書くこと、編むこと、伝えること

食のダイレクター、編集者、ライター、イギリスの食研究家“羽根則子”がお届けする仕事や日常のあれこれ

本当に行きたいところへは、何としてでも行く

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個人で旅行に行くときは、あれもこれも、と欲張らないで、そのときに本当に行きたい/見たい/やりたいことさえできれば、それでいい、ってスタイル。

なので、有名だからここ行っとこ、ってのはなく、私はモダンアートが好きなので、パリへは何度か行っているけれど、ルーヴル美術館には行ったことがない。

 

行きたいところは、都市部だとまだしも地方だと、大変な思いをして出向くことに。

たとえば、ロンシャンの教会(フランス)。近隣の街のツーリスト・インフォメーションのおにいさんはすごおおく親切で、行き方とか鉄道のタイムテーブルとかあれやこれやと情報やアドバイスをくれ、B&Bの予約の電話も入れてくれました(私の場合、宿を取らずに目的地に行って、希望を伝えて、探してもらうことが多かったのです。当時はまだネット全盛の時代じゃなかったこともあり、本来ツーリスト・インフォメーションは希望のB&Bを探してくれるところまで、だったんだけど、「ここは田舎だからねぇ、たいていのところはあいにく英語は通じないんだよ〜。直接行って空き部屋があるかどうか訊くって手もあるけど、それで満室だったら困っちゃうよね。僕が今、訊いてみてあげるよ」と)。

教えてもらったはいいけど、鉄道の時間が、前日だか前々日に変わっていて、しかも1日に2〜3便しか電車がないから、タクシーをつかまえて、筆談で値段交渉して(まあ、するまでもなかったんだけど、これまた親切で誠実なおっちゃんだったし)、ロンシャンの教会へ。

 

ラ・トゥーレット修道院(フランス)はリヨン郊外にあり、郊外というと、さっと行けそうだけれど、リヨン駅から何駅か行って、どこかでローカル線に乗り換えて、そこから20分ぐらいだったかなぁ、歩いて行って。で、最寄駅を降りると、な〜〜〜〜〜んにも案内がなく、タクシーがないどころか、人っこひとりいない! でもまあ、空を見上げ、自分の影をみて、時間と照らし合わせて、東西南北を確認し、目的地に向かって歩き始めることに。

なんせ田舎で目印もなにもなく、ひたすら、ただひたすら農地が広がっているという。

で、途中でひとりだけ、農家のおじさんに出会い、確認と不審者と思われないため、

「Ou est Couvent de la Tourett?(ラ・トゥーレット修道院はどこですか?)」(このときフランス語の知識はまったくなかったんだけど、1カ月ぐらいフランスをぶらぶらしているときだったので、耳でききかじったサバイバル言葉は覚えていた)と訊き、方向が合っていることを認識。そのおじさん、なんかいろいろ付け加えてくれたけれど、あいにく分からず。

果たして、そのあと5分ぐらい歩いて、目的地にたどりつきました、とさ。

 

2000年半ばごろにその噂をきき、どうしても行きたくなって、いざ行ったのは、2007年。

目的地はイギリスのパドストゥ。コーンウォールにある小さな漁村で、リック・スタイン(シーフードを得意とする著名な料理家)がレストランを開設し、リック・スタイン村になっている、ってのをどうしても自分の目で体で確認したかった。

これも行くのが大変だった。ロンドンからコーンウォールに向かう鉄道に乗り、途中でローカル線に乗り換え、最寄り駅(もはや最寄りじゃないけど)から、さらにバス、バスと行っても乗り合いバスのようなものに揺られること1時間。

もちろん、ここを訪問したことは得難い体験になったし、ツーリスト・インフォメーションの人もB&Bのお姉さんも親切で、季節外れってこともあり、このB&Bに泊まったのは私ひとりで、このお姉さんの元ダンナが、なんだったかなぁ、軍か船かなにかの仕事で日本に何度か行ったことがあって、ってこともあったのか、いろいろ話をして、リック・スタイン前後のパドストゥ、それに対する村の人たちが感じていること、などをあれやこれや、教えてくれて、これがなるほど!なるほど!で今も記憶にしっかり残っています。

 

イングランドのワイナリーで、私のイングリッシュワインの先生でもあるとことろは、どうにも不便なところにあり、タクシーで行くものの、なんせ人里離れたところにあるので、帰りの足を呼ぶと、すぐに来たとしても30分ぐらい待つことになるまで、タクシーの運転手さんには帰りの足も交渉し、私がワイナリーで話をしたり見学をしたりしている1〜2時間ほどの間は待ってもらうという。

 

 

便利なことは果たしていいことか?

便利なことは日常生活の大半においてはいいことだと思います。

でも、あとの5%ぐらいは不自由なことがあってもいいんじゃないかな、特に旅行は住んでいる人にとっては日常でも、旅行者にとっては非日常だし。

これまでの私の旅の記憶で、印象として強く残っているのは、上記のようなところばかり(上は一例で、まだまだ珍道中はある)。

もちろん目的物そのものだけれど、その前後のこと、人とのやりとりとか、食べたものとか、そのときの景色とかニオイとか、びっくりするほど鮮明。

そこにあるのは、旅行者向けに媚びたものじゃなくって、あらかじめそこにあるもの。

こういう体験ををして、体に記憶に刻まれることこそが旅行の醍醐味だと思います。

 

 

よく、不便だから人が来ない、っていうのききますが、まったく違う!と思っています。

むしろ、そこの場所が圧倒的にユニーク(日本語のユニークではなく唯一無二ってこと)であれば、それがほかでは体験できないことであれば、人は来る!っていうのが旅行者としての私の実感です。

(そこが大きくのぼりを立てたり、○○まんじゅうとか作っていたら、帰って興醒め。二度と行くか!と思うんだけどな〜(↓))

ricorice.hatenablog.com

だからこそ、そこに行かないと出合えないから、不便さをもとのもせず、わざわざ私は上記のところに出かけていったわけで。

 

唯一無二なことにブラッシュアップをかけていくこと、なければこれまでと現状と検証し、その上で熟考して唯一無二を作る(安っぽいお手軽、名称さえ変わればどこにでも対応できる村おこしじゃなくってね)が、断然魅力が増すんじゃないかなぁ。

お手軽なマネ(よそがこれで成功したから、でそれがそこに当てはまるか検討することなく、導入。オリジナリティーまったくなし)、とか、有名人をイメージキャラクターにするとか、ゆるキャラ(これ、どーなの?)を作る、なんかじゃなくってね。それって、どこ行っても同じで、わざわざそこに行く価値まったくなしだし〜。

そんなことやるヒマあったら、本質を磨け、って話。