書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

こーゆーのを盗人猛々しい、って言うんだなっ!

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 私の場合、実際にやっていることはその内容によりそれぞれですが、

仕事の軸は“情報”です。

あるときは“企画”だったり、あるときは“構成”だったり、あるときは“アイディア”だったり、あるときは“経験値”だったり。

具体的な作業、たとえば進行管理や執筆などは、あくまでそれを肉付けするために過ぎない。

 

こういったものは目に見えないんですよね〜。

困ったことに、21世紀に入って20年近くも経つのに、いまだにモノこそ価値があると思っている人がいて、そういう人たちは目に見えないものはタダだと思っています。

 

たとえば、

いいお店があるから一緒に食事に行きましょう、と誘われる。ここのお店の予算は○○円ぐらいです、と言われる。行くと、誘ってきた人の知り合いの店で、情報をくれ、くれ、くれ、くれ攻撃をされる(なんかいいアイディアはないですか、今度、東京に行くんですけど、どういうお店に行けばいいですか、うちのお店で直したいところはどこですかetc)。

 

あの〜、私、こういう情報を扱っていて、そこで対価を得ているんですけど。

なんでこっちがお金払ってまで、情報を提供しなきゃなんないの?

 

 

たとえば、

自称、ディレクター(編集者)から、こういうお題目で何かやりたいんです、と連絡がくる。

こちらが企画案を出すと、こーじゃない、あーじゃない、と言い出す。

 

企画も方向性も示さず、出てものにあれこれ言うのは誰でもできる。

どういう言うのであれば、その分ギャランティを弾む(こっちにしてみれば方向性を変えて仕切り直しになる)。そうでないなら、よっぽど方向性が間違っていない限り裁量を任せる。出てきたものが自分が思っているものと違うからといちいちいちゃもんをつけない(思い描いているものがあれば最初から言えばいい)。

こういう人は、誌面を体裁を整え時間に間に合わせるのが、ディレクター(編集者)の仕事と思っていて、企画やアイディアが肝という頭がないから、お話にならない、日本語が通じない。

 

 

こーゆー“たかり”のような人たちとはつき合わないに限る。

大人の事情でやむなく、の場合は、これも仕事、と割り切って、やることだけやって、必要以上に関わらない。分かり合うとか理解してもらうなんて土台無理だから、いつでも逃げられるようにしておく、それだけです。