民泊を国際交流と捉える不思議さよ
民泊=悪、を前提となっている節があり、
そのひとつに宿泊する外国人のマナーの悪さ、が挙げられるのですが、
じ〜っと眺めていると、マナーを説明せずして、
自分たちの常識の範疇を外れるものをマナー違反というのは何なんだろう?と首を傾げてしまいます。
それに日本人は礼儀正しい、という前提にもなっているけれど、
はあ、そうかぁ?
マナーに欠けた行為をしている人、
海外や国際線の中で、お願いだからこういう人は外に出さないで欲しい!と
目を覆いたくなる人を幾度となく目撃したけれど。
その一方で、民泊を推す言葉として“国際交流”ってのがあって、
マジックワードのように使われているけれど、
“国際交流”を前面に押し出されてもなぁ。
だって、利用する方は“安いから”泊まるわけで、
提供する側は“部屋があいているから” “生活の足しにしたいから”部屋を貸すわけで。
こういうことを言っている人たちは、
民泊、B&Bを利用したことがあるのかなぁ?
こういうの一度でも体験していれば、“国際交流”は第一義じゃない、ってわかると思うけど。
チェックインして、カギの受渡しと使い方、簡単なルールをきいたり質問したりすれば、あとはホテルなどと同様、それぞれの時間となる。
ただホテルと違って狭いし、顔を合わせる機会は通常のホテルよりは多いのは事実だけれど。
安いB&Bでは、子どもが独立してその部屋があいているから、というケースも少なくなく、
シャワーやトイレが共有だったりもする。
おばあちゃんが、シングルペアレンツがひとりで切り盛りしているところもあって、
となるとB&Bはひとりで運営しているため、
こっちのチェックアウトの時間と合わなければ、
カギは○○においておいて、とか、隣りに言っておくから預けておいて、とか、
チェックインのときも、今日は○時まで不在だから○時以降に来て、
と言われたりもする。
お互いのスケジュールをすり合わせて、それぞれ無理のないなかで解決策を見出すという、ね。
民泊におけるやりとりを国際交流を捉えるのって、
それが第一義じゃないし、なんだか大仰な感じがして、違う、って思うんだけどな。
なんだか、私が忌み嫌う “おもてなし”と呼ばれる“親切の押し売り”をしましょう!の号令をかけているようで気持ち悪い。
もちろん、夕食どこで食べるといい? とか、ここに行きたいけど、どう行けばいい?とか、は訊いたりするし、
先のチェックイン/アウトのすり合わせじゃないけれど、会話を交わしたりするけれど、
それは“国際交流”のためではなく、“お互いが気持ちよく空間を共有”するため。
B&B、民泊というように、“人の家に泊まる”には、まずは相手先のルールを確認するというね。
都合のいい解釈で、都合のいい認識が先行しているようで、うんざりする。
B&Bを利用したことない人たちに、これまたB&Bを利用したことのない人たちが踊らされているように(こういうの知っている私って、今の時代をわかっているでしょ、これからは国際交流よ!みたいな)、私の目には映って仕方ないんですけど。
民泊=国際交流と捉えている人は、民泊はおろか、シェアして暮らす、って体験をしたことがないんだと思う。
だから、こんな発想になるんだと思う。