書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

自分が手がけたものは、自分でも買う

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先日、びっくりされたので、逆にこっちがびっくりした件。

 

でき上がったものはもちろん見本としていただきますが、

それとは別に、私、自分が手がけたもの、書籍なり雑誌なり商品なり、

自分でも買います。

 

見本としてもらうのは作り手として。

自分で買うのは一般ユーザーとして。

 

なので、出版社やメーカーなどを通せば安く買えることも実のところありますが、

そうではなく、あくまで、一般のお客として買う。

 

本屋やオンラインで並んでいるのを見て、

自分の財布を開く、という行為は、

見本をもらうのとはまったく別の感覚。

 

・目立つな! こういう表紙にしておいてよかったな
・内容から考えると、もう少し高く設定するのもありだったな
などと、それまで見えなかった商品としての気づきが出てきます。

 

内容がどうこうは、自分で買う/買わないはさほど関係ないけれど、

商品として、お金を払う価値があるかどうか、を客観的に感じるのは、やっぱり身銭を切らないとわからない。

 

もっとも、できたてほやほやを買うときは、

ただただ、売ってる〜! うれしい!ではあるのですが。

 

 

昔、ときどき懸賞に応募して、

するとよく当たっていたんですね、

映画とか、ライブとか、展覧会とかのチケットが。

 

一度痛恨のミスをやらかしまして。

行きたかったライブだけど、どうしてもってわけじゃなく(どうしてもだったら確実性を重視し、自分で買う、んだよなぁ)、

すると日にちを勘違いしてて、気づいたときには終わっていた、という。。。

 

 

仕事で手がけたものを自分でも買う話と、この話は若干論点がずれているのですが、

要は、身銭を切るっていうのは、それがその金額を払うだけの価値があるのかどうか(これは相対的なものではなく絶対的なものにはなるのだけれど)を見極めることにもなるので、圧倒的に真剣度が高くなる、んだよなぁ。