そういうわけじゃないんだけどね
私は、アカウントは持っているものの、フェイスブックは積極活用をしていなくって、
ブログを更新しました、の告知と、おっ!と思ったニュースをシェアすることがほとんどで、
オンラインのスクラップブックと化しています。
ニュースは、ヘッドラインだけ見てあとでじっくり読もうと思ったもの、
海外ダイレクトのニュースは、日本で報じられなかったり、報じられる場合も時差があったり、また切り取り方が全く違う、そういうのを。
自分だけ公開にしてもいいんだけど、
人がニュースをシェアしているので、シェアしてくれてありがとう!ってことが少なくないので、
私と同じように興味を抱く人がいるかもな、ぐらいの軽い気持ちでシェア。
なので、内容が好きだから、とか、読んで!の気持ちでシェア、していなくって、
中には、対象自体は私個人としてはまったく好きではないけれど、
でも世間一般ではファンが多くって、
その事象について、なんでだろう?と思って、理由になるほどね!と思うことがあって、
シェアすることもあります。
なので、シェアしているもの=好きなこと、ではないのだけれど、
そういう風に捉えられるのが、ちとめんどくさい(いちいち説明はしないけど)。
う〜ん、何だろうな。
自分を信用していない、というのとも違うのだけれど、
自分の捉え方が絶対ではない、自分と他人は違う、というのが常にあって、
自分が苦手でも世間で受けているものに対しては、
この、私の“苦手”と世間一般の“好き”の間にあるギャップが何なのか、その理由を知りたい、と思うわけです。
逆もまた、同じで。
自分をあくまで媒介と位置づけて、フラットな状態にしていたい、んですよ。
そうしないと、自分絶対の視点になるから。
わかりやすいところでは、日本だとこうなのに海外だと違う! とか、地元だとこうなのに東京だとこうじゃない! とか、でこき下ろしたり小バカにしたりする件。
それぞれ違う、っていう認識ありきだと、
ああ、そうなんだ、ここではこうなんだな、で済むことなのに。
○○好きなんでしょ?みたいなことを言われ、FBのシェア=好きという認識なんだ!に驚いて、つらつら思ってみたことを。