書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

There’s no place like Tokyo

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数年前に住居こそ福岡に移したものの、今も私の仕事の軸足は東京にあります。

普段の仕事は自分のスペースで事足りるのですが、

重要な打ち合わせだったり、撮影だったり、はどうしても行った方が早いので、

そのため、2カ月に一度のペースで東京に出向いています。

 

同時に、東京および東京発信の全国視点で地方を切り取るという企画に携わることもあります。

 

そんな感じで、視点が、地方と東京の複合、おまけにイギリスの食もやっているので、そこに外国も加わり、このあたりで意見を求められることもしばしばあります。

 

住むのはどこでもいいし、自分の目の前の仕事をする分には場所は関係ないけれど、人と会ったり情報を得たり遊んだりするのは、日本では東京に勝るところはないなぁ、とつくづく思うのです。

まあ、これは私が情報を扱う仕事をしているから、ってのもあるのでしょうが。

 

 

日本の中で東京は、情報の集まり方や種類の多さや幅の広さ、ジャンクもある一方でぐんと質の高いものが集う、ありとあらゆることがずば抜けています。

圧倒的に刺激に満ちている。欲しいものがいとも簡単に手に入る。

 

こういうことを言うと、すぐに怒り始める人がいるのですが(それは都会=いい、という前提だからでもあるからでしょうが)、大阪とか名古屋とか札幌とか仙台とか金沢とか広島とか福岡とかと並列して東京はありません。

まったくちがう、突出した地点にいます。

とかく、同じ土俵で語りたがりがちですが、まったく違うと思ったほうがいい。

 

よく東京をライバル視する人がいるけれど、東京は地方をライバルとはまったく思っていない。なぜって眼中にないのだから。

ちょっと何かが東京より優れていたからって、鬼の首をとったかのようにはしゃぐの、みっともないからやめなさい。

都市としての総合的な魅力、という意味では、今の地方は足元にも及ばないのだから。

(それが証拠に人口は減っていないでしょう)

 

 

結論。

地方はリトル東京を目指す必要はないし、東京に競合の多いところで戦いを挑まないほうがいい。ほとんどの場合、まず勝てません。これはもう、レベルが違うから、としか言いようがない。

ワールドカップと子供の地方予選ぐらい差があるのだから。
もちろん、後者が世界を制す可能性も否定はしませんが、確率論でいうと、ゼロではないけれどゼロに近い。

 

じゃあ、地方はどうするか。

東京ではできないことを考え抜いて実践するのが最善の方法だと思います。

そして、それがそこにしかない、そこでしか得られない魅力につながるんじゃないかな。

 

 

でもって、東京も世界の中の都市としてどうかというと、

圧倒的に優れている面もあれば劣っている点もある。

東京がなんでもかんでもイチバン(特にアジアで)とうぬぼれている人は北京でもバンコクでもロンドンでもベルリンでもリオデジャネイロでも観た方がいい、と思うな。

度肝を抜かれること、いっぱいあるから。