書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

カボチャを種まで食べようとして、ふと思う

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イモ、豆、カボチャの類は決して嫌いなわけではないけれど、

ごはんと一緒に食べるのが苦手で、

なかでもサツマイモとカボチャは甘みが強いこともあり、私の味覚だとおかずにはまったくならず、独立させて食べています。

 

量があるのでカボチャを丸ごと買うことはないのですが、

今年はいただきものをすること数回。

ありがたや〜。

 

種やナッツ類を香ばしくローストして食べるのが好きなので、

せっかくカボチャを丸ごともらったんだもの、

種も食べましょ、

は、いいのですが、食べるまでの工程が手間がかかるんだなぁ。

 

わたをのぞいてきれいに洗い、天日干しして、それから煎って、殻を外して。

はぁ〜。

 

 

私は何でもかんでも手づくりがいいとは思っていなくって、

手間ひまかけたていねいな暮らしではなくていいと思っていて、

そこは取捨選択して、個人個人が選べばいい。

大量生産のおかげで、いろんなものが廉価に手に入るようになったのは確かなので、

それを否定するようなことはしたくない。

大量生産のなかに、素晴らしい商品もたくさんあるわけだし。

 

ただ、カボチャの種の処理をしながら、

こういう工程を知るのは大事かもなぁと、改めて思ってしまいました。

お金を出せば何でも手に入るけれど、

そこまでに手間がかかっているんだ、ってことを知るために。

大変さがわかれば、ただやみくもに安ければいい、って発想にはなりにくいんじゃないか、って思う。

 

自分でするのが大変、だから、その手間を対価をして支払う。

モノだけでなく、サーヴィスも情報もすべて一緒ですよね。

自分でできないことは、相当のお金(もしくはそれに該当するもの)と引き換えにする。

 

自分で何もかもやる必要はないけれど、それがどんなものかを知っているか知らないかでは、態度が大きく変わってくるよなぁ。