書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

いつだって学べる、その気さえあれば

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今もたいして変わらないけれど、私、本当にバカでねぇ。

子どもの頃に観た『プロポーズ大作戦』やら『ラブ・アタック』やらで、大学生ってアホで楽しそうでいいなぁ、と思い、かつ、モラトリアムというわけで、当時はまだ大学の授業料が高くなく、かつバイト代もよかったので、奨学金をもらいつつ、大学に行ったという。。。

 

大学自体で学んだこと、よりも、バイトで働いたり、映画をいっぱい観たり、ライブやアート展にいっぱい行ったり、そっちの方が実になっている気がする、私の場合。

じゃあ、大学は無意味か、というと、う〜ん、そうでもないけれど、わざわざ行かなくてもいいかな〜。

大学で学ぶことよりも、むしろ、宙ぶらりんな自由な時間がある、ってのが貴重かもしれない。

 

 

自分がそうなので、大学は行っても行かなくても、どっちでもいいんじゃないの?なんだけど、こう言えるのは自分が実際に大学に行った/体験したからかもしれないんですよね。

ついでに言うと、東大を露骨に別もの扱いする風潮も好きじゃなく(そして彼らが失敗したときに、鬼の首をとったかのように喜ぶ空気は本当にうんざり)、それってなんでだろうと思ったら、私の場合、周囲に東大出身者がいるってこともあるけれど、予備軍、つまり同じ高校から東大に行く子もいて(もちろん、私ではない)、「あ〜、あの子は勉強できるから、そりゃそうだよね」ぐらいの気持ちで、それ以上でもそれ以下でもないことが大きいのかもしれない。

 

 

働き出してからの方が、要は自分の無知さを突きつけられたこともあって、嗚呼、勉強しないと!熱が大きくなり、でも、そういう環境を作って集中する方が私には向いているみたいで、渡英したときの勉強が身になっています。

イギリスでまとまった時間でやった主なことは、こんなこと。

 

ケンブリッジ英検(これにパスしないと大学とか高等教育を外国人が受けられない、んじゃなかったかな、当時は)のコースで、私が言っていた学校はスパルタで言語学のような授業で、宿題もどっちゃりで、本当に勉強したなぁ。

(このあと経済のコースを受講したけれど、ケンブリッジ英検のコースで燃え尽きてしまった。。。)

 

イギリス料理&菓子コース。体系的に基礎をがっちり学ぼうと、学校を探して交渉して。

だけでなく、論理もするし、試験もあるし、ペアを組んでタイムスケジュール組みながらだし、言葉の壁よりも文化の壁にもう毎日泣きたくって泣きたくって。

でも、自分で選んだことじゃない! 同じ土壌でさせてもらっているじゃない! 自分を叱咤激励して、このときも勉強しまくったのです。

 

 

もうね、限られた時間でしょう、自分のお金でしょう(むしろ、その間収入はないし、帰国してからの仕事のあてもないし)、なので、学生の頃よりうんと勉強しましたよ。

マネタイズとプライジングはまだまだだけれど、自分の血となり肉となったことは確か。

 

 

今はね〜、心理学、批評としての建築、ケンブリッジ英検のもういっこ上、中国語(北京語)をやりたいねぇ。

特に心理学はねぇ、すべての学問は哲学であり数学に通じるように、すべてのビジネスは心理学に通じることを痛感しているからなのです。