書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

いつもフラットな状態でいたい

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私の仕事のひとつは、イギリスの食についてのこと。

具体的には、寄稿や監修、講義などをし、名刺にも当然入れています。

 

するとですね、

「イギリスぅ? そんな国の食って? ごはんおいしくないんでしょ?」

といぶかしんでくる人が、大半。半笑いしたり、バカにしくさる人もいます。
 

訊くと、行ったことなかったり、行っていたとしても何十年も前だったり(もしくは、これじゃあ望むべくもないな、というパッケージツアーだったり)。

つまり、誰かが言っていることや何十年も使い回されているステレオタイプを絶対的な物差しとして持っているのです。

なまじ知識欲があって、ネットやテレビの情報を拾い、本や雑誌を読んで勉強したことに自負があるから、なかなかそれを崩せないし、それどころか、これが正しい!と信じ込んでいる。

 

 

“先入観は持たないようにしよう。

自分を枠の中に入れたままだと、窮屈で仕方がない、楽しめるものも楽しめない。”

 

そう強く意識したのは、外国に行き始めたとき。20年以上も前のこと。

渡航先の国では、日本の常識が非常識だったり、逆もあったり。

イギリスでいうと、“イギリス=まずい”というパブリックイメージだったので、いつどこでそんな食事に出合うんだろう?ってドキドキしていたけれど、そんなことはなくって、むしろパンも牛乳も野菜も素材の味がしっかりしておいしいじゃん!という印象だったのと、国が食に目覚めシーンがおもしろくなっていくワクワクに満ちていたのにすっかり衝撃を受けて、今にいたる次第。

 

今ほど情報があふれていなかったとはいえ、一般に流れている情報と、現地で体験することの間の、あまりにも大きなギャップを痛感!したってわけ。

なので、“自分をまっさらな状態にいて、目の前にあることをあるがままに受け入れよう”という姿勢にしたのです。

なので、何事も極力ステレオタイプから入らないように注意を払っています。

 

 

ところが、世の中を見渡すと、パブリックイメージを導入部にすることが多いんですよね。

これ、いいことならともなく、ネガティブなこともあるわけで(イギリスの食なんてまさにそれ!)、

なんでわざわざ低いラインから話を始めるんだろう?

それって、上から目線というか(当事者であれば)自虐的というかニュートラルじゃないというか、まったくやんなくてもいいことに思えます。

 

人に例えるとわかりやすく、

“あの人ブスだけど、最近かわいくなった”

みたいな感じ? これって誰得?な気がするんですよね〜。

 

 

そんなわけで、私にとって、自分の肩書きである

“イギリスの食研究家”は相当強力なリトマス試験紙でもあります。

 

そこで

「へえ〜、おもしろいですね。最近はどんな感じですか?」

「私も去年行って、おいしいものたくさん食べましたよ!」

とか肯定から入る人は、

常識や前例にとらわれず前向き、大らかなので、気持ちよく仕事できます、ほんとに!