噛み砕き、読者に合わせる)

 

まあ、こんなところでしょうか。

 

 

で、私は実は実際の取材でこれがいちばん大事!と思っているのが、

いったん素になって、自分を白紙状態に持っていき取材する、ということ。

 

というのは、取材する人間はあくまで介在であって、自分の概念とか常識を基準にしない。

そうすると、自分で勝手に作った変な枠組みの中に先方の答を押し込めることがなくなる。

(聞き手の思い込みや常識に沿った記事、これが多いんだっ!)

 

自分を白紙にすると、これって本当かな?みたいなことも出てきて、

そういう素直な質問は、実は核心を突くことだったりする。

取材者は読者を代表して訊くわけで、疑問はどんどん訊いていい。

勉強した上で、引いて眺めるとあれっ?ってことが出てきて、それをぶつける、といったところかな。

 

 

いつもは取材する立場だけれど、ときどきある取材を受ける側になることもあり、

・着地点ありきの歪曲した情報の扱い方(ときにねつ造もされててしまう)

・取材者の視点を絶対としたとんちんかんな物言い(広い視野でものが見れない)

なことをされると、

 

そもそも、なぜ取材をするのか、その根本が圧倒的に抜けているんだなぁ、と言わざるをえない。

自分も改めて気を引き締めないと、なぁ。