書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

トリコロールを彩った人たちはどこへ?

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21年前の1996年6月から7月頭にかけての約1カ月、イギリスを旅行していた私。

このとき、何があったかというと、伊達公子選手のウィンブルドンでの活躍、ってのは日本でもっとも知られたイギリスでの出来事かもしれませんが(かく言う私もロンドンの友人宅でテレビにかじりつきになって観ていた)、

マンチェスターIRAによる大きな爆破テロがあり、これ、今も鮮明に覚えています。

(皮肉にもその後訪れた際、マンチェスター中心部はすっかりきれいな街に変貌していました。)

このとき私は格安航空券にも関わらず、ダメもとで交渉したら、プラスαを支払って延長OKとなり、のんきにスコットランドをぶらぶらしていたのでした(今のようにネットが発達していない時代で、家族に連絡してなくって、なもんで、東京にいるはずの私と連絡不通で、テロの被害に遭ったのではと思われ、帰国したらこっぴどく怒られたのでした。そのときあれやこれややってくれた人には一生足を向けて寝られません!)

 

そんなわけで、今回のマンチェスター・アタックには、2000年の春から夏にかけての数カ月、マンチェスター中心部からバスで1時間ほどのところに住んでいて、そのときに何度か訪ねたこともあり、ひときわ大きな思いがあります。

それに何より、マッドチェスターの洗礼を受けている、ってこともあるのですが。

 

 

マッドチェスターの洗礼を受けた頃から、私は海外メディアに触れるようになりました。

具体的にはNMEとかメロディ・メーカーとかの音楽雑誌(というか新聞みたいな体裁だったけど)で、これらを輸入レコード(!)店では扱っていいて、数週間、数カ月遅れで入ってくるのだけれど、

もうね、今のようにほっといても情報が入ってくる時代じゃないでしょう、日本に入る情報はごくわずか。それはそれは飢えていたんですよ。

そのうちにi-DとかFACEとかを知り、Wallpaperを知り、ちなみにWallpaperのこれも96年だったかな、北欧特集は今も私のバイブルです。

 

そうこうするうちにメディアが本格的にネットに乗り出し、95年から自身でインターネットにつないでいた私は、マイ・マックはまさにwindow to the world。

BBCやガーディアンといったイギリス、アメリカ、フランス、アジア(もっとも私の場合は英語が中心で、あとほんの少しのフランス語で、それらによる媒体になっちゃいますが)といったメディアの報道をいとも簡単に入手できるようになり、もちろん今もこの小さなウィンドウが世界への窓口になってくれているのです。

 

 

日本のメディア、海外メディアを並行してみているわけで、そうすると気づくんです。

日本のマスメディアにはジャーナリズムはほとんど存在していないんじゃないかって(とりあえず、自分のことは棚にあげておきます)。

中立公平な報道なんで存在しないし、諸外国にもひどいな〜と思う記事は存在するけれど、そもそもの記事の成り立ちが違うというか。

 

物事をどういう立脚点でどう切り取ったかということ。

それが分かれば、額面通り受けとるってことはなく、これはこうじゃないああじゃない、と自分の視点もクリアになる。

それが、日本のメディアは圧倒的に弱い。論理的でなく情緒が先行し、本質がみえづらくなる構造がそこにある。

 

槍玉に挙げて申し訳ないけど、これ(↓)もひどいね。

headlines.yahoo.co.jp

もっとも通信社の記事なので、仕方ない部分もあるんだけどね。

この内容に付け加えると、

モリッシーは例によって暴言を吐いて、さすがに今回はひどいな、これぞ老害!なものだったし、

ケイティ・ホプキンズはその発言によって番組を降板させられるし、

ピアーズ・モーガンの発言もひどく、あっちゃー、ってなもんだったし、

でもこういったことには一切ふれられていない。

頑張ろう!的なムードで覆われて、問題の本質がみえてこない。

このスタイルって日本でよくあり、私自身はうんざりしていて、それじゃ問題は何ひとつ解決しないよ!と思っています。
絆とかぼんやりとした言葉で、あらかじめわかりきった正義に終始する(そんなこと小さな子供でもわかる)、実際のことろ何が起こってなぜこうなったかの見解や、ではどうするといった展望は打ち出さず。

だとしたら、単なる所感に過ぎないよね〜。

 

重箱の隅をつつくようなことをいうと

The Verveマンチェスターバンドとくくるのは違うかな〜と思うし(グレイター・マンチェスターではあるけれど、ウィガンという方がよっぽどピンとくる)、

曲を出すなら、むしろDon’t look back in anger(実際に追悼集会で合唱が起こった)でしょ。

 

知りたいのはこんなきれいごとじゃないんだけどね〜。

何が起こったかを、どういう視点で切り取ったのを知りたいんだけどね〜。

こういう報道を見るたびにため息が出ちゃうよ。

 

 

ところで、このマンチェスター・アタックもそうだけど、ヨーロッパ各地(そしてほかでも)でテロは頻発しているのに、FBのタイムラインとかの異常なまでのおとなしさが不気味。

パリス・アタックスのときにプロフィール写真をトリコロールにした人たちはどこに行っちゃったの?

それを否定はしないし、それはそれで意識づけという意味ではよかったとは思うけれど、結局フランス至上主義の人たちのファッションだったのね〜。

私、社会的なことにも関心がちゃんとあります、世界で一番美しい都市(ほんとか?)パリを攻撃するなんて許せないわ!と遺憾の意を表明することで、自分はインテリなのよ!と自己誇示するという側面があったことは否定できないよね〜(アメリカ合衆国の大統領選のときもBrexitのときも、その結果をむやみやたらに愚民扱いしたのと同じ構造ですね)。

かくして情報はお飾りとなり、ファッションとして消費されちゃうんだなぁ。