書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

数学クラブに入りたい!(どこかにないかな?)

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私は、学問とは“真理の追求”と考えています。

一言で学問といっても細分化されているわけですが、

すべての学問の最高峰に位置するものは“哲学”で、

そのすぐ下にあるのが“数学”であり“物理”であると捉えています。

 

私は小学校2年生で九九を習った頃から、数に魅了され、

・ゼロとはなにか
・3とはいかなる数字か
ということを、学校の授業が退屈極まりなかったことをいいことに、思考の海に潜ることしばしば。

 

高校生になった頃でしょうか、

初速度でも加速度でも、もっといえば四則計算(たす、ひく、かける、わる)にしても、

最初に公式ありきではなく、自然界の事象の中に一定性を見い出し、それを至極シンプルな法則というものにして表した、

そのことに気づき、いたく感動したのです。

 

 

うちはテレビをおいていないので、テレビ番組の情報には疎く、あるときのこと。

一日がかりの仕事でその日ご一緒だった方と他愛ない話をしていたとき。

「林先生がね、世の中で大事な学問は数学だって言っててね」

「林先生? あの予備校講師の? 彼は現国じゃなかったっけ?」

「うん、そうなんだけどね」

そこで途切れてしまったのだけれど、へええ〜、そうなんだ〜。

 

林先生の“数学が大事”の真意はわからないのだけれど、

論理的思考とか応用力ってことなのかしらん。

私は、あるレベルまで行ったら(短期旅行程度だと、とにかく通じれば、が優先されるのですが)、

英語をはじめ語学は圧倒的に文法が大事、という持論を持っていて、

それはネイティヴでない人間が体系的に論理的に応用力をもって語学を習得するためには、

文法という基盤を身につけておくのが結局早くて速い、と考えています。

(加えて、鼻であしらわれたり、相手に不愉快な思いをさせないためにも)

それと根幹は一緒なのかしらん。

 

ともあれ、ここのところ、数学熱が戻ってきて、

それは問題を解きたい、ということではなく成り立ちを知りたい。


・どうしてゼロで割ってはいけないのか?

・底面積と高さが同じ柱は、錐の3倍の体積である

といった、理屈抜きでこういうもんだ、と教えられたことをちゃんと知りたい!

 

子どものときの私は50歳を前にした今よりもず〜〜〜っと醒めていて、こういうことへの質問が混乱を生じさせることがわかっていたので、授業中に質問することはありませんでした。

(自力で答を探そうと、しばし思考の海に潜っていたのはそのためです)

 

小学校低学年の理科の時間に、太陽が上る、というのが教科書にあったとき、
太陽は上らない、地球が回っているのでそう感じるだけ、

と思いつつ、便宜上、今の段階ではこう教えているのだな、と認識。
太陽問題はその後、学校の授業で教わることになるのですが、その後も“なぜそうなのか”を教わらず、自力で解答を導けなかったことの、ちゃんとした成り立ちを知りたいのです。

 

なわけで、こういうことを、大人になった者にこそ、論理立てて教えてくれる“数学クラブ”、どこかにないかなあ。

あったらぜひとも入会したい!