カボチャを種まで食べようとして、ふと思う
イモ、豆、カボチャの類は決して嫌いなわけではないけれど、
ごはんと一緒に食べるのが苦手で、
なかでもサツマイモとカボチャは甘みが強いこともあり、私の味覚だとおかずにはまったくならず、独立させて食べています。
量があるのでカボチャを丸ごと買うことはないのですが、
今年はいただきものをすること数回。
ありがたや〜。
種やナッツ類を香ばしくローストして食べるのが好きなので、
せっかくカボチャを丸ごともらったんだもの、
種も食べましょ、
は、いいのですが、食べるまでの工程が手間がかかるんだなぁ。
わたをのぞいてきれいに洗い、天日干しして、それから煎って、殻を外して。
はぁ〜。
私は何でもかんでも手づくりがいいとは思っていなくって、
手間ひまかけたていねいな暮らしではなくていいと思っていて、
そこは取捨選択して、個人個人が選べばいい。
大量生産のおかげで、いろんなものが廉価に手に入るようになったのは確かなので、
それを否定するようなことはしたくない。
大量生産のなかに、素晴らしい商品もたくさんあるわけだし。
ただ、カボチャの種の処理をしながら、
こういう工程を知るのは大事かもなぁと、改めて思ってしまいました。
お金を出せば何でも手に入るけれど、
そこまでに手間がかかっているんだ、ってことを知るために。
大変さがわかれば、ただやみくもに安ければいい、って発想にはなりにくいんじゃないか、って思う。
自分でするのが大変、だから、その手間を対価をして支払う。
モノだけでなく、サーヴィスも情報もすべて一緒ですよね。
自分でできないことは、相当のお金(もしくはそれに該当するもの)と引き換えにする。
自分で何もかもやる必要はないけれど、それがどんなものかを知っているか知らないかでは、態度が大きく変わってくるよなぁ。