書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

編集者とは何だろう?

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全然関連性がないのに、仕事が集中したり(その逆も然り)、似たような話題が続いたり。

こういうことよくあります。

 

先日、人と会うごとにそんな話になったのが、

“編集者がいない。そもそも編集者とはなんぞや”

 

 

うむむ。

編集者ってわかりづらいので、私は人に説明するときに、

映画監督のようなもんです、って言っています。

自分で演じたり撮影したりする人もいるけれど(編集の場合は、執筆や撮影など)、

基本は、制作指揮。

全体を見渡す現場の責任者ですね。

 

編集者がいない、ってのは

・責任を負いたくない
・俯瞰で見るのが苦手
ってのがあるんだろーなー、って感じています。

 

それと、

・手離れが悪い
最初から最後まで関わるなので、長期間拘束となり、
さらにいうと、
・納品してからの入金になるので、仕事をしている間ギャランティが発生しない
(長期に渡る場合や制作費がかさむ場合は、先に、あるいは途中である程度ってことはあります)
それも理由かと。

 

 

“編集者がいない”ってときの言外にあるのは、

“企画を立て具現化する人がいない”。

 

編集の仕事は、

作業内容が煩雑で、人とのやりとりが多い。

たとえば、誌面の体裁を考えたり、デザイナーさんに発注したり、あがってきた文字原稿を校正したり、

ってなことを同時進行であれやこれや、となります。

 

で、これを進めるためには、屋台骨が必要になります。

これが構成、ってことになるのですが、

つまりどうまとめるか、ってことですね。

まとめること自体も簡単なことではないのですが、

ここに新しい視点や切り口を加え世の中に伝えることこそが、編集者の仕事だと私は思っています。

 

平たく言うと、

「ねえ、見て見て! こんなおもしろいことがあるんだよ!」

「こうやった方がぐっと今の時代便利じゃない?」

ってことの提案するってことが、ね。

 

 

リスクを冒したくない(責任をとりたくない)のか、

とりあえずやんなきゃ、なのか、

まとめるだけのものはたくさん世の中にあふれているけれど
(だからこそ1円ライターとかキュレイター問題が発生する)、

へええ〜、おもしろい!ってものは少ない。

他でも似たようなの見たって既視感のあるものにあふれている。

 

要するに企画が弱い、ってこと。

技術は後から追いつくし、無理なら人に任せればいい。

まずは、こーゆーおもしろいよ!のわくわくをたくさんの人に知って欲しい、

って思いがあって初めて、じゃあどう作る?になるのに、

とりあえず形にすることに比重がおかれている気がしてならないのです。

(“編集者がいない”は、目の前のことをこなすのに追われ、考えることをないがしろにしてきた、

 自分で自分の首を絞めた恰好なんだろうなぁ)