書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

きれいが過ぎると、スキがないと、どっと疲れる

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うちにはテレビをおいていません。

なのでテレビを観るのは、ホテルだったり(出張がそれなりにあるので)、誰かの家だったり。

ホテルだとそう感じないけれど、人ん家でテレビを観ると、地デジに移行して画面が大きくなったこともあるんだろうけど、なんか疲れる。

これ、画面のオキさだけじゃなくって、画面がきれいなことも関連しているような気もします。

 

某百貨店。私にはスキがなさすぎて、行くとどっと疲れる。

某雑誌。有益な情報満載なんだけど、眺めているとどっと疲れる。

 

いずれも優秀なんですよ。

いいものを作ろうとし、それが実現化したのに、受ける側の、少なくとも私としては、遊びがないというのかなぁ、息苦しくなっちゃうんです。

 

 

先日、私が名刺を作ったとき、今ウェブサイトを制作中で、そこで繰り返し言っているのが、

「デザインし過ぎないで!」。

多少ださくても(作ってもらった名刺がださいわけじゃないですよ!)、わかりやすさを優先して欲しい。

(それと実質的には同じだけれど、ダメな部分も開示して構わない、と。)

 

 

一昨年秋、イギリスに行ったとき、大型スーパーマーケットで

フリースペースを設けているのに気づきました。

以前は売り場だったところにソファを設置。

店内のカフェで買ったドリンクを持ち込んでもいいし、

買い物をしたスナックを食べてもいい。

それだけでなく、おそらく外から持ち込んでお咎めなしでしょう。

特にきれいにしているわけでなく、とりあえずソファがある、ぐらいなもんで。

 

別段、居心地いいわけじゃないし、長居しようとは思わないけど、

ちょっと買ったものを整理したり、スマホチェックしたり、どうにも喉が渇いて飲み物を、なんてときは、変にこじゃれたところじゃなく、こういうところがむしろちょうどいいのです。

 

 

一億総デザイン、ステキな憧れの暮らし、みたいなものが素晴らしい!とされる風潮があるけれど、それって本当に本音かな?

実際のところは、多少のスキや遊びがあった方が人間って落ち着くんじゃないかなぁ。

逆に言えば、将来的にはわからないけど、このスキや遊びの加減を見極めるのが人間の仕事なのかなぁ、って気もしますのよ、私。