書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

看板を掲げる効果は、想像以上に大きい

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メディア、書籍とか雑誌とかの紙媒体の仕事が長い私。

これ、表に出ない裏方の仕事です。

記名記事を書くこともあるけれど、だからといってそこに注意をはらう人はほとんどいないだろうし(文責ってことです。名前が呼び水になるのは有名人であって意味合いがまったく変わります)、映画のエンドロールでクレジットが出るでし
ょ、あんな感じ。

 

この仕事をやってていいことのひとつは、

取材などを通じて一流の方に会えること(同時にそうでない人にも会うけど)。

 

するとですね〜、自分のやってることなんて、恥ずかしくなっちゃうほど些細なことに思えちゃうんですよ。

“まだまだ”“まだまだ”の意識に占められちゃう。

というか、スタート地点が裏方なので、自分が表に出ようという発想が、まずない。

 

私の場合、それが仕事になるとかって最初はまったく思っていなくって、

ただ、世間一般で流布していることと、自分が実際に見聞したことや知りたいことに乖離があって、

イギリスの食についてぽつぽつやっていて、

もしかしたら同じように感じている人がいるかもね、と思い、ブログを始めたものの、公言もしなかったし、別段隠していたわけじゃないけど、黙っていました。

 

 

でも、あるとき、はっと気づいたんです。

とかくある時点のピンポイントにだけ(その時点の、一流だなぁ〜、だったり、ぺーぺー、だったり)目が行きがちだけれど、最初は目を覆いたくなる程度の能力だった人が、メキメキ力をつけていく様も目の当たりにしているってことに。

 

その人たち、短い時間で何で?と思ったら、

“看板を掲げる”

ってことをしているですよね。

ときに大風呂敷を広げるってことも。

 

具体的には、

先にお店を作ったり、名刺を作ったり、公言したり。

 

 

あ〜、これって大事だなぁ。

こうすることで周りにも自分にもプレッシャーをかけるから、無意識にしろ、そういう方向に意識が向かうだろうし。

そして、同時に情報も入ってきやすくなるんですよね〜。

 

しっかり記憶を紐解くと、そういうヒントってたくさん見てきていたのに、

意識がないと素通りしちゃうのね〜。

 

 

とはいえ、意識をガラッと変えることはむずかしかったけれど、

まずは名刺やメールの連絡先に、“イギリスの食研究家”と入れ、ブログのアドレスも記すようにしました。

 

その結果?

やはり看板は掲げておかないとなぁ、でしたよ、本当に。